ただいま、わが愛しの山小屋泊【焼岳】

ガス

17:42
夕食準備が始まったために、食堂にいられなくなった僕は外をちょっとだけ散歩する。

広さに余裕がある山小屋の場合、「寝る部屋」「食堂」「談話室」「トイレ」という間取りになっている。さらに余裕があるなら、濡れたウェアを干すための「乾燥室」を備えている。

しかしこのこじんまりした焼岳小屋の場合、「談話室」という概念がない。「トイレ」は別棟だ。さらに僕は「寝る場所=食堂」なので、食堂がふさがってしまうと完全に居場所がなくなってしまうのだった。

峠沢の方に行ってみる。

確かに、峠沢に行くと、ドコモのアンテナが立つことが分かった。ただし、山に行ってまでネットサーフィンするのは残念なので、天気予報だけ確認してスマホは片付けた。

道

17:45
峠沢界隈の登山道。

「分岐があってわかりにくい」とここを登ってきたときに感じたけど、あらためて見てもやっぱり分岐がある。もちろん、正しいルートは踏み跡がしっかりしているので間違えることはない。しかし、仲間とわいわい盛り上がりながら登っている人は、うっかり道を誤るかもしれない。

とはいっても、このわき道はまた本筋の道に戻ってくる「単なる大回りルート」っぽい。間違ってもそんなにダメージはないと思う。わざわざ歩いて確認はしていないけれど。

岩

峠沢から小屋に通じる道。

薄い表示

よく見ると、登山道傍らの岩に

「小屋 121歩⇒」

と白ペンキで書き込まれていた。既に色が薄くなってきていて、登ってきている最中は気づかなかった。

夕食

18:24
お楽しみ夕食タイム。

久しぶりだ、山小屋メシを食べるのは!

最後に食べたのが、あの独特すぎる農鳥小屋のメシだったので、なんとも隔世の感がある。

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本来、夕食に向けて己の心を整え、テンションを高めていくものだ。これは山小屋に限らず、温泉旅館でもどこでもそうだ。しかし今回は、安住の地がなくて屋外でダラダラ待機することになったため、なんだか昂ぶりがない。いかんな、もっと「ウヒョー!」とか「アヒャアア!」みたいな奇声を発しつつ、夕食に臨まないと。

やっぱりお酒をやめると、こういうところがいまいち弱い。テンションを上げづらい。登山の起承転結を作りづらい。しょうがないけれど。

夕食は、山小屋ならではのお皿で嬉しくなってしまう。皿数をできるだけ少なくし、上げ膳下げ膳の手間を省く・洗い物を減らす・収納スペースをコンパクトにすることができる。その結果、ワンプレートでおかず類を全部盛るスタイルをとる山小屋は多い。

食堂は薄暗い。カメラで撮影すると、ずいぶんと陰気な食事みたいになってしまった。

メインディッシュは豚肉の生姜炒め。それに卵焼きなどの脇役が添えられている。冷蔵・冷凍技術が進歩したので、いろいろな料理が山小屋で提供できるようになった。卵焼きなんて、小屋で作っているわけはないので、下界から運び上げているのだろう。

ヘリコプター搬送をしているのか、人力で運び上げているのかは不明。

そういえば、宅配便業界をはじめとして日本全国、人手不足が深刻だ。山小屋に荷物を運びあげるボッカの仕事なんて、特に人手が足りなくなりそうだ。いずれ、ヘリコプターによる荷揚げができない山小屋は、営業を縮小・廃止する時代がやってくるかもしれない。しかもそれは遠い未来ではなく、比較的近くに。

やべえな、だとしたら大規模じゃない山小屋を使う登山ルートは、早めに踏破していかないと。

月が出た

19:51
夕食までは、ひたすら無口を貫いていた僕だったけど、つい夕食時に同じテーブルの人たちと喋ってしまった。

若い男女がいる。まだ20代前半のカップルだ。話を聞いてみると、インカレの登山サークルであり、カップルではないと苦笑しながら否定された。本当はもっと多くの仲間と登るはずだったのだけど、悪天候だからか参加者が減り、結局二人だけで今に至る。

ええ感じやないか、と余計なことを思ったけど、余計な炊きつけはやめておいた。

それはともかく、今回あらためて周囲を見渡して、「ああ、時代は変わったな」という気がした。というのは、以前の山は僕が「姥捨て山」と形容するくらい、ジジババが多かった。団塊世代が老後の楽しみとして山に繰り出していたのだと思う。

しかし今や、お年寄りの数は減ってきている。逆に若い人の数が増えている。ちょっと前まで「登山はオワコン」だと思っていたのに、意外や、復権しているぞ。

恐らく、団塊世代はもう足腰が動かなくなってきているのだろう。なにせ70歳を越えているのだから。人間の摂理として、当然のことだ。

その代わりに、1974年生まれの僕が、山の中では平均年齢を押し上げる立場になりつつあることを知った。急激に世代交代が進んでいる印象だ。

夜の焼岳小屋

医学部の学生さんだという二人の話を聞かせてもらいながら、しばらく時間をすごす。

すると、また食堂から退去命令。今度は布団を敷くのだという。ああそうか、机の隙間に寝袋を並べる、というわけではなく、本格的に机をどけて、布団を敷くのか。

まさか山小屋で、布団の上げ下げをやってもらえるとは。たぶんこんな山小屋はめったにない。普通なら、セルフ・・・というか、布団は敷きっぱなしだから。
あれ?

ちょっと待て、布団ってどこにある?

この食堂の傍らに押入れなんて、存在しない。布団が物理的に格納される場所が、そもそも存在しない。どうするんだろう?これから。

食堂撤収

19:59
何が始まるのかと思って、山小屋の入り口に留まって食堂(跡)の様子を観察することにした。

すると、スタッフさんは食堂の窓をガラリと開け、もう一人は建物の外に出て行った。あっ、外にあるのか!

小屋とトイレの間に、ビニールハウス風のかまぼこ型テントがあったけど、これが「押入れ」なのだった。

斬新過ぎる。布団が小屋の外で保管されているだなんて。

それだけ、小屋が狭いということだ。

バケツリレー方式で、どんどん布団が食堂(跡)に運び込まれていく。食卓は、まだそのまま。なぜなら、布団を運び込んだ後に机をテントに移動させるから。

布団が敷かれる

布団を運び込んだあと、机を外に運び出し、そこから布団敷きを開始。

奥から順にバンバン布団を敷いていけばオッケー、というわけではないらしい。しきりにスタッフの方は思案しつつ、時には計算するようなしぐさもしながら布団を並べていく。

布団のサイズにあわせた間取りではないので、単純にずらーっと布団を並べられるわけではないからだ。若干、パズル的な並べ方になる。

布団完了

20:17
布団敷きほぼ完了。

見ての通り、スタッフの方の尽力により比較的ゆったりしたスペースが一人一人に確保できた。

もしこれが、スタッフの方が面倒がって「全員2階で寝てもらおう。1階は食堂専用として使うぞ」という判断をした場合、今頃2階は眠れないエンドレスナイトが始まっていただろう。

スタッフの方はしきりに枕の数を数えている。できうる限り均等に枕同士の距離を揃え、過不足ないようにしないとケンカの元になるからだ。

「すいません、一人分枕が足りなかったので、ちょっとここを詰めてもらえますか?」なんて後から言うのはずいぶん気まずいだろう。

2階に通じるハシゴのそばでは寝たくないな、と思っていたけど、幸い窓際を寝床にすることができた。僕のようにメガネをかけている人は、窓枠のようなでっぱりがあるスペースが枕元にあるとずいぶん助かる。そうでないと、寝ている間にメガネを見失ってしまったり、隣の人に踏み潰されることを心配することになる。

たぶん、20時半消灯だったと思う。1日目、終了。

(つづく)

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