
明神から上高地まで、梓川右岸の道を歩く。
9月に起きた地震の影響で、土砂崩れが起きた場所だ。
今は復旧し、歩けるようになったが、元通りにはなっていない。
たとえばこの写真。前方をハイカーが歩いているが、本来はここは明神や徳沢、または工事の関係者が通る車道だ。人は歩かないでくれ、という場所なのだが、歩道が「崩落の恐れあり」のため、暫定的に車道を歩いて良いことになっている。

明神岳の崖が崩れ、ガレ場になっている。
歩道のところだけ石を除去し、人が通れるようになっている。生々しい。

岳沢の分岐。
ここを右に行くと、岳沢を経由して前穂高岳、そして奥穂高岳へと通じる。
弊息子タケの名前の由来なので、ここで記念撮影。

岳沢に通じる道。ちょっと感慨深く眺めてしまう。他の人からしたら、ただの登山道だけど。
「もう一度岳沢を訪れることはあるのだろうか?いや、多分ないだろうな」と思う。たとえタケが大きくなって、「お父さん、岳沢(または奥穂高岳)に行きたい」と言ったとしても、それはまだ最低でも15年後だろう。その頃の僕は、すっかり足腰が弱っているはずだ。
たとえタケが山好きの少年に育ったとしても、親子登山ができる機会はほとんどなさそうだ。とても残念だ。親子キャンプで我慢しよう。

木々の隙間に黄色いものが見えるので近づいてみたら、重機だった。
崩れた場所の修復を行っているのだった。
早くしないと、雪でこのエリアは閉ざされてしまう。そして春はGWまで雪で覆われたままだ。

河童橋付近に戻ってきた。
改めてここから岳沢を見上げる。やあ、相変わらず素晴らしい景色だ。
ほとんどの観光客は、河童橋の上からか、河童橋のたもと・五千尺ホテルの前で岳沢の写真を撮る。でも、実際に岳沢が美しく撮れるのは別の場所だ。
バスターミナルからだと、河童橋を越えて右側、ホテル白樺荘脇の梓川沿いにある「白樺展望台」のほうが岳沢を正面に見ることができて迫力が増す。
ほんのちょっとの距離だけど、印象が変わる、と僕は思っている。

上高地バスターミナル。
昨年(2020年)に訪れたときは、このベンチと椅子は使えないようにしてあったのだが、今年はまた使えるようになっている。2021年はまだまだコロナ流行真っ盛りの日々だが、それでも少しずつ「withコロナ」という言葉とともに人々は日常生活に向け生活をもとに戻しつつある。

お昼ごはんを食べに、バスターミナル2階の「上高地食堂」に行く。松本市営の食堂、という面白い存在。
昨日の朝、上高地入りしたときには「さすが10月末だ、人が少ないぞ」と思ったものだが、なんやかんやで今日はあちこちで多くの人を見かける。コロナでも大人気の上高地だ。
むしろコロナ流行によって、「遊びに行くなら人混みが多い都会ではなく、自然豊かな場所」という判断をしている人が結構いると思う。で、その結果自然豊かなところが人混みになる。

河童の絵が描かれた、マスクケースが支給された。
食事中にマスクを外した際は、この中にマスクを入れてくださいね、というものだ。
心配りとも言えるし、ひねくれた考え方をすると「お前の飛沫がたっぷりついたマスクを、テーブルの上に置くなよ?テーブルが汚れるだろ?」というお店側の都合であるとも言える。

家族であっても、アクリル板を挟んでの食事。
あるで拘置所や刑務所で接見をするドラマのようだ。

山賊焼き定食1,500円。
上高地界隈で飲食をすると、あらゆるものが高く付く。場所柄仕方がないのでその高価格に文句はないのだけど、せめて高いお金を払ったなりに満足感・満腹感が欲しい。
そんなとき、この山賊焼きはとてもありがたい。上高地食堂に限らず、どこのお店においても山賊焼きは正義だ。食後、「ああ、食べたなあ」という気持ちになれるから。
山賊焼きが松本界隈でメジャーな存在になったのはそんなに昔の話ではない。以前は、岡谷とか塩尻あたりのローカルフードだったはずだ。それがいつの間にか、松本も山賊焼きのテリトリーに入るようになった。良い時代になったものだ。

一方、ヘルシー志向のいしは山菜そばを注文していた。値段不明。
山菜、といっても上高地ではまったく収穫できない。なにせ国立公園だから。なので、山菜そばを食べたからといって旅情もへったくれもない。
とはいえ、それを言ったら僕が食べている山賊焼きも、いや、あらゆる食材は現地で採れたものがない。全て下界から運び上げたものだ。
ものすごい環境負荷をかけたものを食べながら、「いやあ、自然っていいなあ」とか言っちゃってる自分の欺瞞に、やや自己嫌悪する。
(つづく)
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