小笠原遠征

おが丸醤油ラーメンに牛丼

18:53

さあ、夕食時間だ。

とにかく帰りの船ではやることがない。往路だと、「船内探検」だとか「島に着いてからの計画を仲間で議論」といったことでやることはいっぱいある。わくわく感も強い。

しかし、復路となると、そういった楽しみが一切残されていないのであった。「船内探検」は25時間かけて既に往路でやったし、残された感情といえば「まだあと○時間も船かよー、かったりー」という気持ちばかり。

やっぱり、TSL(テクノスーパーライナー)は欲しいなあ。いや、欲を言えば飛行機が欲しい。

そんなありさまなので、「食事」というイベントがあるだけでもうれしい。「やった!やることができた!」という気持ちだ。この際、空腹か否かなんてのは関係ない。単に「イベントがある」事に意義がある。

2等客室では、学生諸君がカップ麺をすすっていた。彼らはローコストで小笠原までやってきて、若いうちに得難い経験ができて良かったと思う。おめでとう、諸君。でも、25時間半も2等客室にいて、食事もカップ麺というのはさすがに辛いだろう。拷問だろう。

その点、僕ら社会人は、若い人ほど感受性が高くない。ワカモノが小笠原で感じたことの半分くらいしか気づかない鈍感さになっていると思う。とはいっても、カネはあるんだよ。下世話な話だけど、カネで僕は快適な船の旅を買う。

カネで解決した例その1:しぶちょおの夕食。

おが丸醤油ラーメンに牛丼付き!豪華!

まるで、「海外旅行から帰国する際、残った現地通貨を使い切っちゃおう」と免税店で買い物する気分、といったところだろうか。

牡蠣フライ定食+サワー

18:55

カネで解決した例その2:

牡蠣フライ定食+サワー。牡蠣フライ定食はメニューサンプルのところで「お奨め」と書かれていたから選んだわけだが、なぜお奨めなのかさっぱりわからない。ついでに言うと、もう5月でシーズン終わりなんですけど。

でも、酒肴に良し、ご飯のお伴に良しの料理と言える。ははは。カネで解決したぞ。

・・・しまった。甘いサワーと牡蠣フライはあまり組み合わせが良くなかった。大失敗。もっとお金の使い方をよく考えなさい。

18:56

ばばろあの食事はカレーライスだった。シンプル。

もともとばばろあは好食家ではあるものの大食漢ではない。だからこの程度でも十分だと思うのだが・・・

「帰りの電車代とか考えると、予算がもう底をついていることに気づいたんよ。ぜいたくはできん」

身内から「カネで解決できない人」が出現してしまった。

「いや、カネだったら貸すぞ。気にせず食えや、旅の締めくくりでいい思いしないと、良い思い出が残らないぞ?」

「とはいっても、いい思いったって、せいぜいそんな牡蠣フライとかじゃろ?それだったらカレーでええわ」

うーむ、なるほど。

ゆで卵

20:03

夕食時間とははかなく、切ないものです。次々とお客さんがレストランにやってくることだし、社員食堂のように「食べ終わったらすぐに席を明け渡す」ことをしないといけない。

そして、その後はまた「平凡な二等客室の時間」に逆戻りだ。

きっと、昔のむら祭りってこんな感じだったんだろうなぁ、と全然違う事を考えてしまった。毎日、単調な農作業に従事する。そして、夏祭り、収穫祭といった年に数回のハレのイベントの時は思いっきり楽しむ。

農家の方々の苦労と比較するのは失礼とは承知だが、なんだかそれと「収穫祭=食事」「日々の農作業=二等客室での時間」をダブらせてしまったですよ、ええ。

カードゲームなんて気の利いたモノは持ってきていない。離れたところにいる学生サークルの連中はUNOを始めて盛り上がっている。だがわれわれはしんみりと、アワレみ隊の今後について語り明かそうではないか。

・・・既に一週間近く一緒にいるメンツなので、特に語るべき話題無し。以上。

こうなったら酒だ、酒もってこい。

また酒ですか?

ああそうだ、バナナ荘の好意で作らせてもらったゆで卵があるんだった。これを肴にして飲もう。

ポートランド

20:10

ばばろあが持ち歩いていたクーラーボックスにはまだ残存物があった。旅の前半で清酒、ビール、ルートビアとリリースしてきたので、もう存在しないだろうと思っていた。しかしまだ出てきたぞ、変なものが。四次元ポケットか、そのクーラーボックスは。

「ポートランド」と書かれたアメリカのビールだった。初めて聞いたぞ、そんなビール。

ラムのハーフボトル

20:21

さすがに夕食後だけあって、あまりビールが旨く感じられない。よーし、それならおかでんが購入した小笠原名物のラムをリリースしようじゃないか。船内で飲む用に母島で作られているラムのハーフボトルを買っておいたのだった。

ラム酒って、カクテルとしては飲んだことがあるが、そのままダイレクトというのは経験がない。イメージとしては、海賊や昔のアメリカの貧乏人が飲んでいるというもの。サトウキビが原料の蒸留酒だ。

さてそのお味は・・・うわ、やっぱ生はキツいわ。度数が40ということでウィスキーと同一だが、氷すらない状態で飲むとガツンとくる。あと、味がなんとなく下品。貧乏人のお酒というイメージというのは味からしてもそのまんま当てはまる気がした。あっ、ラム好きな人ごめんなさい、でもそう思っちゃったんです。

パッケージは素敵。大航海時代の地図を思わせるかのような日本地図を背景に、小笠原のラム酒であることが記載されている。希少価値が高い。

とはいっても、ラム酒をお土産に貰ってうれしいかと言われるとちょっと微妙なところではあるな。

寝てしまったしぶちょお

21:04

ラム酒に酔っぱらって寝てしまったしぶちょお・・・違う、彼はお酒が飲めない体質なんだった。

酒が飲めないと、ますますやることが無いのであった。そうしたら寝るしかない。「日頃の疲れを癒す、貴重な時間」なら良いんだけど、こうも狭くて、騒々しくて、揺れるとねえ・・・。ますます疲れそう。

しぶちょお、スネの日焼けが相当気になるらしい。寝ながらも、膝を立てて寝ていた。多分、足をのばすと痛いのだろう。

レストランで一人お酒

22:04

ばばろあも横になって沈黙してしまったので、おかでんは二等客室から離脱。往路同様、居酒屋モードになっているレストランで一人お酒を飲み続けることにした。二等客室はもう消灯されてしまって、居場所がないからだ。

正直お酒なんてどうでも良かったのだが、読みかけの「ダ・ヴィンチ・コード」をなんとしてもこの航海中に読み終わりたかったし、今まさに佳境というところ。ここで寝るわけにはいかない。

どこか階段とか通路でラム酒でも飲んでろ、とも思うが、いやもうラムは勘弁してください。あれは僕にはキツすぎです。麦酒飲み人種としては、度数がキツいお酒は苦手。

往路で飲んでいないお酒にしよう、と思い白ワインをセレクト。

さつま揚げ
もつ煮

22:07

「料理も往路で頼んでいないものにしよう」と言いつつ選んでいたら、薩摩揚げともつ煮込みになってしまった。三食食べておきながら、この時間にまだこれだけ食うのか。現物が届いてから「しまった、やりすぎた」という事に気づいた。

ワインを一人で飲む

22:10

しまったついでに言うと、甘口の白ワインと料理が全然合わなかった。滅茶苦茶な組み合わせだ。

寝床に戻る

22:54

居酒屋レストランも閉店という事なので、自分も寝床に戻る。とはいっても、二等客室に戻ってみたらなんとも言えない惨状。さすがに逃走を図った人も結構いるようで、所々空きスペースが散見される。とはいっても、ちょっとこの場で寝たいとは思わない。

しばらく思案した後、自分もホームレスになろうと決意。自分たちの客室のすぐ近くの階段に踊り場があり、そこが空いていたので活用させてもらうことにした。

写真は、踊り場に横たわるおかでんの図。あとはスリッパをもう少し邪魔にならないところに置けば、通行の邪魔にもならないし安眠できる、はずだ。

うん、快適。できるだけ通路を広く確保しなければ、という配慮から壁際ギリギリに寄ったため、右肩が壁に当たるけどそれでも「周囲に誰もいない」というのは寝やすいわ。これだったらすぐに眠れる。・・・あ、お酒のせいか?

それにしても熱い。暑い、じゃなくて熱い、だ。床から熱気があがってくる。どうやら機関室の熱がここまで伝わってきているようだ。寝場所としては快適だが、熱くて寝苦しい夜を過ごす羽目になった。

2006年05月07日(火) 6日目

おが丸朝ごはん1
おが丸朝ごはん2

07:17

もう何も感動なんて無いんである。夜明けだーッと喜び勇んで外に出る、などというやんちゃな光景は陰を潜め、ただ単に淡々と朝食を食べにレストランに行く。晴れていれば水平線から昇る朝日、なんていう光景が見られたのかもしれないが、あいにく外はどんよりと曇っていた。

さて朝食。もう特に解説はなし。

二食分しか撮影が無いのは、ばばろあが朝食をキャンセルしたため。相当深刻な資金難らしい。彼は一人二等客室に残って、ゆで卵を食べていた。

八丈島の東側

07:31

八丈島の東側をちょうど通過しているところ。うっすらと二つの山が見える。ここからみると双子の島のように見えるが、これで一つの島。

「昨年はここに来たんだよなあ。羽田空港から45分のフライトだったんだよなあ」と思い出す。そしてさらに、「フェリーで八丈島に行こうとすると、夜行便になるんだったよな。それだけ時間がかかるってことだよな」という事にも思いを馳せてしまう。ええと、到着が15:30の予定だから、うわあ、あと8時間もあるよ。

往路の時は、朝食を食べ終わったくらいから「さあもうそろそろ」感が漂ってきたわけだが、復路の場合はあともう一回お昼ご飯タイムがあるので、余計遠く感じてしまう。

酒盛りを続ける

10:13

やることがないので、またもや酒盛り。自分用のお土産として買っていた「ふかム~チョ」なるサメの肉を使ったおつまみをリリース。どんどん手元にあるものはリリースだ、間が保たない。

お隣さんと仲良くなる

13:22

向かい合わせの席の人が、ははじま丸で一緒にくじらを見た人だったということに今更のように気づいた。双方、客室から離脱したり戻ったりですれ違いをしていたようだ。

そのカップルは、ずっと1航海中母島に滞在していたそうだ。「えっ、やることが無くて困ったんじゃないですか?」と聞いてしまったが、それなりにいろいろやることはあったそうだ。いつも駆け足でいろんなことをするアワレみ隊とは大違いだ。「ゆったりとした時間配分」を見習いたい、と思いつつも、駆け足で人生過ごすのも有りだよなあ、とやっぱり現状を肯定してしまう自分。

うつらうつら寝

14:05

自分の指定席がちょうど壁際にあり、もたれかかってうたた寝すると快適であることに気づく。気がついたらうつらうつら寝てしまっていた。

寝ている間にカメラを強奪されて、誰かに激写されていた。アワレみ隊の場合、人前で寝るということは「寝顔を撮影される危険」にさらされるということだ。

ちなみにこの写真、「内股で寝ているおかでんがヘン」という理由で撮影されたらしい。

総員退去

15:19

本来ならば、三浦半島沖くらいからデッキに出て「おお、本州が見えてきた!あれが横須賀だね」なんてやるべきなんだろうけど、なんだか旅の疲れがこの期に及んでどっと出てきてしまい、結局下船開始直前まで居眠りしてしまった。

15:10過ぎ、定刻より20分ほど前倒しで到着。1,000人近い乗客が一気に下船しよとしてごった返す中、われわれも広げた宴席食材や缶を片付け、総員退去。

船を下りる

15:20

堅い地面、揺れない地面に足の裏が付いた瞬間、「ああ、土地だ!」という馬鹿みたいに当たり前な感傷を抱いてしまった。それくらい長い船旅だった。いやー、ようやく戻ってきました、本州へようこそ。

とはいっても、ばばろあとしぶちょおはこれから先まだまだ家までは長い旅路が待っている。つくづく小笠原は遠い。

旅の終わり

15:25

旅の終わり。5泊6日のアワレみ隊小笠原遠征はこうして幕を閉じ、めいめいが帰途に就いていったのであった。

最後に、みんなで旅の総括をする。

「長い旅だったけど、旅の思い出っていったら・・・おが丸ばっかりなんだよな」
「実質、5泊といってもそのうち2泊がおが丸だったからな」
「さらに、ははじま丸乗船時間を入れたら、船に乗っていた時間はトータルで54時間!長い!長すぎだよ!」
「駄目だ、おが丸の記憶しか残っていない。せっかく、父島二見港で感動的なお別れシーンがあったのに、もう忘却の彼方だよ。狭い、揺れる、息苦しい二等客室のイメージ鹿残っていない」

さすがに片道丸1日ともなると、島に滞在していた記憶というのは既に風化が始まっているのであった。さらにその道中がそれなりにキツいものなので、記憶がそっちに完全に乗っ取られてしまっている。「シーカヤック・・・乗ったよねえ・・・良かった・・・よね?」なんて、なんとなく曖昧。

「どうなんだろね。TSLや飛行機を作って移動時間短縮というのは島にとって悲願だろうし、僕ら観光客にとっても重要だと思う。だって、旅の思い出が全部小笠原汽船に持って行かれちゃってるこの現状はまずいと思う」
「とはいっても、不便だからこそあの自然があるわけだし、行き甲斐があったわけだし」
「うーん」

結局、われわれごときでは結論が出なかった。非常に難しい課題だと思う。

旅情をはるかに超越した優雅な?船旅、それがおが丸。この片道25時間強の時間に耐えられる人のみに与えられた特権が、小笠原の素晴らしい景色だ。これはこのままで良いような気がするし、駄目なような気がするし。

でもねえ・・・八丈島って、来島するといきなり『おじゃりやれ』って言葉で出迎えてくれるんだよね。独特の文化がある。沖縄も『めんそーれ』だ。その点、小笠原というのは米国占領時代に日本人が疎開していたこともあって、独自の文化や言語が非常に少ない。その点、来島者にとってワクワク感が少なくて物足りなく感じてしまうところだ。

これは一観光客のわがままだが、もっと独自の文化を小笠原として育んで欲しいと思った。自然に頼るだけでなく。そうすると、おが丸のインパクトをはるかに超える、「東京に戻ってからも持続する旅の思い出」が来島者の心の中に残るんじゃなかろうか。

いずれにせよ、一週間がかりで、10万円かけて、国内旅行なんていう豪華なようなそうでないような旅は一生のうちにそう何度もできるものではない。失うモノは何もない世代のうちに小笠原に行くことができて本当に良かった。

さあ、あと残すは、「日本最僻地」の一つと言われているトカラ列島。これまたお金と時間がかかる島だが、いつ行くかねぇ・・・。利便性は小笠原より若干優れているとはいえ、まずは鹿児島に行くというだけでもなかなかな負担なんである。でも、いつか必ずいかねばならない。なぜならば、われわれはアワレみ隊なのだから。

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