法事と登山と深夜バス【伯耆大山】

看板

10:37
登山道の分岐以降は、山頂までひたすら木道となる。「スリップや強風に気をつけて通行してください」と看板には書いてある。そう、木道というのは「登山者が歩きやすいように」設置されているのではなく、あくまでも環境保護のためにあるわけだ。

登山道でよくあるのが、道の真ん中がえぐれてしまい、雨が降るとぬかぬむということ。もちろん人はぬかるみに突撃なんてしたくないので、それを迂回しようと登山道の端を歩くことになる。そうすると、ごつい登山靴で踏みつけられた地面の植物は枯れてしまい、時間の経過とともにそこも登山道の一部になってしまう。これを繰り返していけば、どんどん登山道は広がり、それと同時に周囲の自然が壊されていくということになる。

木道があれば、そういうことを防ぐことができる。設置にものすごく手間がかかることだし、設置後の維持管理も面倒極まりないが、そこまでしないとこの山がボロボロになると判断したのだろう。

なお、この木道だが、看板に書いてあるとおりで濡れるとすべる。どんな木でもそうだとは限らないのだと思うが、えてして木道というのはすべる存在だ。雨が降ったら足元注意、というのは登山道むき出しでも木道でも一緒だ。

木道

10:38
うひゃー。どうですお客さァァァァん!

これが山の魅力ってやつですよ。いいねいいね、テンション上がるね。いよいよ非日常空間クライマックス!って感じがする。これが8月だったら、日陰が全くないので灼熱地獄になっていたかもしれない。何しろ、標高はさほど高い山ではないので、暑いときはやっぱり暑い。しかし今は10月、すっかり快適に登ることができる季節だ。

森林限界を突破した山で、10月に入っても快適に登山ができるというのはうれしい。これが北アルプスなんぞだったら、もう一部の登山道が凍結しているので念のためアイゼン持参がよろしい、なんて話になってくる。

この時期を狙って伯耆大山に登るなんてつもりはさらさらなかったのだけど、法事ということで予想外の展開だった。知恵は使いようだな、おとなしく喪服着て実家に帰省、という発想だったら、このエクセレントタイムは得られなかった。

しかし、まだまだ気を抜いてはいけないのは事実。この後ちゃんと実家にたどり着くまでが登山だ。本来的には、「法事という一家の重大なイベント」の直前に山に登ってくる、ということであまりお行儀の良いことではない。うっかりここで怪我しました、とか帰省が遅れました、ということがあったら、「ほらみたことか!なんで法事の前に登山なんて!」と怒られることになる。

法事だからこそ得られたチャンスだが、法事だからこそ無事に帰還しなければ。間違っても、「天国にいるおばあちゃん、今そっちに行くよ」なんて考えてはいかん。そうなると法事じゃなくて葬式になってしまう。しかも自分の。

歩くおかでん

10:42
こんな木道歩きをやっていて、心が優しくならないわけがない。

こんな光景の中に身を置くうれしさから、ついつい自撮りしてしまう。目を細めているのは、まぶしいからではなくホクホク顔だからだ。

木道

10:42
ひたすらまっすぐ伸びる道。さっきまでの険しい上り坂はなんだったんだ、という光景。あれは自分の根性とか本気度合いを確認する「テスト」だったんやー、と今なら思える。獅子はわが子を千尋の谷に落として、そこから這い上がってくる子だけを愛するという。それと一緒か。

見よ!俺は千尋の谷からここまで這い登ってきたぞ!

・・・このあと、山頂を踏んだあとはまた千尋の谷に戻っていくんだけど。

のどか

10:46
これまで歩いてきた道を振り返ったところ。やあ楽しいなあ。ずっと木道が見えるよ。

看板

10:46
草原風の場所を歩いていたら、道の分岐点が現れた。Tの字になっている。左に行っても、右に行っても山頂に至る。左は最短で山頂であり、右はぐるっとこのあたりを回りこんで、石室とか見ることができるルート。とりあえず大回りルートは下山時に使うとして、今は山頂をただひたすら、無心に目指すことにする。

無心に、といっても、ついさっきまでチクショウ道が険しいぜ、とか口走っていたので、雑念交じりまくりなのだけど。

頂上の看板

10:47
頂上に広がる草原、という解説看板が登山道脇に立っていた。このあたりが草だけなのは、やはり強い風の影響なのだそうだ。まだ標高は1,700メートル程度だし、日当たりも良い。ダケカンバあたりが好んで生えそうな標高だけど、強風で種が飛ばされたり、芽を出してもへし折られたりするのだろう。

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