15:41
夕食までまだ1時間以上、余裕がある。
山小屋におけるこの時間は、ぼんやりと過ごすしかやることがない。自分の人生の中でも数少ない、本当にポカンとする時間だ。
温泉旅館だったら、館内探検をしたり、じっくりお風呂に浸かったり、畳にゴロンと横になったり、今晩の食事を夢想したり、明日の計画を検討したり・・・あれこれやることがある。ワクワクが止まらない。
しかし山小屋の場合、そういったものがほとんどない。
自分の居場所は、寝床として与えられた「幅80センチくらい、長さ2メートル」くらいの場所だけだ。雨が降っているので、外にも出られない。
食堂に行ってくつろいでも良いのだけど、どちらかというと食堂は「仲間で登ってきた人たちがわいわい喋っている場所」だ。長机で、そういった人のすぐ隣に「あ、どうもすいません・・・」と割って入って座るほど、僕は社交的ではない。
というわけで、おとなしく日が暮れるまでは自分の寝床で過ごす。そしてそれは、この後両隣に来るかもしれない人に対する、強烈な領土主張にもつながる。
登山ともなれば、荷物はできるだけ少ないほうがいい。「暇つぶしツール」なんて持参しないのが通だと思う。でも凡人の僕は我慢できなくって、あれこれ持ち込んじゃった。
特急あずさの座席ポケットに入っていた、JR東日本の通販カタログ「Train Shop」。そして、図書館で借りていた「平安女子の楽しい!生活」。
平安時代の女性たちも、現代を生きる女性同様に恋をしたり噂話に花を咲かせたりしていた、ということがあれこれ書かれていて、とても面白い本だった。平安貴族の平均的な家の間取りとか、文化が活き活きと書かれているのも素晴らしい。こういうのを歴史の授業で学べると、もっと日本史を楽しく学べたんだけどな。単なる暗記科目として高校時代を過ごしていたので、大学受験後はすっかり覚えたことを忘れてしまった。律令制度ってなんだったっけ?というレベルだ。
15:52
おーいみんなー、ノンアルコールビールを買ってきたぞー。
わー
わー
わー
(歓声を上げる庶民)
山小屋で暇つぶしの時間に、お酒というのは大事な仲間だ。でも今の僕にお酒はいらないので、そのかわりにノンアルコールビールにお付き合い願う。
別にお茶でもコーラでもなんでもいいじゃないか、と人からは呆れられる。でも、炭酸が喉にビキビキと刺激を与えるのが快感なので、これに代わるものはない。コーラ?いや、泡が粗いんだよ、コーラとノンアルコールビールじゃ、泡のきめ細かさが違っていて、全然別物だ。コーラをぐいっと飲むと、炭酸が喉を痛めつける。そういうんじゃないんだ、僕が欲しいのは。「いてててて」じゃなくて、「くはーーーーっ」なんだ。
400円。キリン零一。
それ、ひさしぶりに、ぐいっと。
今日も一日、無事故でお疲れ様でした!
・・・
・・・
うーん。悪くはなかったけど、思ったよりも良くもなかった。あー、そういうことかー、っていう印象。
というのは、山小屋なのでしょうがないのだけど、飲み物がぬるい。冷えていない。
ただでさえ、ぬるいビールは美味しくないわけだけど、ノンアルコールビールがぬるいとなると、ハッと我に返ってしまうレベルだ。「俺、一体なんのためにこれを飲んでいるんだっけ?」と。
お酒を飲まない人向けにわかりやすくたとえると、「キンキンに冷えてやがるコーラと、常温のコーラは別物」というのと一緒だ。
これまでも、山でさんざんぬるいビールを飲んできた。大してうまくないなぁ、と思いながらも大興奮して飲んだのは、飲むことで酔いをもたらしてくれるからだ。しかしノンアルコールビールはどうだ?単なる水分補給だ。うーん、これは一体どうなんだ。
「昔ビールを愛していた時代の風習の名残」としてノンアルコールビールを飲むというのは、儀式として良いと思う。しかし「儀式」以上の何ものでもないな、という印象を持った。
馬ノ背ヒュッテのパンフレット。
色鉛筆による手書きの柄で、のどかな雰囲気。
「夜は語らいの時間」と右下にかかれていて、その絵には清酒の瓶がズラリ。やはりここのご主人は酒好きで間違いない。あとで調べてみたら、ご主人は学生時代、一升瓶を背負ってアルプス縦走をやっていたらしい。で、一期一会の人々と酒を酌み交わしていたとか。やるなぁ。
このパンフレットの絵に描かれているとおり、夕食はカレーと決まっている。やはり山小屋メシは、カレーというのが提供する側も食べる側も楽、というわけだ。
ちなみに馬ノ背ヒュッテの宿泊料金は1泊2食8,500円(2017年当時)。今はもっと値上がりしている。
7月中旬から10月中旬までしか営業していないので、わずか3ヶ月間だ。約90日の営業で、1日最大受け入れが100人。つまり、1年で9,000人だ。僕はその選ばれし一人というわけだ。いや、まあ、9,000人という数字は微妙だけど。
17:42
僕の夕食の順番は第二巡目、17:45からだ。
17:00からの一巡目の人たちが食堂でもぐもぐ食べているのを尻目に、外に出る。食べているのをじっと観察するというわけにはいくまい。そもそも、食堂にそんな場所はない。
外に出ると、さきほどまでしっかりと降り注いでいた雨は止み、空が明るくなってきた。
山の天気は本当に移ろいやすい。
標高2,700メートル近い場所だけど、なんとか頑張って木が残っている。しかしさすがに10月ともなると葉っぱを残しておく気合はもはや残っておらず、早くも冬に向けて見が混ていた。
こんな様子じゃ、葉っぱが茂って光合成できる期間なんて1年の間でも知れているだろう。それでよくここまで成長できたものだな。
17:47
一巡目の食事会を終え、二巡目の食事会に向け準備を整えている食堂。
こうやって見ると、配膳はジグザグにされている。おかげで、隣の人と肩をぶつけ合いながらメシをかっ食らう、というシチュエーションにはならない。
今日はシーズンオフで宿泊客が少ないからだろうか?・・・いや、違うな。この食堂に長机は4卓。1つの長机にお皿が8名分ないし9名分、並んでいる。ぱっと見た限り、二巡目は33名が着席する予定らしい。
つまり、三巡すれば、33✕3=99で、だいたい定員100名になる。つまり、このジグザグ配置が馬ノ背ヒュッテにおけるデフォルトなのだろう。
こういう、建物の作りやさりげない運用から、いろいろ自分が知らないことを推理するのは楽しいことだ。
馬ノ背ヒュッテの夕食。
いろいろな素材が入ってまだら模様の粗挽きソーセージが、ずどんと真ん中にチン座、いや、鎮座していらっしゃる。いかん、ソーセージとじゃがいもの配列で、つい変なことを考えてしまう。仙丈ヶ岳が「南アルプスの女王」だから、ここは男性が
カレーは、煮込まれた人参が入っている。そして、後乗せのじゃがいも2個とソーセージという構成。これに、千切りキャベツとかぼちゃのサラダ、リンゴが一切れ。
カレーはうまかった。
うまかったので、おかわり。
そこまでお腹が空いているわけじゃないんだけど、これまで夕食をずっと待ってきたし、この後はもう寝るしか無いし、で、もう少し食堂に留まっていたかった。留まる理由のためにも、カレーを食べる。うん、二杯目もうまい。これなら翌朝も引き続きカレーです、といわれてもオッケーだ。
さすがに二杯目になると、具のトッピングはなかった。
18:45
食後、消灯時間まで寝ないで極力粘る。とはいえ、大部屋に照明なんてものはないので、日没とともに暗くなってしまう。ヘッドライトを付けて読書をすると、周囲の寝に入っている人の迷惑になるので、居場所には気をつけなければならない。しょうがないので、階段のところに退避。
山にいる間は極力スマホを見たくないのだけれど、電波状況がどうなっているか確認のためにスマホをたちあげてみたら、アンテナが1本だけ立っていた。ドコモ回線でこれだ。恐らく、ソフトバンクやauだと電波が入らないんじゃないかな。
アンテナ1本なので、電波が入っていないに等しい。ネットサーフィンなんて無理だ。天気予報だけ確認して、スマホを見るのをやめた。
(つづく)
コメント