[No.37 服部屋敷 2005年05月01日 15:45]

われわれは樫立の集落に入ってきた。民家があるところにさしかかると、何かほっとした気持ちになる。何が何だかわからない観光名所巡りをやっているので、人里恋しくなってしまうのかもしれない。
また、「集落があるところにある観光名所は、変なものが少ないのではないか」という勝手な思いこみも、正直あった。
さて今度の目的地は「服部屋敷」。
「忍者屋敷になっていて、隠れ小部屋があったりいろいろ細工がされているんじゃないの」
なんて冗談を言いながら現地に向かったが、ここはちゃんと市販の観光ガイド本にも掲載されている立派な観光地だ。いや、観光地に立派も貧相もないんスけどね。まあ、グレードが高い観光地、ということなんだろう。
服部家の初代は下田の出身であるが、二代目から代々八丈島の官船の内、小舟方のお舟預かりを努めて莫大な資産を築いた。しかし、船方さんの一生を図で示すがごとく、その歴史は波乱に富み、悲劇的な色彩を帯びて、豪勢を誇った家屋敷も、今では此処が毎日観光客に郷土芸能を披露する名所となっている。
屋敷入口の石垣は、流人近藤富蔵が築城形式に依って築いたものである。
なんだなんだ?波乱に富んで悲劇的な色彩を帯びちゃったのか。一体何があったというんだ服部家。「今じゃ落ちぶれちゃってホラ、観光名所に成り下がっちまいましたぜ」という趣旨の文章を観光案内看板に掲載するあたりとってもラブリーだ。

それにしても見事な石垣。近藤富蔵、やるなぁ。
わざわざ波で削られて丸くなった石ばかりを集めて並べているわけだが、相当これは石組みが面倒くさかったはずだ。
面倒な事を敢えてやる。それが金持ちの証、というわけか。
それが悲劇的な色彩を帯びちゃったわけですね、後生では。一体何があったというんだ、服部家!

とりあえず記念撮影。
樫立踊りと八丈太鼓のショーが毎日この屋敷内で行われているようだが、午前10時のみの開催。われわれが訪れた時はもぬけの殻で、誰もいなかった。
[No.35 中将院の石室 2005年05月01日 15:51]

地図上では、服部屋敷から山方向に分け入ったところに「中将院の石室」なる観光名所がある、と記されていた。
「気を付けろ、こういうわけのわからないものは発見しづらいぞ」
ぐいぐい何もない山奥になっていく車窓をにらみつけながら、気を引き締める。
「石室、ということは・・・洞窟?」
「古墳なんかにあるやつだよな、石室って」
えーと、でもこの周辺にはそんなものがありそうな気配がないんですが。

あ。
何やら原っぱの中に怪しいものがあった。近づいてみると、小さな石でできたほこらがあり、これが中将院の石室だという。
「こ、こんなものを見に来るために、わざわざここまでやってきたのか・・・」
何だか脱力だ。いや、地元の人の信仰心から、中将院さんを大切に祀ったんだろう。その尊い気持ちを馬鹿にするつもりはないんですが・・・ええと、そのですね、僕ら観光客としてもデスネ、ある程度ココロの準備ってやつが。ええ。
もう少し、派手なものだったらうれしいんですけど。ええ。
[No.3-1 硫黄山 2005年05月01日 15:59]

観光地図上では、中将院の石室よりさらに奥に入った所あたりに「硫黄山」と記されていた。
また山か!
山は困るんだよなあ、明確に「ここ!」というのが断定できないから。
案の定、道に迷った。なぜこんな道があるの、と不思議になるくらい、迷路状に道が造られていた。そのあちこちに侵入して硫黄山なるポイントを探したが、ことごとく行き止まりだ。
せめて、こんもりと盛り上がった丘でも発見できれば良かったのだが、結局何もそれらしいものを発見できないまま、撤退。

樫立の集落に戻ってみると、
「硫黄の道」
と記された石碑があった。確かにこのあたりは硫黄が採石されていたようだ。
まあいいや。硫黄山なる山が見られなくても、特に不自由はない。
・・・ってそれを言ってしまったら、この企画そのものの意味が無くなってしまうのだが。
ええい、さっき見た「行き止まり」を硫黄山と見なす。以上。
[No.45 三原山 2005年05月01日 16:08]

ついでに、三原山も登ったことにしちゃおう。
「700mもある山だぞー。もう八丈富士登ったし、山登りはいいだろ。登山口で記念撮影して、登ったことにしちゃえ」
なんともいい加減だが、それがオトナの対応ってやつです。
さも山に登ってきました!という達成感をにじませつつ、ガッツポーズで記念撮影。
[No.39 湯浜遺跡 2005年05月01日 16:13]

今度は樫立の海側の狭路を走りながら、「湯浜遺跡」なるものを探す。海側、といっても絶壁の島のこと、海を間近に眺めつつドライブというわけにはいかない。くねくねと曲がる道を走りながら、遺跡を探した。
遺跡、ったって、静岡の登呂遺跡や佐賀の吉野ヶ里遺跡みたいに昔の住まいが再現されているような親切な作りになっているとは思えない。何しろ八丈島だ。せいぜい、穴ぼこが地面にあいていて、「ほら、これが遺跡。」という程度ではないかと推測された。
見落とさないよう慎重に車を走らせていたら、廃墟となった八丈温泉ホテルを過ぎたあたりに何やら看板を発見。

昭和37年、八丈温泉ホテルで温室を作るために整地工事を行った際に、大形の磨製石斧が採集され、遺跡が知られることになった。
昭和39年、48年、52年にそれぞれ調査が行われ、二軒の竪穴住居跡が発掘された。
時代的には近接する倉輪遺跡(縄文時代前期末~中期初頭)の下層に位置し編年され、その諸様相は南方諸島、あるいは黒潮の流れる地域からの伝来を思わせる。しかし神津島産の黒曜石が石器に利用されていることなどから伊豆諸島や本土とも密接な関連性を持っており、学術的価値が高い。

と、いうことは、肝心の湯浜遺跡はこの立入禁止区域の先、八丈温泉ホテルの敷地内にあるということか。
全然見えないじゃん。
学術的に価値があるのかもしれないけど、その片鱗すら見えない遺跡を「観光名所」と指定するのはどうかと思うぞ。しかも、見せつけられるのは廃墟となった温泉ホテル。あんまり良いイメージは与えない。

観光名所地図には、この湯浜遺跡のすぐ近くに倉輪遺跡もあると記されている。
また、湯浜遺跡の解説文にも、倉輪遺跡は「湯浜遺跡と近接する」と書かれている。
われわれは周囲を幅広く探し回ったが、結局倉輪遺跡とおぼしきものは発見できなかった。遺跡そのものが見えないのはもうどうでもいいとして、看板すら存在しない観光名所。困ったもんだ。
[No.42 三島神社 2005年05月01日 16:36]

湯浜遺跡で非常にもやもやした気分になりつつ、次の三島神社を目指す。
このあたりは狭い道が入り組んでいて、しかも道がうねうねしているので非常にわかりにくい。・・・いや、わかりにくいのは例の観光地図の方か。ざっくりとした地図に、適当に観光地をプロットしているので、こういう入り組んだところだとてんで場所がわからない。
しばらく、強引に車を走らせて周囲を探索する。
・・・あった。ご丁寧に、「←三島神社」という行き先案内看板が道路脇に設置されていた。これは親切だ。素晴らしい。
三島神社、何か素晴らしい謂われがあったり、巨大で美麗な神社なのかもしれない。油断していたぜ。

おっ、これだな。石でできた鳥居の先に、小さな石造りのほこらがあった。
わざわざ看板を立てるほどのものではないような気がするのだが、いや神社ってのは建物のデカさできまるわけじゃない。信仰の篤さが重要なのです。
とりあえずお参りしておく。
どこの神様かよくわかりませんが、とりあえず祓い賜え清め賜え。
よし、これで観光地一カ所クリア。

「おい!ちょっと待て、崖の下に何か神社らしき建物があるぞ」
「なにー!?」
見ると、まだ比較的新しい神社がそこにはあった。しかも、青袴を着用した神主さんが何やらお供え物をあげる作業をしている。
「おい、今拝んだのは三島神社じゃないのかもしれないぞ。ホンモノはあっちだ!」
「いかん、危なく見失うところだった。あっちに行かなくちゃあ」
ほこらさんごめんなさい。急にアナタに対する興味がうせました。

新しい建物の近くに行くと、おお、確かに例の黒看板を発見。
中之郷三島神社石宮
天保11年(1840)御船預役山下平治平為民が、流人の石工仙次郎(1834流罪、1856没)に、中之郷瀧ん下の岩石を切り出して彫刻させたもので、八丈島産の石材利用と、流人文化を知る上で貴重なものである。
「あーれー?石宮、って書いてある」
目の前にあるのは、木造建築物だ。ということは、さっき「ちっ、時間の無駄だったぜ」とばかりに放置されたあの小さな石のほこらが、「流人文化を知る上で貴重なもの」だったのだろうか。いや、でもそれだったらこの看板はここにあっちゃいかんだろ。この木造建築と石宮と三島神社の関係がよく分からない。

よくわからないまま、「とりあえず拝むことに悪いことはない」と木造の神社にお参りする。道中無事でありますように、と。
[温泉ト 中之郷温泉やすらぎの湯 2005年05月01日 17:09]

そろそろいいお時間だ。民宿の夕食時間に遅れてしまうとおばちゃんに怒られちゃうので、そろそろ本日の観光地巡りを打ち止めにしないと。
最後は、温泉でシメることにした。
やすらぎの湯、というところに行く。途中、裏見が滝温泉とか大御堂、といった「明日行く予定」の観光地を通過したが、「見なかったこと」にする。明日満喫する予定。
島の周囲を崖で囲まれているこのあたりは、海沿いに近づくにつれてつづら折れの急坂を下っていくことになる。しばらくぐいぐいと高度を下げていったところに、やすらぎの湯があった。

ナトリウム-塩化物温泉なので、先ほど入ったふれあいの湯に近い泉質。
入湯料300円は安くてありがたい値段設定だ。
ダイビング帰りの人、地元の人が入り交じった湯船で一汗かく。
いやー、やっぱり温泉はいいですなあ。永見大蔵だとか硫黄山とか湯浜遺跡だとか、そういうもやもやしたのはどうでも良くなってきちゃった。
さて民宿に戻ろう。
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