小笠原遠征

コンクリートの建造物

10:33

このあたりは壕ではなく地上戦闘設備が多数設置されているようだ。山のてっぺんだからだろう。ほら、ここにもコンクリートの建造物が。(当時、説明を受けたはずだけど忘れた)

コンクリートの塹壕

10:34

前方後円墳型をしたコンクリートの塹壕。ここで山をふぅふぅ言いながら登ってきた敵兵に向けてめった撃ち、というわけだろう。

トーチカ

10:34

トーチカも作られていた。コンクリート製のトーチカは父島・母島共にあまり見かけなかったので珍しい。普通は「地下壕に穴を開けてそこから不意打ちかけちゃうぞ」的な仕組みだったのだが。

入り口は非常に狭く、現在ばばろあが写真撮影中。

円形のトーチカ

10:35

中はこんな感じ。

円形のトーチカになっていて、二カ所に大きめの銃口が広がっている。

これで敵兵が揚陸してきても鉄壁の守りだ!・・・なわけないじゃん。空港が無いわけだし、硫黄島陥落後は制空権なんて全然無いんだから。思いっきり空爆されて、地上設備を破壊されておしまいだ、これだと。

まあ、結局連合国は小笠原諸島を完全に無視し、サイパンから直接日本本土に空爆してしまったわけだけど。「制圧するに及ばない島」として無視されたわけで、これだけ壕を作りまくった人たちからすると脱力感たるや相当なものだっただろう。

山中を歩く

10:37

また山中を歩く。藪こぎをするような状況ではなく、ちゃんと歩けるよう整備?されているのがありがたい。昔の軍道跡なのだろうか。

時々板長さんは、木にへばりついた寄生植物のつる草を引きちぎっていた。木々の保全にも気を遣っているようだ。

鉄板が積み重なって置いてあった

10:41

歩いている先に何やら鉄板が積み重なって置いてあった。なんだろう、これは。

「資材運搬用のトラックが通るとき、地面がぬかるんでいるとスタックしてしまうんですよ。だからこうやって鉄板を敷いて、ぬかるみを通過できるようにしていたんです」

なるほど、山積みの鉄板からも歴史と当時の苦労が伺いしれる。

下手な博物館や資料館に行くより、よっぽど勉強になるわい。

アーチ状の門

10:44

なにやらアーチ状の門をくぐる。不思議ワールドへようこそ、という感じ。

なにやら砲身が見える

10:44

アーチをくぐった先には、壕があった。すべり台クラスの斜度の先には、なにやら砲身が見える。これからあそこに行くのか。

・・・と思ったら、板長さんが「やめましょう。後から行くことにしましょう」とあっさりと撤回。なぜだ。「誰か先客が来ているみたいですね」

確かに、壕の奥の方で人の話し声が聞こえる。別の戦跡ツアーの人たちが先客として見学していたようだ。観光地に物見遊山しに来たわけじゃないので、狭い壕でたくさんのお客さんがあふれているのはちょっとイヤだ。板長さんの仰るとおり、静かに、われわれだけで戦時中のことに思いを馳せたい。

ここにもゲート

10:47

「近くにもう一つ砲台跡がありますから、そちらを先に行きましょう」という板長さんの提案により、われわれはもう少し奥まで踏み込む。おや、ここにもゲートが。このあたりは結構事細かく建造されている。重要施設だったのだろう。

結構な傾斜

10:47

「ここを下って行きますから」と板長さんが指さした先は結構な傾斜だ。ロープが張ってあるからまだ救いようがあるが、これは足腰が弱い人には無理だ。

急斜面を下る

10:48

こんな感じ。登山道として整備されているならなんのことはない傾斜だけど、何も整備されていない「単なる山の斜面」。足を踏み外せばずるーっと滑って、股間を木の幹に強打、なんてことになりかねない。

逆に言うと、こういう難易度の高い場所に案内してもコイツら大丈夫だ、と板長さんに認められたというわけだ。ありがたいことだ。板長さんは相手を見て行く場所を変えるということだが、われわれはお眼鏡に適ったということらしい。

銃眼から中に入る

10:49

で、到着したのがこれ。

うわー、でかい。巨大なコンクリート建造物で、「ぽっかり」ではなく「ごっそり」穴が開いている。見よ、このコンクリートの厚さを。敵艦隊からの艦砲射撃にも耐えられるように、ありったけのコンクリートを使って分厚くしました、という感じだ。

ここをよじのぼって中に入る。

銃眼から中に入るのは初めてだ。

そういえば、ここは島の東側に面している(と思う。もう方向感覚めちゃくちゃ)。東側からの揚陸は可能性として低いとはいえ、敵艦隊や航空部隊は攻めてくるわけで、ちゃんと守っておかないといかんというわけか。

こういった場所は全て板長さんが独自に発見したものだという。

元兵士の方々に聞き取り調査をし、「だいたいこの辺にこういうものがあった」という情報を元に山に分け入ったんだそうだ。時にはロッククライミング的な垂直下降も行い調べたというのだから執念だ。

この銃眼も、そうして発見されたものの一つだという。

板長さんはまさに「父島戦跡ツアーの父」と呼ぶにふさわしいお方だ。他の戦跡ツアーやってる人からパテント料取っても良いんじゃないか、とすら思う。

物騒な武器さんコンニチハ

10:49

銃眼から入るので、中に侵入するやいなや物騒な武器さんコンニチハ。

とはいっても、これは何だ?バネのような、銃身のような。

壕の中から外を見た景色

10:50

壕の中から外を見た景色。今となっては木々が生い茂っているが、当時は視界良好だったのだろう。

謎のバネみたいなやつ

10:50

で、さっきの「謎のバネみたいなやつ」にフォーカスをあててみたのだが、これがもうばんばらばんに破壊されてしまっていて、ユリの花状態に花開いてしまっているのですよ。大変上手に破壊しましたね、と花丸をつけてあげたい見事さ。でも戦跡を見に来た立場からすると何が何だかわからないので惜しい。

連絡通路

10:52

この壕も当然のように連絡通路があり、複数の銃眼と繋がっていた。

連絡用の壕が横に一本通っていて、それに垂直に接続する形で銃眼がある壕に繋がっている。

ほら、ここにも。階段がないけど傾斜は結構あるよ、という坂道を登った先には開放的な銃眼が見えた。

長靴のありがたいところは、こういう滑りやすいところでもちゃんとグリップしてくれるということだ。サンダルやスニーカーじゃ、少々辛い。やはり戦跡巡りは戦跡ツアー利用、餅は餅屋というわけだ。まさか「小笠原旅行に行きます」というのに長靴を鞄に詰めるわけにもいくまい。

高射砲が水没

10:54

うわ、ここにはがっちりと高射砲が残されていた。何でさっきのところはあんなにぶっ壊しておきながら、こっちは壊さなかったのだろうか。不思議だ。

海風と、吹き込んできた雨水のせいでさびまくり。

一体どこが可動部分でどこが固定部分なのかさえ、よくわからないくらいだ。

えーと、さっき見た「ばねみたいな部分」ってこの高射砲だとどこにあたるんだろう?・・・しばらく右から左から物色したが、よくわからなかった。

こんな仰々しい高射砲がたくさん配備されたわけだけど、実際効果あったんかね、と思う。しかし、父島の各所にはマスタングなどの米軍戦闘機の残骸が転がっているという話なので、ある程度の祖国防衛効果はあったようだ。

探検中

10:56

大興奮のばばろあであったが、肝心の自分のデジカメバッテリが干上がってしまった。目の前の光景に興奮しつつ、同時に落胆度合いを強めるというアンビバレンツな状況を最大限満喫中。

ロープを使って上へと登る

10:59

戦跡に関心はあるけど、それほど思い入れがないおかでんとしぶちょおにとっては、そろそろ穴巡りも飽きてきたなー、という状況。

しかし、それを見越したかのように「じゃあ、ここを登りますから。ロープを使って、一人づつ登ってください」なんてイベントが出てくるから素敵だ。

えええ、あの光が見えるところまで登るんスか。

よじのぼる

11:01

登山をやるおかでんとしては、「鎖やロープはあくまでも補助。頼ってはいけない。両手両足で移動するのが基本」と教え込まれている。だから、ロープをできるだけ使わないで・・・

無理だわ、こりゃ。

しぶちょおが登ってきているのを見てわかるとおり、もう、ロープを最大限握りしめて、大腿四頭筋及び上腕二頭筋に加えて広背筋、その他諸々の筋肉を総動員しないと登れないってば。

若いうちに小笠原に来ることができて良かったー、と思う瞬間だ。

「最低でも旅行に一週間かかるんでしょ?だったら老後の楽しみに取っておこう」なんて言ってたら、この戦跡めぐりには出会えない。

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