16:01
苗場山の下りは、ひたすら苦しかった。捻挫した右足をかばうために、捻挫のきっかけとなったポールをより一層使わないといけなくなった。でもこれ以上の転倒はできない。そうすると、ポールを持つ腕にも力が入る。
そして、標高が下がるほど、緑も増えてきて視界が悪くなり、爽快さがなくなってしまった。我慢し続けるしかない。
それにしても呆れるのが、誰かが「登山道がぬかるまないように、道の上に石を転がしておいてあげよう」と気を利かせたのか?というくらい、ひたすら岩場が続くことだ。周りは苔やら草木が生えているのに、なんでここだけ・・・と恨みの嘆息が出る。
大きな段差は少ないものの、一歩一歩が「滑らないように」「バランスが崩れないように」と慎重になる。特に、下山ともなると筋肉がかなり疲れている。疲れているからこそ、これまで以上に筋肉に負担をかける踏ん張りが必要になるという有様だ。
16:02
下ノ芝。
予定よりも随分と遅れた。ここから標準コースタイムは50分で和田小屋。到着は17時を回りそうだ。
タバコ休憩をとっている二人を後目に、僕は携帯電話をあっちこっちに向けてなんとかして電波をキャッチし、タクシー会社に電話をしようとしていた。しかし、まだここでも電波が入らない。
登山口にタクシーを呼ぶ、というのは有名な山がある界隈では当たり前のことだろう。タクシー会社だって慣れっこだ。だから少々遅れても怒られはしないだろうけど、かといって延々と待たせるのはマナー違反だし、そもそも待たせすぎると「まさか遭難?」と心配されて通報事案になってしまう。
だから、時間に余裕をもってタクシーを予約していたのだけれど、それよりももっと時間がかかってしまっている。これは予想外だった。
僕が足をくじいたから、というのはさほど大きな遅延理由ではなさそうだ。三人揃って、ペースが遅いから。そしてみんな口を揃えて、この登山道の石の邪悪さをぼやいていた。
17:14
下山を続けながら携帯を手にし、ようやく電波が入ったところでタクシー会社に連絡。下山予定時刻が遅れる、と伝えておいた。これで一安心。社会的責任は果たした感はある。
とはいえ、自分の足はいつ駄目になるかわかったもんじゃない。一旦ここで靴の紐を緩めて、足首の様子を観察しよう・・・なんてやったら、次は靴がはけなくなるんじゃないか?という気がする。
捻挫の際の応急処置として「RICE」という言葉がある。「Rest:休息」「Icing:冷却」「Compression:圧迫」「Elevesion:挙上」が、やるべきことの4大項目というわけだ。
このうち今できるのは「圧迫」だけだ。それ以外はできない。で、圧迫といっても登山靴をギュウギュウにきつく締め上げるくらいのことしかできない。あともう少しだ、あともう少しだ。
三人で隊列を組んで、「もうすぐだぞ!」と声をかけあいながら、ヨレヨレになりつつ前に進む。
17時過ぎてもまだ下山できないか、やっぱり・・・と思っていたら、17時14分ようやくゲレンデに到着。よかった、無事だった。
あー、和田小屋の前、まさに登山口のところにタクシーが横付けになっている。遅れるって連絡はしていたけど、早めにタクシーは来てくれたんだ。そりゃそうだよな、連絡が遅くなって、迎えのタクシーは営業所を出撃した後だろうから。ごめんなさい、遅くなりました。
17:19
そんなわけで、登山口で記念撮影。みんなヘロヘロ。
タクシーの運転手さんを待たせるわけにはいかないので、登山口で写真撮影次第すぐに撤収。タクシーに乗り込む。「お疲れさまでした」の挨拶はタクシーの中で。
18:10
壮絶な登山だった。
はっきり言おう。苗場山そのものは素晴らしい山だけど、同じルートではもうこりごりだ。快晴で最高の天気!というならワンチャンありかもしれないけれど、苗場山に対してネガティブな印象が強く残った。そりゃそうだ、僕は足を捻挫したのだから。しかもずぶ濡れで。
痛みは思ったよりなく、歩けてもいるから比較的平穏だ。軽症で済んでよかった。歩けなくなっていたら、たいへんだった。まゆみさん、相方さんに僕を担ぎ上げて下界まで搬送するだけの技術と体力はないので、救助要請を出すことになりかねなかった。
タクシーでは、越後湯沢駅ではなくその手前のレンタカー店で下ろしてもらった。ここから明日午後までは、新潟観光タイムだ。その気になれば今日中に東京に戻ることだってできるけれど、登山のあとのご褒美って大事。温泉宿に一泊、というのは最高のご褒美だ。これがもし「ビジホ」だったら、ご褒美感は1/2~2/3程度になるかな。
レンタカーに乗り換えて到着したのが、「高半」というお宿だ。
越後湯沢の温泉街のなかでは最果てに近いところにあり、ガーラ湯沢がほど近い。
ここにしたのは、越後湯沢の共同浴場の中でも、硫化水素臭がしてイイカンジの「山の湯」と同じ源泉を使っている(たぶん)からだ。折角だから、いい湯に浸かりたい。
それと、この宿には恩がある。
僕がよこさんと2014年に初めて雪中鉄人レース「のっとれ!松代城」に参戦したとき、この宿の送迎バスに乗せてもらったからだ。
山の湯から越後湯沢駅まで徒歩30分ほど。タクシーを呼ぼうとしたけれど、越後湯沢界隈のすべてのタクシー会社に断られて途方にくれつつとぼとぼと駅に向けて歩いていたら、ここの宿の送迎車が声をかけてくださり、駅まで無償で送ってくれた。
このときのご恩はいつの日か返したい、と願っていたけど、4年越しでようやくその想いを果たすことができた。ここに宿泊できて光栄です。
しかしまあ、いざ宿に到着してみてびびりましたよ。でかい!
越後湯沢の宿はデカい宿がドスンドスンと並んでいるけれど、ここもデカくて立派だ。
木のベンチがゴロンとロビーに設置されている。これって、おそらく昔どこかの大きなお屋敷や神社仏閣の梁として使われていたものだろう。
「ホテル内にエスカレーターがある」という段階で、僕は畏怖する。
あと、一階フロントからそのままエレベーターで階上のお部屋にどうぞ!・・・ではなく、一旦エスカレーターで上の階に上がるというのがとてもイイ。ワクワクする。
というのも、この建物は「そういう構造にならざるをえない、山の斜面に作られた建物」だからだ。
フロントがある建物と、宿泊部屋がある建物とは垂直位置がズレているのだろう。
上善如水の一斗樽、発見。
90年代後半、本当に東京中の居酒屋をこの銘柄が席巻していたな。淡麗辛口ブームとともに、「本当に水みたいに飲める」このお酒は珍重された。そして、古いワープロでタイピングしたかのような、ガタガタなフォントはむしろ新しく感じたものだ。なにしろ、日本酒っていうのは毛筆でビシッと書く、という風潮の時代だったから。
で、時は流れて今は東京でこのお酒を見る機会は減った。それと入れ替わりに山口県の獺祭がもてはやされるんだから、本当に食の流行というのは早い。
で、上善如水の一斗樽は初めて見たんだけど、ここも見事にガタガタフォントで、楽しくなった。いいねこれ。
ちなみに上善如水は越後湯沢駅ほど近くに酒蔵がある。土日は酒蔵見学ができないので残念。いつか訪れてみたいものだけれど。
旅館のレイアウト。
こういうのを見てワクワクするのは特殊性癖なのだろうか。僕は嬉しいね、建物がマッチ箱みたいに真四角になっていない理由を、あれこれ考えてしまう。
あと、ホテル内を探検して、リネン運搬用のエレベーターとか見て興奮もする。
これを見ると、フロントはあくまでも「LF」という階で、エスカレーターで登った大浴場などがある場所が1階、という位置づけらしい。
(つづく)
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