17:28
父島に到着してまだ落ち着いていない時間帯だが、あっという間に日没時間が迫っている。
三日月山、というのがわれわれのいる大村集落の裏山にある(正確に言うと船見山という場所になる)のだが、「三日月山展望台(ウェザーステーション)」という場所があり、夕日を眺めるには最適なんだという。
水平線に沈む離島の夕日はさぞや青春でありかつ慕情でありさらにパラダイスではないかと思い、ウェザーステーションに行くことにした。
標高は200m近くあることをすっかり認識漏れしていたため、「まだ登るの~」とふうふう言いながら歩いて登るわれわれ。その横を、「ウィーン」と軽快な音を立てつつ、レンタバイクに乗った観光客が通過していく。ええのぅ。
17:35
早くしないと山頂に着いたら日没後でござんした、なんていったら単なる登山でいい汗かきましたネ、状態だ。
しかも、それに加えてスクーターに次々追い抜かれて悔しい思いもしましたネ、残念でしたネ、という状態にもなる。
ちょっといそがないと。
途中振り返ってみると、大村集落を見下ろす場所まで登ってきていた。随分登ってきたなあ。
17:37
つづら折れの道をぐねぐねと登っている最中、何やら穴が開いている場所を発見。
ばばろあが
「おっ、これは壕の跡だ」
とカメラを持って突進していった。ただし、壕の中は既に埋もれていて、特に何も無かった模様。そうか、この辺りもいろいろあるんだな。
17:38
つづら折れの車道に沿ってチンタラ歩いていたら効率が悪い、こうなったら直線にショートカットしながら登っていこうじゃないか、という議論を三人でしていた。
そうしたら、「待ってました。こっちにいらっしゃい」とばかりに、何やら遊歩道みたいなものと看板が。看板には「父島要塞大村第二砲台跡入口」と書かれていた。
「おお、絶妙なタイミング」
ばばろあが喜ぶ。さてはばばろあ、事前にここに砲台跡があるのを知ってて「ショートカットしよう」と提案したな?
17:38
見事につづら折れ車道をショートカットする道沿いにある砲台跡。戦跡スキーなばばろあも満足、「夕日が沈む、急げ急げ」と焦っているおかでんもにっこりのルートだ。
しかしこんなところに砲台を作ってどうするんだ、と思うが、先ほどわれわれが見下ろしていた二見港を防衛するために作られたものだという。
昭和15年に四五式十五糎加農砲2門が据え付け、その周辺に関連施設があったらしい。しかしさすがに集落に近い事があってからか、砲そのものは既に存在していない。
17:39
日暮れが近く、山の西側にあるこの辺りは既に薄暗い。廃墟の建物がなんとも不気味に見えてきた。
これはなんだ。せっかん部屋か、なんて必要以上の恐怖感を持ちつつ看板を見ると、
「油庫」だそうな。
砲台管理用の機械油、発電機用油として、重油が置かれていたと考えられます。
17:39
おっと、落ち葉などに紛れて、何やら砲弾が落ちている。まさかボウリングのピンでしたー、ってわけではあるまい。
これは何の砲弾だろう。加農砲のものだろうか?
これも錆まくっていて、枯れ木と何も違いがわからない。
17:39
弊社跡。
違った、兵舎跡。
こんなところに自分の勤務地はない。そもそもまだ廃墟になってないわ、自分の勤務先は。怒られるぞ、上司に。
このほかにも、監守衛舎や弾薬庫がこの周辺には基礎が残っているようだが、茂みに隠れてしまい調査断念。
17:40
車道を乗り越えて、もう少し登ったところにコンクリートブロックののしっかりした壁が設置されていた。
地図上には砲台長位置、と書かれている。ここで敵機を観測し、発射指示をだすための場所なのだろう。
17:41
何かの壕の入口。扉が錆びている。開くかと思ったが、さすがに扉は開かなかった。
17:44
ウェザーステーション手前にあった弾薬庫跡。母島の静沢戦跡で見たのと似た形をしている・・・のだが、戦後気象庁かどこかが有効活用したらしく、ステンレス製の扉や窓をふさぐフェンスなどが新しく設置されていた。
17:46
これも何かの壕の跡だと思うのだが、入口を塞いでいる上に、何やら今風のケーブルが延びていた。
源泉からの温泉の引き湯だろうか?
・・・まさか。
「ウェザーステーション」という名前の通り、ここには気象庁の大村観測所があり、東大の地震研究所の施設や国土地理院のGPS施設もあるという。そういったもののために活用されているんだろう。
戦争の遺物も、有効活用。
17:47
三日月山展望台に到着した。
良かった、まだ日が暮れていなかった。ちょうど良いタイミングだ。
17:52
ちょうど夕日を眺めるのに適した、段差になったスタンドのような場所があった。そこで腰掛けて、本土から1,000km離れた太陽が太平洋に沈みゆくのをじっと眺める。
ずっと太陽をみていたら瞳孔が閉じてしまい、なんだか眼がチカチカする。
「とりあえず、若い頃の思い出でも話すか」
「何を話すんだよ、今更」
18:02
あれっ、水平線に太陽が落ちると思ったのに、水平線あたりは霞が出ていた。
太陽が霞の中に消えていく。コラ待て、それは詐欺行為だぞ。おい、そこは水平線ではない。消えるのは早すぎるぞ。
「いやあ父島は離島ですから。これくらいの不自由はご勘弁を」
なんて言わせないぞ。おい!
18:07
あー。
霞の中に太陽が消えてしまった。これは「日没」と呼んで良いのか、それとも「雲隠れ」と呼ぶべきなのか。
アワレみ隊3名どころか、その場に居合わせた全員がこの中途半端っぷりに途方に暮れてしまった。
18:09
オチのつけようがなく、困り果てている3名+その他の観客。
「なんとも煮え切らない結果に終わりましたな」
「・・・クジラでも見えればまだ良かったんだけど、それも無し」
「安心せえ、ここから三日月山までの遊歩道沿いに戦跡がまだいろいろあるらしいんじゃ。そこを見て帰れば、ちゃんと今日はオチが付くで」
「やめい。もう日没じゃないか。さっきから、『森の中だと手ぶれが酷くて撮影がうまくいかない』ってボヤいていたくせに」
18:21
ブーン、とまたレンタバイクに追い越されるのを「ちっ、ええのぅ」と引き続き嫉妬しつづけながら、山を下る。
日没を眺めていたということは、夜が訪れるということだということをすっかり忘れていた。「やあ、日没って感傷的になれていいねえ、旅って感じだねえ」なんて暢気に構えていたが、ウェザーステーションに隠れる形で東側に位置する大村集落はもう真っ暗だ。
「足元に気を付けろよ!」と言いながら、先ほどの第二砲台跡を通り抜けながら下山する。
またブーン、とレンタバイクが通り過ぎていく。横にイルカが描かれた黄色いバイクが圧倒的に多い。そんなにいそがなくてもいいじゃん、って感じで山を駆け下りていく。ああそうか、食事付きの宿に泊まっている人たちはもう夕食時間になっているんだな。そりゃあいそがないと。慣れないバイクで事故んなよー。
18:39
やあ、やっと下山して大村集落まで戻って参りました。
さて、われわれは素泊まりの身軽な身分。宿には戻らないで、そのまま夕食場所を探そう。
目抜き通りの一本裏に入ったところが、飲食店街が立ち並ぶ通りになっていた。ぶらぶらと散策しながら、これぞというお店を探す。
18:44
お店が建ち並ぶ、といってもこんな感じ。まあ、ネオンがキラキラチカチカ、路上には蝶ネクタイの客引きなんかがいたら離島風情もあったもんじゃあないけど。
島の名物といえば「カメ」「島寿司」であり、昨日それなりに食べちゃった。じゃあ今日は何を食べれば良いのか、イマイチ決め手に欠けるままぶらぶらと道を歩く。
「気温や湿度の感じからして、タイ料理とかそういうのが合うなあ」
「小笠原に来てタイ料理はいくらなんでもあんまりだろ」
「まあな・・・かといって、南の島だし、あまり魚には期待していないしなあ。さて。」
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