11:43
洞窟の先には金銀財宝お宝ざっくざく、もしくはしゃれこうべが・・・なんて事があるわけもなく、奥に進んでいくと何か明かりが見えてきた。
ちょうど先ほどの砲眼とは並行にあたるところだ。どうやら、こちらにも砲眼を作ってあって、それぞれを壕でつなげていたらしい。
11:45
その並行する砲眼に行ってみたら・・・
おっと、ここにも八九式十五糎加農砲があった。
完全に破壊されてしまって、砲塔がごろんと地面に転がってしまっている。
こちらも錆まみれになってしまい、過去これが武器だったとは思えない様相を呈していた。武器、というより鉄くず状態。
11:46
とはいっても、こういうのが周囲に転がっているあたりが、なんとも生々しい。
これは何だろう。ギザギザしてゼンマイのように見えるので、砲塔の向きを変える際に使う装置だったのかもしれない。
11:47
このUFOみたいなのは何だろう。
装輪砲架(要するに砲塔を運ぶための台車)の車輪の一部だろうか?
「これは何だろう」と考えながら、遺物を見るのは推理をしているようで面白い。
ただし、戦時中はここで、いつ敵艦隊が現れるか緊張しながら監視していた兵が居たわけで、安易に楽しんではいけないところが心情的に難しいところだ。
11:48
加農砲脇の壁にあった、電源設備。
ブレーカーだろうか?
「誰かさわってみて確認してみろよ。感電したら電源だ」
「電気がいまだに通じてる訳、ないだろ」
確かに。
11:49
砲眼から眺めると、こんな美しい海なんだけどねえ・・・。
ここを守備していた海軍兵達は何を思って過ごしていたんだろう。
相当飢えが酷かったという話なので、単純に「腹減った」だったのかもしれないが。
12:02
壕から抜け出し、遊歩道地図で「戦跡B」とされいてる森の中を散策する。遊歩道があるので、それに従って歩いていけば良い。まるで戦争資料館のように、あちこちに遺物が埋もれているのがすごい。
まず見つけたのが、九六式二十五粍二連装高角機銃。戦艦大和の側面にたくさん配備されていた奴と同じ。大和の模型を作るとき、一番「あー、面倒じゃのぅ」と放り出したくなる部分。
速射できるように、3連ある砲を、1つあたり2秒ずつ使うという仕組みになっている。一度に3連射した方がつえーじゃん、と思うが、それをやるとあっという間に銃身が焼けてゆがむ。残り二つの銃身が作動している間の4秒間で、わずかとはいえ冷やしてから次の発射をする、という仕組みだ。
えらく短い銃身じゃのう、こんなんじゃ初速は遅いし射撃精度は悪いし使い物にならんやんけ、と思ったら、ばばろあ曰く「銃身の先の部分は取り外されてしまってる」んだそうだ。
12:04
ジャングルの中に何か建物が見える。地図で確認すると、弾薬庫らしい。
12:04
弾薬庫入口。結構大きい。
ばばろあがこの時点でなにやら感動している。
「みてみぃ、鉄の扉が残っとる」
「はあ。それが何か凄いんか?」
「普通、こういうのって戦後のどさくさで貴重な鉄は盗まれてしまっとるんよ。じゃけえ、こうやって扉が残っとるのって、内地じゃ珍しいんよ」
「へえー」
知らない人からすると、単なる扉にしか過ぎず見逃すところだが、知識がある人と同行するといろいろな発見があるものだ。
12:04
中に入ってみる。
さすがに弾薬庫として使っていただけあって、結構分厚いコンクリート塀だ。
普通、こういう廃墟って悪い奴がスプレーで落書きしたり、たき火を焚いたり、空き缶を転がしたりするものだ。
しかしさすが母島、そういう悪い奴は皆無で、落書き一つなく静かにたたずんでいた。なんだかそれだけでも厳かな気分になる。
12:05
ばばろあが、一斗缶らしきものをのぞき込んでいる。
「一斗缶?ガソリンでも入っていたのか?」
「一斗缶ちゃうで。これ、弾薬入れ」
「えー」
いろいろなものが残っているものだ。
12:08
大きな弾薬庫から歩いてしばらくのところにも、小規模な弾薬庫があった。こちらも、錆まくっているとはいえ、ちゃんと鉄の扉が残っている。
「素晴らしい。全く盗難にあっていない」
ばばろあがこの光景を見て感動している。
12:10
砲台があったり、塹壕があったり、歩きながら「おっ、こっちも!」「あ、これは」などと良いながら歩いていると、また高角機銃が転がされていた。
12:24
展望台風に高台が作られていて、そこに砲台が作られていたりといろいろこの辺りは防衛上相当力を入れていた事が分かる。
しかし、段々見ていて飽きてきたのは事実。暑い中結構歩くし、出てくるのは錆びたものばっかりで、どれもなんだか似て見えてくるし。
おっと、林の中にさりげなく八九式十五糎加農砲が転がっているぞ。でもいい加減見飽きた感が強いので、写真撮影だけしてスルー。
12:25
「もうそろそろええんじゃないんか?」
戦跡地図に掲載されているところはまだ全部見ているわけじゃないが、段々どうでも良くなってきたしぶちょおとおかでん。
「なんだかどれも同じに見えてきたんですけど」
いや、確かにワクワクするし楽しいんだけど、ちょっとあまりにもたくさん「貴重なブツ」が登場しすぎちゃって、食傷気味になってくるんスわ。「スペクタクル」すぎちゃって、疲れてきた。
「後もう少し先に行ったところにまだあるはずなんじゃけどねえ」
といいながら、ばばろあはぐいぐいと先に進む。
12:30
「おいちょっと待て、何かお墓に出てきたぞ」
「あれぇ、おかしいのぅ、そんなはずはないんじゃけど」
ばばろあ持参の1/25,000地図と観光案内所で貰った地図を見比べながら、途方に暮れるばばろあ。
「さては道を間違えたな?」
見ると、ロースさんのお墓、なんてのがある。後でロースさんについては説明するが、その人のお墓があるような人里まで降りてきてしまった事になる。外海が見渡せる場所に砲台等があるはずであって、湾内の集落近くまで降りてきたのは何かの間違いだ。
12:30
「しょうがない、戻るか」
と、ショートカットしようとしてロースさんのお墓の前の石垣にばばろあが飛び乗ると、石垣の石が一個崩れ落ちた。
「あー」
慌てて復旧土木工事に取りかかるばばろあ。
「あとでロース記念館に行って、ロースさんに謝らにゃな」
12:39
ばばろあはもう少し探検を続けると言うので、疲れたおかでんとしぶちょおはのんびりと車のところで待機。
木によじ登って、潮風を全身で感じながら青い海、濃い緑を見ているととても気持ちが良い。眠たくなって木から落ちそうだ。
しばらくして、えらく難しい顔をしたばばろあが戻ってきた。探していたブツが一部見つからなかったらしい。
「観光協会の地図がちょっと曖昧なんだよなあ」とぼやきながら、車に乗り込んできた。
さあ、もう昼過ぎ。ははじま丸の出航が14時だし、そろそろスペクタクル体験は終わりにしよう。
12:50
お昼ご飯を食べる場所探しのため、沖港の集落に戻ってきた。14時の出航までもうあまり時間が残されていないが、狭い島の事だ、ギリギリでも十分に間に合う。
あと、宿からは「車は港に置いといてくれれば良いから」という事だったので、ますます気楽だ。
恐らく、われわれが乗る「ははじま丸」で母島に来島した次のお客さんを、そのまま乗せて宿に連れて行くつもりなのだろう。
・・・というわけで集落を車でぐるっと回ってみたが、飲食店が一軒も開いていないではないか。「大漁寿司」なんてお店があるぜ。こりゃあ「大量」に地元の魚を食べなくちゃなあはっはっは、なんて言っていたんだが、開いている気配がない。その他数軒の飲食店も全て全滅。嗚呼。
「そうか、そういえば父島、母島共に『定休日:おがさわら丸出航日翌日』ってところが多いんだった。昨日、おが丸はすぐにトンボ帰りで父島を出航したはずだから・・・」
「今日は定休日ってわけか!」
「ゴールデンウィークとか関係ないんだな。うへー。困った、食べるところないじゃん」
そうこうしているうちに、集落の外れにまで来てしまった。何やら小きれいな建物がある。これが、「ロース石関連資料館」。先ほど、石垣を破壊してしまったロースさんの施設だ。
ところでロース石って一体なんスか、って話なんだけど、
ロース石は江戸時代末頃に母島に移住し、日本に帰化したドイツ人ロルフスラルフが発見し、利用方法を島の人々に教えたと伝えられている。
この石像建築物は大正6年(1917年)ごろ、砂糖収納庫として造られたもので、桟橋の近くにあっったが、ここに移築された。
んだって。ロルフスラルフさんが発見したからロース石、というのは随分と名前が変形しちまいましたな。ビーフストロガノフを創作したストロガノフ侯爵にちなんで、かの名物料理をスガ汁と呼ぶようなもんだ。
13:02
加工しやすい上に耐熱性に優れていているため、とても優秀な石だったようだ。しかし今では母島では産出できないとか。資料館の建物の壁が、ロース石をレンガ状に積み上げて造られたもので、とても暖かみのある色合いで素敵だった。
「自分でもし家を造る機会があったら、ぜひロース石を採用します!」
なんて案内係の人に安請負しちゃったけど、もう産出していないのならば仕方がないなあ。
ためしにwebで「ロース石」を検索してみたところ、ひっかかるのは「牛ロース石焼き」っていう焼肉屋のメニューばっかり。大変に美味そうだが、がっかり。
資料館の庭には、ロース石で造ったかまどや流しが飾られていた。
「すいません、さっきアナタの墓の前の石垣を一個崩しちゃいました。でも元通りに直しましたので勘弁してください。」
ばばろあが資料館に向かって謝っていた。
謝るんなら、石垣があった場所に建立された墓に対してじゃないか、と思うが、まあいいか。
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