17:01
じっくり吟味し、その場から動こうとしないであろうと思っていたばばろあが、さっさと移動を開始した。砲台跡は3門あるという事なので、残りの2門も気になって仕方がないのだろう。
取り残されたしぶちょお、おかでんも慌てて後を追う。
17:02
後を追う前に、高角砲を正面から一枚撮影。
それにしてもごついなあ。てっきり、こういうのは壕内に収まっているものだと思っていたが、案外むき出しなのだな。
17:04
2分ほど歩いたところに、もう1門の高角砲を発見。
比較的原型を留めているように見えるが、周囲にはバネみたいなものとか、何かの金具類が散乱していた。戦後、手榴弾などを使って破壊されたのだろう。惜しい。
17:05
ばばろあが夢中になって撮影しようとしているのだが、17時すぎの森の中だと光量がどうしても足りない。普及型デジカメだと手ぶれを起こしてしまうらしく、えらく悔しがっていた。
17:05
高角砲を2つの角度から。壊されてしまって、すっかりうつむいてしまっている。対空射撃じゃなくて、これじゃ地面の掘削しかできない。
17:07
ここで、何やら手書きの看板を発見。
探照灯下砲台
1941(S16)に勃発した太平洋戦争により1944(S19)7月義勇隊として島に残った178名を除き母島島民の強制疎開が始まりました。母島に配属された日本兵は陸海合わせて約7,500名。連日の空襲と食糧不足の中で、1945年(S20)8月に敗戦を迎えました。
残存する高角砲が破壊されているのは、米軍の指示により使用できないように日本軍が行ったものです。
母島だけで7,500名も兵隊が居たのか!一体日本軍ってどれだけの兵力がいたんだオイ、と驚かずにはいられない数だ。まるで無尽蔵に兵数を誇っていたかのようだ。あれだけの領土拡大を行っておきながら、まだ母島に7,500名も割けるだけの人員がいたとは。
恐らく、硫黄島の次は小笠原が激戦地になるだろう、ということで兵力を結集していたんだろうと想像するが、この小島に7,500人じゃあ、そりゃあ飢えるだろうな。補給船は途中米軍の潜水艦に襲撃されただろうし。
なんとも無念な話だ。
17:10
「おっ、これは軍道だぞ」
「へ?」
ばばろあが、何やら茂みを指さしている。なんスか、軍道って。
「ほら、よく見てみぃ。溝が掘られているだろ、こうやって・・・
ああ、確かによく見ると自然にできたっぽくない、溝がありますな。
「地面のうえを歩いていたら狙撃される恐れがあるから、こうやって溝を掘って、その中で拠点間を移動しとったんよ」
「へええええ」
「たぶん、この軍道、3つの高射砲同士が繋がっているはずで」
ものは試し、と彼は軍道に飛び込んで歩き始めたが、さすがにぬかるみとひどい茂みのせいで途中でギブアップしていた。
17:10
3門目の高角砲。こちらも同じように破壊されていた。
つる草が砲身を覆いはじめていて、歴史がまた一つ消えようとしていた。
合掌して、この場を去る。
17:18
砲台跡のすぐ近くに六本指地蔵というお地蔵様がいる。その名の通り、なぜか指が六本ある。理由は不明。三人で、「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・」と数えてみたが、確かに六本ある。
何だか、そのお地蔵さんの写真を撮影したら祟られそうな気がしたので、撮影はやめておいた。
17:21
その六本指地蔵からほど近いところに、探照灯基地跡と記された看板があった。
基地・・・といっても、それっぽいものは見あたらないようだが。
17:22
ジャングルに何歩か足を踏み入れてみた。
あ!何かトンネルがあるぞ。あれが基地跡か。
17:23
基地の中。暗くてよくわからないが、何やら大きな工作機械のようなものが置いてあることは判った。
17:24
フラッシュを焚いてみる。
うわあ。でたぁ。お化けじゃないけど、で、でたぁ。
ああ、これが探照灯なのか。巨大扇風機のようにも見えるが、要するにサーチライトというわけだ。
夜間に敵機襲来!となったとき、この探照灯をトンネルから引っ張り出して空を照らし、機影を確認したところで高角砲でずどん、という算段なわけだな。今みたいに赤外線ホーミング型のロケットミサイルなんて存在しないので、こうやって光を照らして、敵機の場所や高度を見極めないといけなかったわけだ。
で、敵機が撃墜されるか、どうなるかはともかく、お役御免になったら、またしずしずとこの探照灯はトンネルの中に引き戻される。何しろ空襲で壊されたら大変だ、これがないと夜間の敵機襲来で高角砲が完全に無力化してしまう。
17:34
とりあえず今日見るべきものは見た、ということで退却。
それにしても北港までの道、立派なトンネルが掘られていたり整備にお金を相当かけているわけだが、沿道住民がゼロというのはちょっとすごい。港があるあたりにしか人は住んでいない。
17:44
あら。ハイビスカスが咲いていた。南国じゃのぅ。
18:14
こぶの木に戻ってきた。
真向かいの立派なお宅も民宿なのだろうが、きれいな建物だ。
18:33
「さあ飯だ飯だ」と1階の食堂に降りる際に気が付いたポスター。
沖縄・奄美・小笠原からは、さつまいもなどが
沖縄からはかんきつの苗木類の持ち出しが規制されています
「ご存じですか?このルール」
と書かれていたが、いやすいませんご存じありませんでした。へぇ、そうなんだ。南国独特の害虫がいるということなんだろうが、まあわれわれ、この小笠原から芋を持ち帰ろうとは思っちゃいないのでたぶん大丈夫。
18:34
食堂は中華料理屋みたいな円卓になっていて、宿泊客全員が円陣を組む形で食事を行う形になっていた。慣れれば「どこから来たんですか?」とか「どういう予定なんですか?」という話ができるようになる良い机なのだが、最初はどうも居心地が悪い。
さてこの日の夕食はこちら。
質素だが、まあ「最果ての地」の民宿の食事だと思えばこれでも大御馳走だ。有難いことだ。それにしても、今まで泊まった宿の中で、トマトがこんなにエラそうにお皿に盛りつけられているのは初めて見たけど。
18:35
あと上記の料理の他に、お味噌汁とご飯もつきまーす。
18:35
そして忘れてはいけない、ここでもカメの煮込み。お昼、カメの生臭さにやられてしまったばばろあは明らかに及び腰だったが、ここのカメは臭み消しをちゃんとやっていたらしく、全然問題なく食べられたそうだ。
・・・あれ。そうだそうだ、ビールがいるぞビールが。
宿の親父さんに「すいません、ビール欲しいんですけど」と注文したら、「あれ?言ってませんでしたっけ?ここにはビール置いてないんですよ。商店で自分で買ってきてもらうことになってるんですよ」だって。うわちゃあ、そういうことか。
「車使っていいから」と言われ、お店の場所を教えてもらって車に乗り込む。車のキーは差し込んだままだ。どうせ狭い島のことだ、盗むヤツなんていない。
しかし、久しぶりのマニュアル車運転でエンストを繰り返していたら、親父さんが見かねて「いいですよ、私が運転しますから」と申し出てくださった。有難く商店まで連れて行ってもらい、ビールを買い込んで宿に戻ったのだった。
カメ肉頂きながらのビール、旨い。
でも、やっぱりまだ丘揺れするんだよなあ。椅子にじっと座っていても、どうも上半身がふわふわと揺れている気がする。一緒に食事を摂っている同宿の人に聞いても、みな一様に同じような事を言っていた。
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