森林限界突破の恍惚【日光白根山】

戦場ヶ原の三本松茶屋から、道路沿いに北に向かって歩く。

14:13
このあたりは信号がまったくないし、まるで北海道のようにまっすぐな道だ。当然車はびゅんびゅん飛ばしているわけで、人が歩いていると危ないのでは・・・と思う。でも実際は、ちゃんと歩道と車道が分離していて安心して歩くことができる。

まずはこの道を進み、逆川と道路が交わるところから戦場ヶ原に入るつもりだ。

14:26
単調な車道脇の歩道を進んでいき、「本当にこれで大丈夫だろうか」とちょっと心配になったころに分岐が現れた。

泉門池光徳線歩道、と書かれている。

この歩道は、光徳から泉門池まで、逆川沿いに戦場ヶ原の自然を観察する歩道です。

だって。そうか、「観察する」ための道なのか。僕だったら「満喫する」とか「堪能する」という表現を使うけど、お役所だとそういう気持ちに訴えかける表現は使わないのだな。

あくまでも自然とふれあい、そこから何か学びを得るという姿勢が大事なのだろう。僕らも、襟を正してここから歩いて行こう。嘘だけど。

14:32
木道。

14:32
ここから先、戦場ヶ原の真ん中を目指す。

木道の整備が立派だ。手間とお金を相当かけている。子供が昔よく履いていた、「かかとの部分だけローラースケートがついている靴」なんかですいーっと滑っていくとどんどん前に進めそうだ。そのかわり、ちょっと気を許すと湿地に転落するか、段差で転倒だけど。

14:40
わーい、戦場ヶ原に出てきた。

すごいね、テンション上がるね。人間、普段みない景色を見ると興奮する。都会ぐらしをしていると、何もない空間がまさにそれ。いや、植物学者とか地質学者に言わせると、「何もないだなんてとんでもない。ここには情報がいっぱいだ」と言いそうだけど。

思わずカメラを構えて写真を撮るけれど、「何もない、を撮る」というのはなんだか不思議なことだ。僕は今一体何をやっているのだろう。

14:41
何もない空間を撮影していても、「自分が、いまここで生きている。」という証にはならない気がした。なので、「何もない」を五感で感じられるよう、木道に大の字になってひっくり返ってみた。

うん、何もない。

当たり前のようで、これって案外貴重な体験だ。

・・・と思ったけど、「広大な田んぼの中で、あぜ道に寝転がる」でも同じ体験はできるな。単に田園空間を自分が知らないだけだ。

地方在住者が東京にやってくることを「おのぼりさん」といって、その驚いたり興奮している様を揶揄する表現を使うことがある。でも、東京ぐらしをやっていると、むしろ「自然へのおのぼりさん」になる。空間、自然を見ると興奮してしまう。

14:48
このあたりの湿地は、赤茶色い地面だ。

14:51
変化に富んだ道。このあたりは木が生え、下は笹が覆い尽くしているエリア。

14:54
と思ったら、川の流れもあったりする。

湿原というのは地面がほぼ平らなところでないとできない。なのでこの川は、「少しでも低いところに・・・ッ!どこか、どこか低い場所はありませんか」とばかりに蛇行している。

この上流に、湯滝と呼ばれる日光湯元から落差十分な豪快な滝があるというのに、このうろたえっぷりよ。どうした、さっきまでの勢いは偽りかぁァァァッ!

14:57
うっそうと茂った木々じゃないので、開放的な森で清々しい。気持ちよく歩くことができる。

これがずっと何もない湿地帯のなかを延々と歩くのだったらさすがに飽きるけど、このルートは飽きさせないよう道がイイカンジに作られている。

(つづく)

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