
18:49
夕食時間になったので、食堂に向かう。

食堂の入口に、「アクリル板が必要な方は、食堂係員までお申し付けくださいませ。」という掲示があった。
ほう、なるほど。
つまり、この宿では食事の席では常時アクリル板設置、というわけではない。必要ならばご用意しますよ、というスタンスだった。
同じ部屋に寝泊まりしている人同士が同じ食卓を囲むわけで、今更アクリル板はいらないだろ・・・という理由もあるだろうし、お酒のお酌をする際にアクリル板が邪魔だ、というのも理由の一つだろう。
そういえば僕、コロナが流行してから飲酒の席に(おそらく)一度もでていないと思う。なので、「まあまあ、一杯どうぞ」という注ぎつ注がれつのお酌文化を最近見る機会がない。コロナ時代の間はどうなっているのだろう?「黙食」かつ「手酌」が徹底されているのだろうか?

そんな世界とは無関係なのが、塀息子タケ。
なにせ母親のおっぱいしか口にしない。離乳食を試験的に食べたことはあるが、彼の主食にはなっていない。
そんな彼が偉そうに椅子に座っているが、食べるものは当然なく、両親がパクパク宿料理に舌鼓を打っているのをひたすら眺めるしかない。飽きたら、泣く。

この日のお品書き。
たくさんの料理が出てきて、僕らウキウキですよ。だって、鴨鍋が出てきたと思ったら岩魚の塩焼きだし、その次にカニだ。たまらん。もちろん、地元の蕎麦もおコメも楽しみだし。

岩魚の塩焼きを前に、「なんだこれは?」と怪訝そうな顔をするタケ。
彼は左眉の根本をちょっと膨らませ、しかめっ面するクセがある。その表情だ。
もちろん、初めて見た岩魚に対して関心をいだいたのは事実だろうが、「怪訝に思った」というのは親から見た創作だろう。赤ちゃんにとって、この世の中すべてのものは知らないものだ。いちいち「怪訝に思う」なんてしていられない。「へえ、そういうものなのか」という程度の軽い気持ちで、どんどん森羅万象をスルーしていくはずだ。

でも、お陰様で知識と経験を積んだ大人の僕ら夫婦は、この料理をありがたく感じつつ「美味しいねえ」と微笑みつつ、食べるのであった。

夕食後、部屋でタケと戯れる。
「いいかタケ、明日はお前の名前の由来となった穂高岳や岳沢を見にいくんだぞ」
と教えても、もちろん彼はきょとんとしている。
そのかわりに、持参した風船を膨らませて、眼の前でポーンポーンと跳ねて見せると、その風船に夢中になっていた。まだズリバイも満足にできない年頃なので、あんまり風船を派手に動かすとだめだ。スピードが早いと、すぐに見失うし。
生後7ヶ月ということで、遊び相手になるという点ではすごく楽だ。なにせヤツは動き回らない。
ただし、理不尽に泣く。そしておっぱい、ウンチシッコだ。

しかし体力がまだ備わっていないので、ちょっと遊んでやるとそのまま大人しく寝てくれた。
なれない環境、そして今日一日の大移動で気持ちが昂って眠れない・・・なんてことはなく、ストンと寝た。
宿がご丁寧におねしょシーツを貸してくれるとのことだったが、我が家も自宅から防水シーツを持参していたので、それを敷いてタケを寝かせた。

温泉宿に泊まるといえば、「チェックインからチェックアウトまで、何度繰り返して入浴できるか?」というのが僕のライフワークだ。
弊息子が寝静まってから、風呂に向かう。とにかく「息子見張り番」が部屋に一人いないといけないので、風呂は交代交代だ。
寝静まるのを待たずに僕が風呂に行っても良いのだけど、できるだけ子どもの寝姿を見ておきたい僕は、彼が寝落ちするまで部屋に居残っていた。タケは僕が添い寝をしようとしてもなかなか応じようとせず、いつもいしを求める。そして、寝る部屋が一緒であることも嫌がる。その結果、僕は彼の寝姿を殆ど見たことがない。
この状況は、彼がそろそろ4歳を迎える2025年春においても変わらず、僕はこれまで彼の寝ている姿を観察する機会が殆どないまま今に至る。帰省中や旅行中など、家族全員が一つの部屋で寝ることもあるのだが、そのときはいしがタケを抱き枕のように抱え込んでいる。お陰で、夜中にこっそりタケの寝顔を見ようと思ってもみることが難しいのだった。
父親って、悲しい。
(つづく)
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