17:04
テント設営が済んで、キャンプ場周辺の探検も済んで、僕らは夕食の時間まで読書をして過ごす。
テントを張った場所は、木のたもとだ。ハルニレは、徳沢を象徴する植物だ。男性なら誰でも経験があると思うが、立ちションをする際、何もない野原で放尿するのはちょっとした抵抗感がある。木とか壁とか、なにか尿の目標となるものがほしい。テント設営もそれと一緒で、広い土地があるにもかかわらず木に吸い寄せられるのは我ながら面白い事象だ。
徳沢といえば、ハルニレの木が象徴的な存在だ。
なので、僕らはてっきりハルニレの木のたもとにテントを設営していると思っていた。しかし、その木の脇には、「マユミの木」と書かれていた。あれっ、これ、マユミっていう木だったのか。勘違いしていた。
最初、「マユミさんという人が大事に育てている木なのかな?」と思ったが、ちゃんと植物としてマユミという木は存在していた。知らなかった。
老木なので、根っこが傷まないように近づいてはいけないし、枝にテントやタオルなどを引っ掛けないように、と注意書きが書いてあった。木が倒れて、僕らのテントが下敷きになってしまわないように気をつけないと。
18:03
いしが「お腹が減ったなー」と言う。
もう一度、「お腹が減ったなー」と言う。
うん、夕ご飯はもう少しあとだ。もうちょっと待とうよ。
「暇だなー。お腹も減ったなー」
彼女はもう一度言った。どうやら、「個人の感想」を述べているのではなく、「腹が減ったからフライングで食事をしよう」という僕に対する提案であり、自分なりの宣言であるらしい。
いつも慌ただしく仕事をしている彼女にとって、ゆっくりと読書をするという暇な時間は珍しいことだ。その結果、なんだかソワソワしてしまい、食べ物が恋しくなるらしい。そういえば、彼女が家にいるときは、何かお菓子を猛烈な勢いで食べているのを僕は何度も目撃している。
結局、小梨平で買ってきた5本入りのソーセージ、「ソーセージアソート」を食べることにした。
小梨平にはたくさんの食材が売られているけれど、僕にとってもっとも重宝しているのはこの「ソーセージアソート」だ。そのまま食べてもいいし、カップラーメンの上に乗せれば一気に贅沢な料理になる。
こういうとき、ジェットボイルは本当に重宝する。あっという間に湯が沸くし、あっという間にソーセージが温まる。
このジェットボイルは、結婚のお祝いとして職場同僚一同がプレゼントしてくれたものだ。気が利いたプレゼントに僕は相当エキサイトしたものだ。でも、ひょっとしたら電撃結婚だった僕に対する冷やかしを込めて、「すぐに湯が沸く」商品を送ったのかもしれない。だとするとちょっと皮肉が込められていて面白い。
そんないわくつきのジェットボイルで温めたソーセージを、夫婦で食べる。
いしは、「甘いものが食べたい」「お腹いっぱい食べたい」という主張をする際、「だってお腹の赤ちゃんが欲しがっているから」と赤ちゃんを理由にはしない。僕にとってはその態度は心地よい。だって、「お腹の赤ちゃん」を盾にしてあれこれ要求してくるのは、正論すぎて男はぐうの音も出ないからだ。そういう正義を振り回す人、というのは僕は苦手だ。
いしは、「私が食べたい」と明確な意志を持っている。結果的にソーセージを食べるという結論は変わらないのだけど、自己主張をしっかりしているパートナーはなんとも頼もしい。
18:17
ゆっくりと日が暮れていく。
徳沢は梓川によって作られた谷にある場所だ。なので日没は早そうな印象を持つが、真っ暗になるまではしばらくの猶予がある。
それは、僕ら人間が人工的な灯りに頼らない、という覚悟を決めているからそう感じるのかもしれない。もし街の中で今と同じ明るさだったら、「随分暗くなったなあ」と感じているかもしれない。
外は既に寒くなってきた。僕らのようにテントの外でくつろいでいるのは、全体から見ると少数派だ。暗いし、寒いからだ。ソロのキャンプをやっている人は、早速テントの中に入り、ランタンの灯りを照らしてゆっくりした時間を過ごしている。
小型軽量のLEDランタンが普及したため、テント生活の夜はすっかり明るくなった。僕がキャンプを始めた頃のように、ホワイトガソリンを使ったランタンだと、大きいし重たいしガソリンを持ち歩くし、すごく大変だった。わずか20年ですっかり時代は変わった。
18:29
おまたせしました。みちくさ食堂で予約していた、僕らの夕食を取りに行く時間がやってきた。
徳沢園に宿泊しているお客さんに夕食を提供することを優先するからなのか、キャンプ客への料理提供はすっかり日がくれてからの時間になっている。
今日の夕食はおでんとカレー。それで果たして満腹になるのかどうか、ちょっと不安だ。
なので、食堂のカウンターで売られていた、「ラッキーおかき」というスナック菓子を追加で購入することにした。
18:36
2020年秋、徳沢園みちくさ食堂でキャンプ利用客が食べられる夕食。カレーと、おでん。
おでんはたぶん、お店で仕込んでいるものではなく出来合いのものだと思う。
カレー。ややスパイシーな味わいで、美味しい。肉がちゃんと入っているのも嬉しい。
パクパク食べるとあっという間になくなってしまうので、ゆっくり食べよう。なにせ、テント泊の夜は長いのだから。
(つづく)
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