疲れ果てて雪国【那須湯本】

鹿の湯源泉

12:27
鹿の湯で癒された僕は、まるで子鹿のようにスキップしながら歩いた。

ごめん、子鹿がどのような動きをするのか知らないし、そもそもスキップするのかどうかも知らないけど。

こういう「使い古された文学的レトリック」ってイヤだよな、たとえば「ずぶぬれになって震えている子猫のように」といった表現とか。お前見たことあるんかそんな状態を、って思う。ついでにいうと、よくある表現は「突然電話が鳴り響いた」というヤツ。電話というのはいつも「突然鳴る」ものだ。「鳴るよ鳴るよ、あと5秒後に鳴るよ」なんて予告はない。緊急地震速報じゃあるまいし。

いずれにせよ、体が温まりご機嫌になった僕は、そのまま殺生石の方にふらふらと歩いて行った。鹿の湯の脇にある駐車場にほとんど車が駐車されておらず、「うわあ!人気の鹿の湯がガラガラだよ!すごいすごい」とちょっとはしゃいで駐車場を歩き回ったからだ。その駐車場から歩いて行った先が温泉ガスのせいで「周辺は草木も生えぬ」殺生石だ。

途中、鹿の湯の源泉があるところを通過した。このあたりも雪に沈んでいる。一面雪。

力弱く太陽

12:29
来た道を振り返る。空には弱々しく太陽の姿が見えるが、全然その温かさを感じられない。「北風と太陽」の寓話を思い出す。まさにこの僕が「旅人」なので、さあ俺の服を脱がしてみろ、と思う。太陽が力不足なら、僕は勝手に服を脱いじゃうぞ?いいのか脱いじゃうぞ脱いじゃうぞ?やめろといっても脱ぐぞ?

単に脱ぎたいだけじゃないんか、と思えてきた。やめとけ。

周囲に誰もいないし、雪のおかげで周囲の音は吸収されて静かだし、なんかはしゃぎたい気持ちになる。そう、子犬のようにね。

すまん、雪が振ったことによって「喜び庭かけまわる」犬なんて僕はみたことがない。恨めしそうに犬小屋から外を眺めている犬なら知ってるけど。

写真左側の道が鹿の湯に通じる道。右側の上り坂がバス停に通じる道。バス停方面に向かって、お昼ごはんを食べてから宿に戻ろうと思う。案外遠くに来ちゃった気がする。

本当はここからロープウェー駅方面に向けて道を登っていった先に、ビジターセンターがある。徒歩だと10分程度の距離だろうか。行ってみてもよかったのだが、「それは観光になる。療養とは認められない」と思い、やめておいた。

それくらいいいじゃないか、とも思う。でも、これまでの僕だったら、「ビジターセンターがあるからには、当然行かなければならぬ。なぜなら、そこにビジターセンターがある、ということを知っちゃったから」という発想だった。これも一種の強迫観念。だから今回は行かない。

いや待てよ、「行こうと思ったことを強迫観念とみなして、行かないことにした」というのも杓子定規的というか、これもまた強迫観念的ではないのか?

こういうのを気にしだすと、きりがなくなる。

「ビジターセンターに行こうと思った自分」

「その自分に対して、『強迫観念的だからやめておいたほうがいい』と諌めた自分」

「諌めた自分に対して、『本当は行くつもりはなかったのに、行こうと思ったけど自制した、ということにしてしぶしぶ感を出したセコい自分』と思っている自分」

「セコい自分と思っている自分を、『そうやって中立・客観的な立場で俯瞰している』と思っている自分」

「俯瞰している立場の自分を俯瞰している自分」

とどんどん自我が混乱していく。合わせ鏡のはるか向こうまで自分の姿が見えていて、どれが本当の自分なのかわからないのと一緒だ。

西の河原方面

火山性ガスのため草木が枯れているエリアにやってきたのだが、木道は完全に雪に埋もれ、除雪どころか足跡すらない状態だった。どこが歩道なのかさえ、わからない。殺生石まで歩いていくのは諦めた。

スキージャンプ台のような階段

12:30
那須与一も祈願したという温泉神社に行ってみようかと思ったが、温泉神社の裏手に通じる階段も雪に埋もれていた。まるでそこはスキーのジャンプ台のような斜面。

そうか!除雪されていない階段というのは、こうなるのだな!

当たり前といえば当たり前なのだけど、今人生で初めてその事実を理解した。いやだって、これまでの人生「雪が積もった階段」というのは何度も見てきたけど、その100%が「除雪されている」「誰かに踏まれて足跡がついている」または「雪の量がそもそも少なく、雪が積もっていても階段の形はしっかりわかる」のいずれかだ。しかし、ガチで雪が降ると、階段の形なんて跡形もなく雪が積もるのだな。そしてそれは斜面なのだな。

ごくり。

思わず生唾を飲む。

これは、階段の上までよじのぼって、そこから滑り降りておいで、というお誘いだろうか。

思わず周囲を見渡す。ソリ代わりになるダンボールみたいなのが落ちていないだろうか?

落ちているわけがない。そりゃそうだ、人里離れている場所だし、落ちているとしてもそれすら雪に埋もれている。

じゃあ、自らのケツをソリ代わりに、いわゆる「尻セード」で下るというのは?

・・・やめとけ、この「ジャンプ台」は新雪でできたものだ。ツルツルの氷ではない。「うひょー!いくぞ!」と滑り落ちたって、すぐに新雪にケツが埋もれてしまっておしまいだ。かなり情けない。そして尻をあまり冷すと、痔になるぞ?

諦めた。

メンタルの療養のはずが、滑って怪我して、「怪我の療養」になってしまったら意味がないし。それくらいの自重は僕にだってできる。

一人で歩く

12:32
誰もいない雪道を歩く。

ほんの時折車が通過するが、わずかなものだ。ここから先ロープウェーまでは民家がない。温泉宿などの施設だけだ。

しん、と静かな道をてくてくと歩いていると、とても気持ちが落ち着く。雪に覆われた風景は情報量が少なく、それも心の安定をもたらしてくれている。町中のウオーキングだと、家とかお店とか看板とか電柱とか、とにかく情報量が多くて癒しにはならない。

バス

12:35
湯本のバス停が見えてきた。那須塩原行きの路線バスのほかに、目立つオレンジ色のバスが停車している。このバスは「りんどう号」といい、予約制の無料送迎バスだ。那須温泉旅館協同組合が運営していて、那須界隈の宿に泊まる人は事前予約をしておけばこのバスに乗ることができる。

すばらしい!と思ったが、あれれ、僕がお世話になっている宿ではこの「りんどう号」に乗ることはできなかった。そりゃそうか、僕は「民宿」に泊まっているんだった。りんどう号を運営しているのは、「旅館協同組合」だから。

なおこのりんどう号だが、2016年春をもって廃止になる。今後は路線バスの運賃を旅館が負担する形になるそうだ。

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