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14:06
「魚沼の里」内にある「八海山雪室」にやってきた。
https://www.uonuma-no-sato.jp/facility/yukimuro/
お酒や酒肴を売る「雪室千年こうじや」をはじめとし、「キッチン雑貨okatte」「ユキムロカフェ」などいろいろな施設が入っている建物。もちろん、お酒の貯蔵を行っている雪室が施設のメインで、その見学ツアーもある。
しかし、定時開催の見学ツアーには間に合わなかったので、僕らはツアー参加は諦めてお店を見て回ることにした。
14:14
試飲カウンターで八海山シリーズのお酒をテイスティングする。
相方さんが「お酒はいいですよ、このあともハンドル握りますよ。おかでんさん、足が痛いじゃないですか」と気を遣ってくれたけど、僕としてはここに来たからにはぜひあれこれ飲んでいただきたい。試していただきたい。足の痛みなんてたいしたことはないので、相方さんから車の鍵をいただき、「さあどうぞどうぞ」と大いに試飲してもらった。
実際問題、足はどんどん動かなくなってきている気配だけど、よちよち歩きになるほどではないし、杖が必要なわけでもない。渋滞に巻き込まれた際に、アクセルとブレーキをこまめに踏むという動作は、今この状況ではやりたくない。でも、越後湯沢の道なら、そのような渋滞はないので安心だ。
夫婦の二人は、今晩の晩酌をどうするか、真剣にスタッフの方と相談しつつ、吟味していた。このあと二人は同じ屋根の下に帰る。そこで何を飲むのか、というのは共通の課題だ。旅の思い出を決める、大事な酒となるだろう。
猿倉山ビール醸造所で作られた「ライディーンビール」各種が並んでいた。目立つラベルデザインで、八海山の新しい風を見た。
ビール好きならあれもこれも、と買いたくなるところだけど、お酒、特にビールという飲み物は調子に乗って買っても重たい・かさばるものなのなので扱いが難しい。
15:14
レンタカーを返却し、越後湯沢駅に戻ってきた。
まずは帰りの新幹線を手配する。日曜日午後だし、台風接近中だし、新幹線は満席になるかもしれないと心配したが、いまのところその心配はいらなかった。
小一時間先の新幹線の席を確保し、越後湯沢の駅舎内にある「ぽん酒館」に行く。おちょこ1杯100円~、で新潟中のお酒がテイスティングできる場所だ。
昔は100円均一だったけれど、今じゃ200円、300円でようやく1杯が飲めるものも増えた。酒蔵としては、価格帯の高い自慢の酒を紹介したいと考えて、それだったら100円では出せない、ということなのだろう。
最初に500円でメダル5枚と交換してもらい、そのメダルで利き酒マシンを扱う。「5枚あるから、5杯楽しめる」と油断していたら、実は300円+100円+100円の3杯しか飲めない、ということもある。純米大吟醸酒と銘打たれたお酒などを選ぶと300円なので、その点注意。
店頭には、「月間ランキング」と「年間ランキング」が掲示されている。これを見ると、「年間」のほうが渋いチョイスで、「月間」は名前が派手なものが好まれているということがわかる。「COWBOY」なんてのは昔っからある銘柄だけど、「えっ、日本酒なのに英語?」という驚きがあって目立つ。月間ランキングに入るのは納得だ。でも年間ランキングでは出てこない。
月間ランキング1位、年間ランキング2位と大健闘なのが「上善如水 湯沢限定」。上善如水自体は、90年代のとんでもないブームを経た今となっては「ああ、懐かしいな」と思える銘柄だ。でも、そんなお酒が「湯沢限定」なんだ、と言われると「ほう?どんな味になっているのだろう?」と気になるのが人間の性だ。わかる、わかるぞその気持ち。僕はお酒を飲まないけれど。
なお、僕がお酒を飲んでいたはるか昔は、「うおおお、ぽん酒館に行くと『越乃寒梅』が当たり前のように飲めるぞ!」と興奮して、当時希少価値があった越乃寒梅に群がったものだ。しかし今じゃ、すっかり珍しくないお酒になっている。ホームセンターのお酒売り場に山積みになっているくらいだ。
それでも、8月の月間ランキング10位に入っている、というのはなんだか嬉しくなった。新しい風を吹き込むお酒にも頑張ってほしいが、昔からのお酒にも頑張ってほしい。
最近のお酒は、どんどんスピリチュアルな方向に向かっていって、制作秘話的な物語性が売りの一つになっている。時代とともに消費者のニーズは変わる。それに翻弄されないように、老舗は老舗なりに踏ん張って欲しい。
物販コーナーで、「変わりしょうゆ イタリアン醤油」というのがあった。なんだそれ。
舐めてみたら、イタリアンドレッシング味の醤油だった。なるほどだからイタリアンなのか。
新幹線がやってきた。これに乗って台風接近中の東京に戻ろう。
車中で早速宴会。お疲れさまでした。今回は初日が雨の中の苗場山登山、二日目がドライブと毛色の違う旅行となったけど、楽しかった。ただ、やっぱり登山は晴れている時に限る。ピークハントにこだわった結果、登れたけれど怪我をしてしまったし、やたらと疲弊した。
とはいえ、ちゃんと二本足で歩いて帰ることができてよかった。登山靴のおかげで、骨折は免れたらしい。
21:50
とはいえ、あまり状態が良いわけではない。
帰宅後、「以前足首用サポーターを買ったことがあったよな・・・」と荷物をひっくり返し、サポーターを引っ張り出してきた。これで患部を圧迫しよう。
ついでに、膝が少々痛むし、グラグラする気がする。ひょっとしたら足首を捻った際、膝の靭帯もダメージを受けたのかもしれない。なので、膝にもサポーターを装着してみた。
一体いつ買ったサポーターだ?と思って調べてみたら、2004年鳥海山登山の際に買ったものだった。
物持ちがいいなあ。14年前のものだよ。
10月1日。
翌日、サポーターを外してみたところ。ああ、なにか全体的にむくんでいる。なんだか、うっ血している感じ。単なるデブの足、のように見えるけれど・・・
左右比較してみたところ。ほら。右足のほうが腫れ上がっている。
しかもなんでか黄色いぞ?左足の血色と、明らかに違う。なにこれ気持ち悪い。ブラジル産の冷凍鶏肉の脂肪部分みたいだ。
痛みはさすがにそれなりにある。激痛ではないけれど。
事故後3日目。
捻挫した足がぱんぱんに腫れてしまった。すねのあたりから、爆心地の足首、そして足の指の根元まで。しびれと、軽い痛みがある。
激痛はないんだけれど、足が腫れて右足が地面にちゃんと着地できない。これではまともに歩けない。
会社に行こうとしたけれど、最寄り駅に向かう階段がどうしても登れず、ギブアップ。家でテレワークすることになった。まさか階段が登れなくなるとは。
横から写真を撮ってみて納得だ、もう、足の裏が腫れちゃって、指が地面から完全に浮いちゃってるもの。
そして、ただでさえ甲高の僕の足は、さらに甲高に。金太郎の日本人形の足みたいになってしまった。
くるぶしの下あたりは広い範囲で内出血。すねのあたりもやられている。
10月5日
自力で治すほかないけれど、さすがにこの腫れにびびって整形外科を受診した。
とはいっても、特に骨には異常がないので、湿布を処方され、足首固定用のサポーターを出してもらった。
湿布を貼るったって、どこに貼ればよいのか難しい。なにせ、足全体が腫れているんだから。
お医者さんに「靭帯の損傷はありますか?」と聞いたら、お医者さんは「捻挫する、ってことは靭帯が損傷することだから」とあっけなく言われた。あ、そうなんだ。筋肉が無理に引っ張られた程度のものだと思ってた。
6日経過時点で、少しは腫れが引いてきた。変なむくみと、足の色は沈静化しつつある。
10月6日
このあと、アワレみ隊OnTheWebで「陣場山→高尾山縦走オフ」を予定していたけど、この足の負傷のために開催を断念した。そのかわり、足を引きずりながら、変更となった「高尾山ビアマウントオフ会」で飲み食いした。
写真は、オットマンの上に足を投げ出してなすすべなく過ごしているところ。くるぶしの内外に1枚ずつ、そしてだんだんと足の甲がしびれるような痛みが出てきたので足の甲にも1枚。合計3枚。その上にゴム製のサポーターをバッテンになる形でくるぶしに固定し、足首がグラグラしないように補強した。
くるぶしの痛み自体はほどなく引いたけど、痛みはだんだんと足指のほうに向かっていき、足の甲から指にかけて痛みが抜けていったのは1か月以上かかった。なかなか大変だ。
整形外科の先生は言う。
「捻挫はクセになりますからね。捻挫すると靭帯が緩んでしまうので、また捻挫しやすくなります。今治っていない間にもう一度捻挫したら、本当にクセになりますので、この一ヶ月は特に慎重に過ごしてください」
そんなわけで、びびりながら過ごした一ヶ月だった。確かに、以前から右足は捻りやすかった。今後もそれは登山に限らず、日常生活で影を落とすのだろう。気をつけて生きていかなければ。
これからの人生について考えさせられる、そんな怪我の登山となった。
(この項おわり)
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