15:02
山小屋が近づいてくると、だいたい二つの特徴でその存在を察知することができる。
まず一つ目は発電所の音。自家発電のモーターが回る音は自然界では独特なので、かなり遠くからでもよく聞こえる。そういえばなんとなくブーンという音が鳴っているかな?と気がついたら、そろそろ山小屋だ。
そして二つ目が、トイレの匂いだ。匂いが漂ってくれば、いよいよ山小屋が迫ってきた証拠といえる。そろそろラストスパートでペースを上げてもいい。
最近の山小屋は、環境省などから助成金を交付されてバイオトイレを設置しているところもある。微生物で排泄物を分解する、というものだ。
これまで多くの山小屋では、糞便を谷底に垂れ流しにしてきた。トイレは崖にせり出して作られていて、便器の下は大空、という光景だ。宙を舞う我がウンコ。排泄されてきっと本望だろう。
でも僕の場合、子供の頃から旅先では便秘になる性分だ。残念ながら、標高高く自分のウンコを羽ばたかせたことはない。
バイオトイレというのは微生物さんが頑張ってくれるわけで、それで便がどうにかなるならば最高だ。でも、微生物の都合や能力を無視してドカドカと便が落ちてきたら微生物じゃどうにもならない。「ちょっとまってて、後でやるわ」というわけにはいかない。
あと、微生物だって生き物だ。やる気になる温度とか環境というのがちゃんとある。山の上のトイレだと結構寒くて微生物がその気になりづらいので、場合によってはヒーターで温めたり撹拌したり、なんやかんやと手間がかかる。で、そのためには電気も食う。
ウンコを処理する微生物のために電気を食う。山の上じゃすごい贅沢な話で、なかなかそう簡単には導入が進まない。
で、馬ノ背ヒュッテは、遠方からでもトイレのスメルが漂ってきていた。ああ、山小屋さんこんにちは。
それにしても、下界の大平山荘もそうだったけど、ここもプロパンガスを使っているのだな。収容人数100名規模の小屋営業をやっていたら、このサイズのガスタンクだとすぐにカラになってしまいそうだ。
こんなのをいちいち人力でボッカするのは厳しいので、ヘリコプターで運び上げているはずだ。
15:03
馬ノ背ヒュッテ正面。本日の宿、到着。
ログハウス風の外壁になっていて、きれいで手入れが行き届いている感がある。
小屋が建っている地面全体を平たんにしたわけではなく、斜面が一部残っている。そのため、玄関と、客が寝泊まりする部屋があるところでは高さが違っている。
建物は、L字型の2階建ての建物が、お互い微妙に異なる高さでドッキングしている構造になっていた。
ここから先、1時間10分で標高2,900メートルの仙丈小屋まで行くことができる。
山頂直下という好立地だし、山の斜面途中に位置するこの馬ノ背ヒュッテよりも遥かに眺めがよさそうだ。
うーん、まだ15時だし、予約をキャンセル・取り直ししてこのまま仙丈小屋まで行っちゃってもいいかもなあ、という考えが頭をよぎった。今この時間からキャンセルだの宿泊予約だのができるかどうかはわからないけれど。
でも、標高が上がってきたこともあり天気の具合がよくない。季節柄、雷がゴロゴロ言うことはないと思うけれど、雨の中無理して歩くほどの気にはならなかった。
結局、予定通り馬ノ背ヒュッテに投宿することにした。
馬ノ背ヒュッテの玄関。
玄関先に下駄箱があり、登山靴がずらりと並んでいる。
冗談のようで本当の話だが、山小屋で登山靴を履き間違えられ、自分の靴が紛失して立ち往生するという事案は時々起きるらしい。
良い靴を狙って盗んでいくという輩も中にはいるのかもしれないが、普通は人の靴なんて盗もうと思わない。登山靴だもの。重たいし、かさばる。そして汗を吸って臭い。
きっと、ついうっかり他人の靴と間違えるのだろう。
僕なんて、普段履いている登山靴のサイズが28センチなので、間違えられることがほぼない。男性で25~27センチあたりだったら、「ついうっかり」があるのかもしれない。でもそういう判断ミスをやらかす人は、危なっかしいからもう山に登るのはやめたほうが良いと思う。
ちなみにこの宿の場合、自分の靴に名札をつける仕組みになっていた。
馬ノ背ヒュッテの玄関にあった黒板。
カフェ営業もやっていて、コーヒー、ココア、カフェオレ、カフェラテ、紅茶、カップラーメン、おでん、粕汁・・・などが売られていた。
そして山バッヂやTシャツ、バンダナといったグッズも売られている 最近の山小屋はたいていオリジナルグッズが売られているものだ。買いたいと思う人がいるんだねえ。僕は荷物になるから、欲しくないけれども。
ひょっとするとT シャツは、「今まで着ていた服がすごく汚れた」とか「濡れて激しく体が冷えた」という出来事に対して緊急避難的に買う、というニーズがあるのかもしれない。
玄関から入ってすぐが、食堂兼談話室になっていた。
時刻は15時3分、まだ食事の時間には程遠い。でも、ここでくつろいでいる人が既に大勢いた。
山小屋の場合、寝る場所はあくまでも寝る場所であって、談話する場所ではない。山小屋に到着早々、疲れて寝てしまっている人も中にはいる。だから寝場所で大きな声のおしゃべりはあまりお行儀が良くない。
かといって外は雨が降ってるので外には居場所がなく、結局こういった食堂兼談話室に人々は集まってくるのだった。
ちみにこの馬ノ背ヒュッテの食堂は、長机が4卓しかない。もちろん宿泊キャパシティである100名が一度にここに集まるのは無理なので、食事は何回かに分けて行われることになる。これも山小屋の特徴。
馬ノ背ヒュッテの受付。
色々なものが並んでいて、情報量がとても多いのは山小屋ならではだ。
小さな間口で、受付を行う。セルフサービス食堂の下膳口のようだ。
馬ノ背ヒュッテの利用料金は一泊二日が8500円、子どもが7500円。
子供料金だからといってさほど安くなっていないのは、「ここまで歩いてきたならいっちょ前」と認めているからかもしれない。
受付でチェックインを済ませると、 3色の札のどれかを渡してもらえる。
夕食時間は3回に分かれていて、
1回目:17時00分
2回目:17時45分
3回目:18時30分
となっていた。
カラフルな札はその整理券であり食券代わりとなる。 宿泊客はおおむね30分でご飯を食べ、宿の人は15分で下膳と次の回の配膳を行うルーティンになっているのだろう
そして一方、朝食時間は
1回目:5時30分
2回目:6時00分
と30分気きざみに指定されていた。
食堂兼談話室の側面引き戸を開けると、そこに階段がある。階段を登った先が、宿泊客が寝る場所だ。
階段の脇と裏が荷物置き場になっていて、人々のザックが積み上がっていた。うっかり階段裏の奥のほうに荷物を入れてしまうと、後で取り出すのに難儀する。僕はその「うっかり」パターンだった。
おかげで、翌朝手袋を紛失した。出発前に手袋が片方しか見当たらないな、とすぐに気がついたのだけど、「ひょっとしたらもう片方はザックの中に入れちゃったのかもしれない、後で確認しよう」と探さなかったからだ。
「おかしい、見つからないぞ」とザックの山をかき分け、手袋を探すことはできた。でもたくさんのデカいザックが無造作に積み上がっていてその山を突き崩すのが面倒だったのと、裏でゴソゴソやっている様は盗人のように見えかねなかったのでやらなかった。それが災いした。
階段を少し登ったところが「A」という札を掲げた部屋。
大広間になっている。
Aの部屋がちょうど階段の踊り場になっていて、Uターンしてさらに階段を登るとそこは「C」の部屋。ちょうど食堂の二階部分にあたる。
さらにCの部屋から折り返して階段をのぼると、「B」の部屋がある。Aの部屋の真上だ。
というわけで、この小屋にはA、B、Cの3部屋がある。個室とか気の利いたものはないし、かいこ棚のような、二段ベッド風ぎゅうぎゅう詰め部屋でもない。シンプルな大広間だ。
空気が淀んでいる感はなく、天井が高くて比較的快適に眠れそうだ。ありがたい。
(つづく)
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