森林限界突破の恍惚【日光白根山】

19:36
奥日光の夕餉を終え、食事処から部屋に戻る。

その途中、ロビーでこんなポスターをみかけた。

「投扇興しよう!」

ほう?なんだそれ。漢字の読み方さえよくわからないけど、ルビで「とうせんきょう」と書かれていたのでなるほどそうなんだと勝手に納得。

見た感じ、芸者さんたちとのお座敷あそびっぽい。へえー、風流だな。いや、何がどう風流だかわからないけど、脊髄反射的にそういう言葉が口をつく。

ロビーに行ってみると、緋毛氈と座布団が床に敷かれていて、まさに投扇興が行われている最中だった。

なるほど、ぱっと見ただけでルールがわかる簡単なものだ。

扇子を投げ、前方にある「枕」と呼ばれる木製の台の上に乗った的を落とすというものだ。的は「蝶」と呼ばれているようで、鈴が取り付けられている。うまいこと扇が蝶に当たると、チリン、と蝶が鳴る。

枕の傍らには宿のスタッフさんがメモを手に審判をやっていて、一投ごとに何やら難しい言葉で採点していらっしゃる。あれ?「当たればオッケー」じゃないのか。どうやら、当たり方によって「技」の名前があって、そして得点がつくらしい。いかにも日本的様式美じゃないか。面白い。

投扇興銘定見立て表、というのがあった。うわ、思ったよりすごい。かなりの数のパターンが想定されていて、それぞれに百人一首の一節が名付けられ、難易度に応じて得点がつけられている。

一番多いパターンであろう、扇子が蝶に当たらなかった場合は「ほととぎす」といってゼロ点。むしろ、枕に扇子が当たって枕をひっくり返してしまった場合はマイナス30点。

ほかは、「蝶に当てて、蝶が扇子の上に乗った状態で落下した」とか、「扇子が枕の上に乗った」とか、「扇子が枕にもたれかかった状態で静止した」とか、まあ本当にいろいろなパターンを思いつくものだ、というくらい評価ポイントがあって、得点も違う。

じゃあ最高得点は何なんや?と思って調べてみたら、扇子が枕の上に乗っかた状態でストップし、蝶が扇子の骨組みのところに引っかかって吊り下がった状態「御垣守」50点だった。こんなん、麻雀で言うところの国士無双みたいなものだ。そう簡単には出せない技だ。

だからこそ、一回でも枕をひっくり返してマイナス30点を叩き出しちゃうと、そこから挽回がきかないということだ。枕を倒すだなんて無粋者、ということなんだろう。この遊びを嗜む人は、せめて枕を倒さないくらいのスキルを持っているべき、という考えなんだろう。

19:50
投扇興をやってみたかったのだけど、同じ方がずっと楽しんでいて空きが出そうになかったので、諦めて部屋に戻る。いいや、僕らは部屋飲みで蝶のように気持ちを舞い上げるのさ。

買ってきたお酒は「谷川岳」。さんざん試飲して悩み抜いた結果、この一本!とセレクトしたものだ。

谷川岳吟醸おりがらみ涼。

最近、僕の周辺ではおりがらみの清酒が人気だ。毎年恒例の「のっとれ!松代城」に行くときも、大抵にごった酒が用意されている。

お酒を辞めて相当時間が経つ僕は、この手のお酒がどういう味だったか、ぜんぜん覚えていない。大学時代、深夜2時3時頃の「村さ来」でにごり酒を頼んでかなりイイカンジに酔っ払ってたところで記憶が止まっている。

それはともかく、みんな楽しくお酒を飲んでいてなにより。

話題は明日の登山。果たして登れるのかどうか、と。登れなかったとしたら完全にノーアイディアだけど、まあその時はその時だ、ということで一応の決着がついた。いや、何も決まっていないんだけれど。

21:24
良いお酒とはいえ、永遠に飲み続けられるものではない。お酒は眠気を誘う。相方さんが、睡魔・・・というと言い方が悪いか、この場合は睡神・・・に魅入られ、そのまま眠りにお入り遊ばした。本日これにて強制終了。

22:45
そのまましばらく宴会は続いたけど、きりのよいところでお開きとなった。

一人お酒を飲んでおらず元気な僕は、このあと「寝る前に一発仕込んでおくか!」とばかりにお風呂に向かい、より一層さっぱりしてご帰還。

帰還してみると、酒臭い皆様が酒と体液と肉体とを渾然一体とさせつつ眠りについていらっしゃった。みんな今朝は早かったからなぁ。金曜夜まで仕事して、土曜日早朝出発で、結果的に山登りはできなかったわけだから。

僕もそれに追随するかたちで、おやすみなさい。

2018年06月30日(日) 2日目

06:52
ものども出会え出会え出会え。

今日という今日は登山だ、日光白根山にマウントするぞ。なので、「せっかくの日曜日なのでのんびり過ごすんだ」なんてことはなく、むしろ早起きをしなくちゃいけないんだ。

日本の皆様おはよーーーございまーーーす。

朝風呂だって入らなくちゃ、ってことになると、必然的に朝が早くなる。昨晩、早めに就寝しておいてよかった。

ほら見ろ、外はいい天気だ。今日は登山日和であってほしいものだな。

登山日和ってことは、朝飯日和ってことでもある。これはもう地球始まって以来の摂理だ。今更それに異を唱える人は誰もいないだろう。

しかし、地球始まって以来何十億年という時間が経ったけど、「朝食ビュッフェ」なんて概念が定着したのはほんの僅かな期間だ。地球規模で考えたら、まばたきレベルでさえない。

だからこそ、しみじみと食べようではないか、朝ごはんを。少しでも、記憶と記録に留めるために。

結局、「よし、メシを食うぞ」ということ以上のことは何一つ言っていないんだけれど。

おかゆ、食べるよねぇ。旅館のビュッフェだと。

逆に、自宅だとかお店でおかゆは食べない。大人になってからの人生で、おかゆを食べた回数というのは数えるほどしかないけど、その大半が「旅館の朝食ビュッフェ」だと思う。

毎回悩むんだよな、白米でバーンとおかずを食べようか、それともおかゆをしみじみと食べようか、と。同じ白米であっても、おかゆなのか炊いたご飯なのかによって、あうおかず・あわないおかずの組み合わせが異なるんだよな。

銀シャリを選ぶか、おかゆを頼むかを決める際は、サササッとその他おかずのラインナップに目線をやり、「よし、今日はおかゆでイケる」などと判定する。

ちなみにこの日のジャッジメントは、「おかゆではなく、ご飯」だ。おかずがそう僕に囁きかけたんだ。「おまえにゃおかゆはまだ早ぇよ」と。

それにしても、さっきから何枚か、料理カウンターの写真を撮っているけど資料的価値はほぼ皆無だな。何が並んでいるのか、全然写真からはわからない。カウンター全景を撮影しようとして斜めから撮影するので、遠くがよく見えなくなっているからだ。

デザートコーナーは比較的ラクなアングルで撮影できるから、1枚で。

でも、だからといってこれを撮影して何の意味があるのか、と我ながら思う。

ケーキがあるぞケーキが。食後にコーヒーをいただきつつケーキとか楽しめるぞ。

でも、毎回おかずをとりすぎて、デザートにたどり着けないのが身から出たサビだ。

ちょっとした僕の憧れとして、「朝食ビュッフェを、シリアルメインで構成する」ということだ。

鮭の塩焼きだの焼きそばだの、おかずをたくさん取っていたら到底シリアルには至らない。塩辛いおかずというのは、やはりご飯とよく合う。

だからこそ、物憂げな顔をしつつ、シリアルに牛乳を無造作にかけ、それを頬張りつつちょと1品2品追加でおかずを、というスタイルに憧れるゥゥ。たぶん僕にとっては無理だけど。もし僕がそういう境地に達したとすると、老衰で食事が喉を通らなくなった証拠で、いますぐ病院に行ったほうが良い事象だ。

お恥ずかしながら料理をたくさん取ってきてしまいました。

クロワッサンの隣に鮭の塩焼き、その横にヤングコーンが置いてあるというカオスっぷり。しかもお皿が2皿。

クロワッサンの上に目をやると、納豆、そしてコーンスープという無節操にもほどがある有様。

コーンスープの右隣は空白地帯になってケチャップだけが垂らしてある。これは、「ビュッフェ料理を全部いただくぞ」と勢い込んで、1つの区切りに料理を2品から3品押し込んでいった結果、最後になってスペースが余ってしまったものだ。「節度をわきまえた結果、空きスペースができた」のではない。「節操なく料理を盛りすぎた結果、空きスペースができた」という己の卑しさゆえの事象だ。

ついでに一言申し添えておきます。クロワッサンを取ってきているので洋食なのかな、と思いきや、写真右上にはてんこ盛りのご飯があるということを自白しておきます。

(つづく)

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