11:30
雄大な景色の中を歩いて下っていく。
国の天然記念物であるダイセンキャラボクを足元に従えながら、前方はくっきりと視界が広がるこの爽快感。自分は神にでもなったかのような気持ちになる。きっと今なら言えるはずだ、「お前気に食わないから死刑」とか。
ちょっと待て、神様ってそんな「死刑」みたいなみみっちいことやってるだけか。そういう発想しか出てこない自分が正直お恥ずかしい。
「この世の中すべてに幸多かれ!」とでも思わないといけないのだろう。ケッ、そんなこと言えるかよ。
11:32
おっと。登山道脇に石室(いしむろ)発見。まるでトーチカのようだ。激しい砲弾のせいで天井が崩れかけている。砲弾はウソだとしても、さすがに老朽化が著しい。
本来、ここは避難小屋といった使われ方をされていたのだろう。しかし、今となってはここからほど近い頂上直下に大きな避難小屋ができたわけで、ここを使う酔狂な人はいないと思われる。
敢えてここで一泊して、大自然に抱かれるような一晩を過ごす・・・というのは面白い体験かもしれない。ただしやっぱり近くにトイレ付き非難小屋があったら、そっちを使うよな。自分だけの問題じゃない。自分以外の、過去にお泊りあそばした諸先輩方の排泄物が臭うとかうっかり踏んじゃったとか、そういうのはイヤだ。
11:33
斜め上を見上げると、往路のときに使った木道が見えた。思ったよりぐいぐい登ってるんだな。さっき登ったときは、木道だし景色が良いし山頂目前だし、でウキウキしちゃって「こんなの平地と一緒だ」くらいの余裕っぷりだったけど。
11:37
というわけで、さっき見えた道と合流。ここから左折して、ひたすら登山口に向けて下っていくことになる。ああ、だんだん俗にまみれた、欲望と憎悪にまみれた下界に近づいていくのか。
それがイヤならこのまま直進し、ひたすらグルグルと山頂、石室、ここと回り続けることもできる。これならずっと山上の極楽のままだ。五体投地をやりながら登山道を回ってれば、いずれ悟りが開けるかもしれん。
さすがにそこまでするガッツがなかったので、諦めて左折して下山の道を選んだ。
11:38
「ドンマイ。悟りは開かないかもしれないけど、今日のお前輝いてたぜ。ほら、これでも見て元気付けな」
といわんばかりに(かなり妄想含)、大山さんは最後の良い景色を見せてくれた。ああええのう。下山時だからこそ、落ち着いて楽しめる景色だ。でも、一気に下ってしまうのでこれを楽しめる時間はごくわずか。
11:42
登山道のはるか先に、大山寺の駐車場、すなわちバス停がある場所が見える。あそこまで下るのか。パラグライダーでもつかってあそこまで滑空したいものだ、と思うが、どうやってここまでパラグライダーを運び上げるんだ?と思いを馳せ、それが自分自身の足だということに気がついた。そっとこの思いを却下。重いのヤダ。重いの反対。
11:46
大山北壁を見る。
かなりイイカンジの崖だ。こうやってガラガラと山が崩れるから、「一木一石運動」なんだろうし、剣ヶ峰までは立ち入り禁止になっているのだろう。そんな地質の山なので、この壁を登るのはちょっと怖そうだ。大丈夫だと思って体重を乗せた岩がごろっと落ちる、なんてことはないのだろうか?
どこをどう伝っていけば登れるのか、さっぱりわからない。迷路クイズのようなものだ。「あー、あのあたりは登れそうだな・・・」と目線を移していくと、途中で「無理だろここは」という絶壁ばっかり。素人が手を出す場所じゃあない。
12:07
六合目避難小屋に戻ってきた。さすがに昼ということで、これからこの先を登っていこうという人の数は少ない。ただ、ここまでやってきて折り返すピクニックなのか、お弁当を広げてくつろいでいる家族などもいた。ちびっこ、よく頑張ったな。山頂までいかなくても十分えらいぞ。ご褒美は何もあげないけど。
良い景色はここまで。ここから先は樹林帯にもぐることになる。さあ、俗にまみれた世間に・・・しつこいか、この表現。それにしても、木々が生い茂る森でさえも十把ひとからげで「俗にまみれている」と表現されるとは、なんたる理不尽。
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