18:45
他の店もあたってみたが、どこも「今日は予約でいっぱいでして」なんて言う。昨日はあれほどすんなりとお店に入れたのに、このギャップは一体何なんだ。
そういえば、飲食店が並ぶ通りを歩く人の数も昨日と比べりゃはるかに多い。細胞分裂して人数が増えたか。
しかも、予約いっぱいですぅ、なんて言う割にはまだ店に空席があったりする。「席空いてるじゃないの」と聞いていたら、19時半から、だとか20時から、だとかで予約が入っているんだと。なんじゃそりゃ。今日は年に一度の村祭りの日か。
「・・・あ!わかった!」
しばらく考えて、ようやく状況が飲み込めた。明日おが丸が出航するということで、毎日同じ面子でダイビングやってた仲間とか、同宿で知り合った知人とか、そういうのが「お別れパーティー」やら「打ち上げ」やらをやろう、という訳なんだな。だから、飲食店がまとまった数で予約が埋まってしまっているというわけだ。
しかも、多くの人たちはメシ付きの宿に泊まっているので、ヤドメシを食べた後でどこかのお店に集合、打ち上げお疲れさまーってやろうという算段だろう。なるほど、そういう行動パターンをとるところまではわれわれは読み切れなかった。
何しろ、明日は収容人数1,000人のおが丸が超満員札止め状態だと聞いている。そんな連中の何割かがお店で打ち上げし、それにショップのスタッフや、次のおが丸まで居残るメンバーまで加わった日にゃ、どう考えてもこの集落の飲食店じゃキャパ不足だ。あーあーあーあー、大変だ、夕食食べ損なっちゃうぞ。
さんざんうろついた挙げ句、「19時半に予約が入っているので、それまでで良ければ・・・」という条件付きで「居酒屋ふくちゃん」に潜伏させてもらえることになった。ここは、先ほどのシーカヤックツアーのサブインストラクターのあさちゃんが働いているお店でもある。もう頼み込んじゃって、「19時半までには猛烈に飲み食いして跡形もなく退席しますから」ってお願いして入店を許可してもらった。
18:58
「ちぇっ、この時間は空いているんだよなあ」
と、まだがらんとした店内で、いそいそと料理の品定めをする。
この場合一番要注意人物は、酒を飲み始めると途端に饒舌になり、ほとんど料理に口をつけなくなってしまうおかでん。残すところあと30分、限られた時間制限のなかで「小笠原最後の夜」を満喫できるだけの飲み食いができるかどうか。
18:54~19:08
いろいろ注文したが、何が何の料理かよく覚えていないのでおもいっきし割愛。ただ、ホルモン焼き定食:850円だけは誰が頼んだかはっきりとわかる。定食をこの場で頼む奴はしぶちょお以外いない。「うほっ、これは思ったよりも美味い。ご飯が進むゥ」と叫んでいた。
後はなぜか小笠原の地でキムチを頼んだり、もう特に脈略の無い居酒屋オーダー。どうやら、メニューボードを見るとこの小笠原ではトマトの生産が盛んらしい。島トマトを使った料理が豊富だった。ただ、ごめん、気づかずにスルーしちまったよ。道理で母島での夕食でトマトがどーんと自信満々に盛りつけられていたわけだ、地物だったのね、あれ。
それは兎も角、いろいろメニューを吟味する暇も惜しいほと慌ただしかったので、ついつい頼んだのが鶏の足だったり、焼き鳥だったり、果てには煮込みだったり。これが小笠原のラストディナーかと思うとトホホな限りだが、食事にありつけない恐れがあったことを考えれば上できとしかいいようがない。
19:36
19時半前にはきっちりと飲み食いを済ませ、後からくるであろうご宴会一同様の邪魔にならないようにお店を撤退。小笠原最終日(旅行最終日、ではないというのがヤヤコシイ)ということもあって、おみやげ物を物色することにした。
おみやげ物屋さんに行ってみると、さすがに伊豆諸島で売られているような明日葉三昧な世界ではなく、独特なものが売られていてなかなかに刺激的だった。
なんじゃいこれ。
「さめ茶いやん」
鮫の肉を使ったお茶漬けなんだそうな。なんつーネーミングなんだ。素晴らしすぎて、美味いかどうかは兎も角としてつい買ってしまったではないか。ネーミングの勝利。
しかし、「友達に見せびらかしてウケを取ろう」ということを考えすぎて、自宅の冷蔵庫にデッドストックしてしまい、結局誰にも見せる機会が無いまま賞味期限切れに気づいてしまった次第。そのままゴミ箱へ。嗚呼もったいない。すて茶いやん。
19:51
職場土産用には、なるべくデカくて「数」が多くて(量が多くて、ではない)、いかにも小笠原っぽいものを、ということで「ドルフィンサブレ」を調達。
こんなのを、職場の机の上に「ご自由にどうぞ」と置いておけば、目立つこと請け合いだ。「えっ、これどうしたの?誰が小笠原いったの?」なんて注目を集めること間違いなしだ。
・・・と思ったら、実際は食い意地が張った職場の連中に一瞬にして食い散らかされ、その日の夜には箱ごとゴミ箱の中にすてられていた。ああ無情。
それから忘れちゃいけない、小笠原といえばラムとパッションフルーツが有名。ビール専門のアルコール消費者おかでんとしては、ラム酒なんてちょいと調子にのってバーにでも行ってカクテルを注文しない限り飲まない。でも名物ってんだからしょうがないでしょう、小さなハーフサイズの瓶を買って、帰りのおが丸25時間を耐えるための「抗うつ薬」として活用することにした。
19:52
お会計をしようとしたら、レジのところにいたおばちゃんに「これ!コレぜひ試食してみてよ。すごくおいしいんだから」とパッションジャムが載せられたスプーンを無理矢理おしつけられた。
こういうのはおかでんは大嫌いで、例え美味くても絶対買ってやるもんか、と思っていたのだが、食べてみたら相当に美味いんでやんの。あれれ、というびっくりする美味さ。酸っぱすぎず、甘すぎず。パンに載せるもよし、紅茶に入れるもよし、ヨーグルトに混ぜるも良し、そのまま舐めるも良し。
「くっそう、こういうのは主義ではないのだが」
といい買い物をして喜ぶべきなのに、とても悔しがりながらパッションジャムを購入。確か、同様にしぶちょおもばばろあもパッションジャムの魔力に引きずり込まれ、同様に購入していたと思う。これはツボにはまりまっせ、ほんと。
19:52
おが丸対策用抗うつ薬として、ラム酒ぐいぐいだとさすがに船の中にもかかわらず自分自身が「沈没」する。何かつまみ、つまみになるものを探さないと。
ということで、ありましたこれも駄しゃれ系。
「ふかムーチョ」
舐めた名前だ。材料をみると、チリパウダーやカイエンペッパー、ガーリックパウダーなどが含まれている。どうやらピリ辛味に仕立てた醤油漬け鮫肉なのだろう。
「酒のお友に!!」
なんて書かれているが、いや僕は別にこのつまみを「酒の友」にする気はない。「酒のお供」として、酒同様残さず食ってやる。これも購入。
宿に戻ってみたら、アメリカンなご主人は不在だった。どこへ行ったのだろう。明日朝早く、4時半くらいにはいったん外に出るけどOKか?という確認を取ろうと思ったのだが、見あたらない。しょうがない、風呂にでも入るべえと思って外に出てみたら、バナナ荘の隣にある、芝生の庭が広い民家が何やらガーデンパーティー会場になっていた。スピーカーから流れるのはプレスリーだったりカントリー音楽だったり、半世紀くらい前の古き良きアメリカの曲ばかり。そして、バーベキューコンロの回りの椅子には白人さんたちがいっぱいいて、ビールを飲みながらさながら「納涼祭」状態でまったりと時間を過ごしていた。ほーお、小笠原の外国人(もしくは、出自が外国で今は日本人)はこういうところで交流してるんだねーと感心しつつ、僕たちは明日が早いのでさっさとお休みなさい。明日4時20分起きってむちゃ言うねえ、ばばろあよ。
2006年05月06日(土) 5日目
04:32
うそだろー、と我ながら思う時間に目覚ましが鳴り、二段ベッドから転がり落ちそうになりながら階下に降り身支度をする。
食事スペースになっているところには、既にウェットスーツを着たオニーサン達が何人かいてテレビをみつつくつろいでいて相当面食らった。聟島列島とか、遠くの方に潜りにいくつもりらしい。何しろ今日の午後にはおが丸が出航。早出、早戻りは基本だ。
とはいっても、まだ外はこんな感じなんですが。5月上旬とはいえ、この時刻で既に空が明るいというのはちと驚いた。さすが1,000km南国の島だけある。
04:35
朝5時まで営業しているようなバーだと、まだ営業してるんだもんなー。
で、こんな時間に僕ら何やるの、っていったら、新聞配達でも何でもなく、戦跡見に行きまーす、だもんな。
もちろん、名目は「父島の島巡りはほとんどできていない。昨日は一日シーカヤック、今日はおが丸出航前まで戦跡ツアーだ。だから、戦跡ツアーの時間までに、車を使ってぐるっと島を見て回ろう」ということになっている。少なくとも、おかでんと、しぶちょおとの間、では。
しかし、ばばろあが「とりあえずここにはいっとかんといかんと思うんだよな」などと例の戦跡案内と地図を見比べているし、「いや、もちろん観光地巡りよ?ただ、ほら、すぐ近くになんか気になる穴があるなーとか、建物があるなーって言ったら立ち寄りたくなるじゃん、そういうことよ」なんて言ってる。どう考えてもこの後「戦跡ツアー」に先立った「プレ戦跡ツアー」になりそうな予感。
04:42
車は一気に山を駆け上る。
いつもの癖で助手席にばばろあを座らせたのは正解だったか、それとも失敗だったか?
父島は、端的に言うと「湾内沿いの道」と、「島の背骨部分を走る山道」の二つしか存在しないと言って良く、今回走っているのはその「背骨部分」の方だ。
04:56
途中いろいろな怪しい秘密基地みたいなものがあったが、とりあえず途中下車はせず、父島で一番高い山である「中央山」の展望台に行ってみることにした。(後で調べたら2番目に高い山だった。勘違いしてた)
「おい、夜明山で夜明けを見るんじゃなかったんか」
「標高高いところで見た方がええじゃろ。展望台もあるし。どうせこの天気じゃ夜明けの太陽なんてみえんじゃろうし、こっちのほうがええで」
ごもっとも7割、うさんくささ3割の発言だが、まあ、まず一番高いところに行くのは王道と言えよう。ご指摘のまま、中央山の遊歩道入口で車を乗り捨てる。
04:56
展望台への遊歩道入口には、自転車が一台駐輪されていた。
「おおっ、すげーな、こんな朝からここまで自転車でやって来たのか!」
「一人で、ね」
「それはどうでもいいが、オレ犯罪に巻き込まれるのやだかんな。一週間行方不明ですとか」
なんだか不穏な話をする。ま、それは冗談として、ホントにレンタサイクルでこんなところまでやってくる人が居たとは驚きだ。なんたるガッツ。しかもこの早朝で。
ここ、標高が319mもある。大村集落から来たとすればほぼ海抜ゼロだったわけで、まあよくも頑張っていらっしゃったことです。見事。
04:57
「いやーこれは見事だ」
ばばろあは違うところで絶賛をする。
何を褒めているのかと思ったら、今まさに歩いているこの遊歩道だ。母島の南崎行き遊歩道がどろんこだったのと比べて、整備状況が素晴らしいということを言いたいのだろうか?
「いや違う、これは昔の軍道跡だぜ。観光のために作った遊歩道ではない」
「えっ、そうなの?」
こんな何の変哲もない道でさえ「戦跡」なのか。
05:00
5時ちょうど、中央山のてっぺんの見晴らしの良いところに出てきた。
05:00
中央山展望台。
一人先客がいた。「あ、どうも」なんてあいさつする。先ほど発見した自転車の主だった。さすがに事件に巻き込まれた訳ではなかったか。
さてこの展望台だが、見る限り普通なんだが、ここ数日ばばろあの影響で「どんな崖や岩肌も疑ってかかれ」という習性がついてしまい、胡散臭い目で吟味。
むー、あえてこんな建造物を造らなくても十分に見晴らしが良いのに、さらにこうやって見晴台があるのはなぜか。しかも結構年期が入っている気配が・・・。
いろいろ胡散臭い目で見たが、素人なので結論は出ず。ただ、ここだと父島周辺が一望できるのは間違いない。戦時中は特設見張所が建設されたらしいが、未完のまま終戦を迎えたとのこと。そりゃそうだよな、展望台作って「ハーイこれで完成ですー」って言うわけにはいかんもんな。見張るったって、地下に散々壕を掘ってあるはずだし。この山の中に、一体いくつ壕が隠れているんだ?恐らくシロアリの巣のようになっていると思われるが・・・。
05:02
見張り所の跡なのか、なんだか変な丸い遺物を発見しましたよ。
何かを360度観測するものが据え付けられていたようだ。砲台にしては真ん中から突き出ている芯が細いので、高角砲などの砲台跡ではなさそうだ。そもそも、こんな目立つところに砲台を設置したら一発で空爆されておしまいだ。
どうやら、電波探信儀(電探)の基礎らしい。要するに、敵機を見張るためのレーダー。昭和19年の暮れに設置されたものだという。硫黄島の戦いが昭和20年2月だから、父島でも相当緊迫した雰囲気のなか、工事が進められたはずだ。
形状からして、恐らく海軍三式一号電波探信儀三型(通称十三号電探)と思われる。この台座の上に、360度回転するアンテナが設置され、敵航空部隊の接近を探知するというものだ。回転する、といっても今軍事基地にあるレーダーのように高速にくるくる回転しているわけじゃなくて、台座ご覧のとおりアンテナの向きを変えるのは人力だった。高圧電流が流れている鉄塔みたいなやつを、よいしょよいしょと回転させるわけだ。その回転の指示を出すのは、電波受信機のオシロスコープみたいな画面を見ている人で、妙にピョコンとグラフが跳ねたりするとそれ敵機襲来だ、おい地上兵、もう少し右にアンテナ回せコラ、となるし、各砲台には敵機襲来が告げられ、戦闘態勢が取られたというわけだ。
その電波受信機や電圧調整器があったであろう施設は、このアンテナの手前にあった兵舎跡か、この下に電探用の地下壕があって、そこでコントロールしていたと思われる。
ちなみに日本軍は米国軍に比べてレーダー技術が劣っていた、という話があるが、これは「レーダー=敵機を発見するもの=防御するもの」という発想が当時根強くあって、「攻撃こそ最大の防御なり」的精神が旺盛な日本軍センスには受け入れがたかったらしい。その結果、レーダー技術で大きく遅れをとって、まあ結果はご覧の通り、と。
※すいません、推測で書いてるところが多いので、間違いが含まれてるかもしれん。
05:10
おーおー、中央山の横に見える山の中腹にも銃眼だか壕の入口だかがぽっかり開いているのが見えるぞ。あれ、どこ狙ってるんだ?海側じゃなくて、山側に口を開いているんだけど。何を打つ気だ?
この謎は、後の戦跡ツアーの際に明らかになる。
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