家に戻ると、食事が用意されていた。
あっ、今回はまかないが付くのか!前回は飲み物も自己解決という状況だったが、さすがにそれはどうかということで運営に見直しが入ったらしい。マメヒコ側も、参加者も手探り状態だ。
「食事の用意があるので、事前に食べ物を用意する必要はありません」という案内は当然事前にはない。サプライズお昼ご飯だ。しかし、中にはパンやおにぎりといったものを用意していた人もいたかもしれない。まさか、事前にマメヒコに「ご飯って用意されるんですか?」とずけずけと確認するわけにはいかないから。
時刻は15時近く。昼飯にしては遅いし、夕食にしては早すぎる微妙な時間。しかし、井川さんも、娘さん含めてその他の人たちも、それが当たり前という顔をしている。商売をやっている人ならではの感覚なのかもしれない。僕のように会社で事務職をやっていると、「昼飯というのは当然12時から13時の間に食べるものである」という規則正しさがある。しかしお店をやっている人だと、「手が空いたときにささっと食べる」という習慣が根付いているだろう。15時に、「昼飯とも夕飯ともつかない食事」を食べるのはなんら違和感がないのだろう。
それにしても井川さんは本当に器用な人だ。高感度なカフエを営むだけでもかなりのセンスと技術とその他いろいろが必用なわけだが、映画も撮る、舞台も演出する、雑誌を作る、ハタケを耕す、そしてこうやって自らが厨房に立って、料理もこなす。なんてマルチな才能なんだ。
おそらく、才能ってのは二種類あって、何かひとつに特化して深堀される才能と、芋づる式にいろいろなスキルを身につける才能ってのがあると思う。芸能人が絵を描いたりしたら案外上手、というのと一緒だ。何かに秀でている人は、物事を切り取る心のナイフが鋭く、それはほかにも応用が利くのだと思う。
もちろん、「飲食店であるカフエの店主なんだから料理くらい作れて当然」と思われるだろう。しかし井川さんは難しい顔をして、いつ珈琲をドリップしている「店頭に立つ店主」ではない。つまり、料理人ではない。それでもこうやって料理をあれこれ作ることができるのだから、すごいとしかいいようがない。しかも作っている料理は、「ありきたりなもの」ではなくどれも一工夫加わったものだ。
ハタケ脇にあるこの家は、普段はスタッフさん1名が常駐しているだけだ。なので、食器にしろ食材にしろ、あるものは限られている。何かしようとしたら、千歳市街までわざわざ買出しに出ないといけない。おそらく井川さんは参加人数とか面子とか時節柄とかを考えた上で、あらかじめ買出しに行ってきたのだろう。
そういう計画があったなら、事前に「まかないを出すんで」と一言連絡くれてもよいのだけど、それを言わないのがいかにもマメヒコ風だ。何か聞きたいことがあったら、聞け。聞かれたことは答えるから・・・それがマメヒコの流儀。逆に、聞かないと、教えてくれない。手取り足取りで、参加者を甘やかすことは一切しない。
外に出してもらえないブルーが、家の中をうろうろしている。まだ1歳ちょっとなので、元気いっぱいだ。
時々、人が玄関を出入りするドサクサに乗じて外に脱走するが、しばらくすると人恋しくなるらしく、家の近くに戻ってくる。そこを娘さんにキャッチされ、また家に連れ戻されるという繰り返しをしていた。
「ねえおかでん!ブルーが木の下に隠れちゃったの!呼び出してよ!おかでんならできるでしょ!」
無茶なことを言うなあ。地面と葉っぱが茂る枝の間がわずか20センチくらいしかない
隙間にもぐりこみ、こっちを見ているブルー。どうやって呼び出すのよ。
ためしに口笛を吹いてみたら、ブルーは興味深々。そろりそろりと茂みから出てきて、そこを娘さんにがっちりキャッチされていた。
娘さんは小学生で、遊びたい盛りだ。
「おかでんキモいんですけど!」「うわあ、キモいキモい」
といいつつ、僕のスーツケースを勝手に開けて中に入っているフリスビーを強奪したり、僕に馬跳びを要求したり、遊びに引き回したりした。ハタケ仕事の途中でも、このお姫様の相手のためにいったんハタケを離脱することもあったくらいだ。
どうもこの世代の子どもというのは、「キモい」という言葉は常套句らしい。自分と相容れないもの、に対してカジュアルかつライトに「キモい」という言葉を使い、それに対して悪びれることがない。で、キモいからといって近づくな、こっちみんな、というわけではなく、「キモーっ☆」と言いながら遊び相手になるよう要求してくるのだから、なんたるツンデレなんだ。無邪気だけど、残酷。
ブルーはわざわざ人がいる机の上に飛び上がり、そこでうたた寝を始めた。かまってほしいのか、かまってほしくないのかよくわからない。これが猫という生き物の最大の魅力なのかもしれない。
ほら、近づいて顔を覗き込んで見ると、薄目になっている。完全に熟睡するつもりはないらしい。
しかし机の上に寝るブルーは子どもたち(娘さん以外に、子どもを連れてきた参加者がいた)の格好の標的となっていた。さすがに寝ているのを邪魔するほど残酷なことはしていないが、寝ているブルーの周辺にいろいろなものを積み上げ身動きがつかないようにしたり、布団がわりに布をかぶせたりしていた。
ブルーはいちいちそんなのを相手にせず、「やりたいようにやらせておけ」とお昼寝を続行させていた。案外タフだな、猫って。近づいただけですぐに逃げ出すスズメとかは見習うべきだ。何でスズメってああも臆病な生き物なんだろうな、人間と長く共生しているのに。
食後、スイカまでご馳走になった。ああいいなぁ、スイカなんて久しぶりに食べた。やっぱりこうやって大人数だからこそ食べられる味だよな、スイカって。一人暮らしだと、一玉買ったらもてあます。
もちろん、最近はカットフルーツ全盛の時代。スイカだってカットされたものが売られている。しかしそういうのは風情がないので残念。やっぱり、一玉分を切り分けて、ずらっと並んでいる光景こそがスイカでもっともテンションがあがる。スイカそのものは、このご時勢「激ウマ」と呼ぶにはライバルが多すぎる果物だ。ほかにもおいしいフルーツはたくさんあるのだから。
それにしても、卓上に塩が置いてあるのだが、赤いラベルのおなじみのやつではなくてアルペンザルツがおいてあるというのがさすがマメヒコだ。「適当にキッチンにあったやつを持ってきた」というだけのことなんだろうが、それがアルペンザルツなんだから。
ちなみにマメヒコのお店では、フランス産の「ゲランドの塩」を使っている。さすがに高級品なので、ハタケのヘッドクオーターとなるこの家には置いていないらしい。
雨が一段落したようだし、作業再開。
おいしいご飯をご馳走になったので、その分はしっかり働かないと。お客様気分でハタケ仕事をしているつもりはないのだけど、「飯前」と「飯後」ではやっぱり気持ちを切り替えていかないと申し訳がたたない。
というわけで、あらためてかぼちゃ畑に向かう。まだまだ、入り組んだ茎との格闘は終わっていない。どこまで手加減するのか、という問題は相変わらずぼんやりしているが、手をつけないままの結果「収穫されたかぼちゃの数は多いけど、どれも未成熟で小さい」というのだけは避けたい。手間ばかりかかって美味しくないかぼちゃなんて、迷惑だろうから。
かぼちゃ畑に散らばって作業を再開する参加者。
手前に、せん定済みのかぼちゃがでろーんと倒れこんでいる。しかし、奥の「まだ未着手エリア」と比べると、かなりすっきりしているのがわかる。すきバサミで髪の毛をすくのと一緒だ。
ちなみに、手前のほうは「やりすぎたエリア」。このレベルまでせん定すると、さすがにやりすぎだ。何事も程度問題なので、いくら茎が分岐していても、立派に育っている茎については手加減してあげることにした。親の茎から分岐した子の茎で、すでに立派なら生かす。孫の茎については、容赦なくカットする・・・これくらいがちょうどよさそうだ。
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