11:39
そろそろツアー終了の時間が近づいてきた。「人によっては一日がかりのコースを、今日は半日でやってますからね」と板長さんはけろりと言う。そりゃ大変お得だ。
だから、「さあそろそろ終わりの時間」的雰囲気はこの時間になってもまだ無く、ぐいぐいと壕に入る入る。
次に訪れた壕は、なにやら入り口が狭い。人一人通るのが精いっぱいだ。
11:40
しかも、シケイン状にコンクリートブロックが邪魔をしていて、アミダクジ状態でくねくねと曲がってようやく奥に入ることができる仕組みだ。何だ、これ。
「ここも重要なものを保管していたんでしょうね。外からの衝撃に耐えられるように、こうして頑丈に作ってあるわけです」
そういうことか。それにしても分厚いコンクリートだ。物資不足の中作っているわけだから、恐らく「これくらい分厚くないと守りきれないぞ」というギリギリ最低限量で防御壁は作ったはずだ。それでこの厚さなんだから・・・。つくづく兵器の威力というのは恐ろしい。
「分厚いステーキは身震いするほどうれしいけど、分厚い防御壁は身震いするほど怖いな」
と思ったが、口にするのはなんだか英霊に失礼にあたる気がしたのでやめておいた。
11:41
これだけ頑丈な入り口の中だ、さぞや内部は凄いことになっているんだろう・・・と思ったら、あっけない奥行きだった。ただ単なる洞窟、といった感じ。ドラム缶2つがお出迎えしてくれただけだった。燃料庫にでもしていたのだろうか?今となっては何も痕跡が残っていない。板長さんも何があったかまでは知らないそうだ。
11:45
壕を出てしばらく歩くと、道ばたにまたもや壕を発見。「道ばたに」という表現を使うあたり、もうなんだか感覚が麻痺しちゃってる気がする。
見慣れない鉄のかたまりがある、と思ったらこれが四一式山砲。車輪が外れてしまっているが、転がして移動可能なため機動力に優れていた。ただ、この砲身の短さだと照準は甘いだろうし、初速は遅いだろうし、近接戦闘向けなんだろう。だとしたら、盾として装備されている鉄板の薄さがあまりにもの悲しい。申し訳程度についている射手用ののぞき穴を覗くまでもなく、敵の弾が鉄板を貫通してしまいそうだ。僕だったら上官から「この山砲で敵の前面に出て戦ってこい」と言われたら「勘弁してください」と土下座しちゃいそうだ。
まあ、あれだ。ガンダムで言うところの「配属:ボール部隊」と言われて、「ああオレはこれで死ぬんだな」と配属を聞いた瞬間の諦念しちゃうような感じ、みたいな。
と、四一式山砲を馬鹿にしたような事を書いているが、各戦線で活躍したところを見るとそこまで悲惨な武器ではなく、良い武器だったのかもしれない。ちなみに「四一」とは、明治41年制式採用されたから。先ほどの高射砲と違い、皇紀ではない。非常に紛らわしい。
11:47
おお!四一式山砲!という状況だが、華麗にスルーされつつ、引き続き狭い壕の中に入る。もう少々の「何か」程度では立ち止まらない状況になってきている。写真を撮影して通過。
11:48
入り口は狭かったが、中は立派な壕になっていた。連絡用通路ではなく、司令部か居住用として利用されていたのだろう。
11:49
ドラム缶、というより樽と呼ぶべきものが錆びておいてあった。海賊映画みたいに、酒が詰まっている・・・わけないから、燃料でも入っていたのだろうか。
他のものが何も残されていない、きれいな状態の中でぽつんとこういう「生活臭」のするものが取り残されているのは何か不思議な気がする。
11:50
こちらには、壁に立てかけるタイプのはしごが、立てかけられたままになっていた。
一体何に使うつもりだったのだろう。登った先にロフトベッドが・・・あるわけないよな。
生活臭が全くない壕なのに、時々思い出したかのようにこういうものが転がっているから不思議だ。他のものは一体どこへ消えたんだ?
11:50
なにやら燃やし尽くされたような形跡の何か。れんがのようなものも見える。厨房があったのか?わからない。(多分これも板長さんから当時聞いていたと思うんだが、忘れてしまった)
11:51
それにしても立派な壕だ。今まで入った中では一番立派といえる。幅、高さもさることながら、地面の整地もしっかりしている。トラックが余裕で入ることができる広さだ。
11:53
ただ、これだけ立派に作ったには訳があったんだろう。見よ、これだけの何層にもわたる入り口部分のゲートの数を。多分ここに鉄か木かわからないが、門が取り付けられていたのだろう。
先ほどのシケイン型防御壁も「守るぞ!」感を強く感じたが、ここもその執念を強く感じさせる場所だった。
11:56
地上に出てきた。明るい太陽が照りつける。少々歩くと、なにやら見慣れた光景が・・・あれ?出発地に戻ってきたぞ。
なんだか信じられない。
今までのは全て催眠術でみた幻想でしたー、と言われたかのような驚きだ。あれだけ山の中をぐるぐる練り歩いて、結局最後の壕から出てみたら車のすぐ側だったのだから。
一体どうなってるんだ、ここの地下壕は。三次元に作られ過ぎていて、さっぱりわからなかった。とりあえず判ったのは、「あ、これでツアーは終わりだ。」ということだけだった。
板長さんは手書きの地図を見せてくれたが、さすがに読んでも理解できなかった。三次元を二次元で描くのは難しい。
11:56
「これ、差し上げますよ」と板長さんは、惜しげもなくその手書きの地図(表裏両面とも描かれている)をプレゼントしてくれた。恐縮する一同。
「おい、ばばろあ、代表して君がもらっておきなさい。価値が理解できるのは君しかいないからな。あとついでに弟子入りを志願しておけ」
「いや、弟子入りはちょっと」
「何言ってるんだ、板長さんだっていつまでもガイドできるわけじゃないんだぞ?若い後継者が必要なんだから、今の内から小笠原の全てを学び取れ」
「むちゃ言うな」
そんなやりとりが板長さんの聞こえないところで行われていた。おかでんとしぶちょおは「ばばろあを父島の戦跡ガイドにする」案にノリノリだったのだが、当のばばろあがなぜか抵抗というか遠慮してしまい、もくろみ失敗。まあ、戦跡ガイドの弟子で食っていけるかというとさすがにちょっと辛いわなあ。
12:09
まだ魔法から冷めていないような状態でぽーっとしている3人を載せ、車は大村地区へと戻ってきた。
板長さんが
「お昼ご飯、弁当にでもしておが丸で食べるんでしょ?だったらおいしいところを知っているからそこに最後案内しますよ」
と気を利かせてくれた。
「あ、えと、お店で島寿司とか食べようと思っていたんスけど」と言い出せず、板長さんに導かれるままに「美津ストアー」なるお店に連れて行かれた。
集落のメインからは外れた場所になるが、結構お弁当を買いに来ている人が多い。実際においしいようだ。
ここで売り切れ寸前だったお弁当を三者三様買い求め、バナナ荘まで送り届けて貰い板長さんとはお別れとなった。どうもありがとうございました。非常に密度の濃い、得難い体験をさせてもらいました。いっちゃなんだが、ダイビングなんてのは沖縄でもできる。しかし、こういう戦跡めぐりはここじゃないとできない。とても良いツアー選択だったと思う。グッジョブだとわれわれを自らほめてやりたい。
「まあ、男三人だったからこういう企画ができるんだよな。女っ気無いからなあ」
「それはポジティブな意味で捉えようではないか。ネガティブに考えてはいかん」
しかし、最後になって板長さんから衝撃の事実が。
「数日前、女性一人でのツアー参加って方がいらっしゃいましたよ」
「ええ!?女性が戦跡ツアー?しかも一人で!?」
「どうせおばさんだろ、それ。エコツーリズムと勘違いしてるんじゃないか?」
「若い女性でしたよ」
「なに!」
色めき立つ年頃の男性一同。
「おいばばろあ。これは運命の出会いとしか言いようがない。同じ戦跡めぐりが趣味の、しかも一人きりの若い女性。これは絶対にものにせんといかんぞ」
「なんでそうなるんや」
「板長さん、名前教えてくれなかったけど大丈夫。帰りのおが丸で館内放送してもらおうぜ。『板長の戦跡ツアーに一名で参加された女性の方・・・』って呼び出せば、絶対にヒットするって」
「何しろ船内には多くても1,000人、女性は半分くらいだろ。一人一人声をかけたって、25時間半の間になんとかなる」
説得工作をしばらく行ったが、ばばろあは話に乗ってこなかった。ああ、白馬の王女様が遠のいていく。親友として惜しい。あまりに惜しいデスよ?
12:23
購入したお弁当3種類。町中にある安物弁当を売りにしている店のものと比べて、具だくさんなのは認める。しかし840円にはさすがにびびる。
「豚汁付き、とかご飯おかわり自由、とかそういうのはないのか?」
思わずうめいてしまう価格だ。
しかし板長さんの手前、買わないわけにいかなかったので購入したのであった。旨いって話だし。
「この840円のうち40円は、板長さんの懐に落ちる仲介手数料分かな?」
「おい、板長さんのことを悪く言うな。あの人は根っからの善人だ」
12:26
バナナ荘の食堂でお弁当を食べる。
まだこの時間でチェックアウトをしていないわれわれ。週1便の船でしか人の出入りがないので、おが丸の入港から出港までの数時間の間は、チェックインする人とチェックアウトする人が入り交じる事になる。
とはいっても今日入港のおが丸はがらがらだったようだ。GW景気は去り、父島は静かな離島へと戻っていくのだろう。
で、肝心の弁当だが、確かにこれはおいしゅうございました。さすが板長と名乗るだけあって、料理人が奨める料理に外れ無し、だ。島寿司を食べ損なったのは非常に残念だけど、まあいいや。
ちなみに、「島寿司」が存在するのは、八丈島と小笠原、沖縄の大東島だけだ。おかでんは一番遠い「小笠原地区」で島寿司を食べ損ねたわけで、これにて島寿司完全制覇の夢はほぼ絶たれたと言って過言ではない。ああ、無念。
来島初日に島寿司定食を食べていたしぶちょおだけは、八丈島、小笠原と順調に島寿司巡りをしており、大東島を残すだけのリーチ状態。ちょっとだけうらやましく思える。
まあ、三島それぞれの島寿司を食べ比べたからといって偉いとかそういうわけではないのだけど。
12:57
おが丸は14時出航なので、そろそろ搭乗手続きをしにいかないといけない。二見港のフェリーターミナルに向かう。
行きの時でよくわかったが、「早く行こうが遅く行こうが、どーせいい場所がとれるわけではない」ので、慌ててもしょうがない。ゆっくり、乗り遅れない程度に支度をしよう。
とはいっても、GW最後、船は超満員札止め御礼状態という事もあって、フェリーの周辺には人、人、人。さっきまで山の中に潜っていたわれわれからすると、あまりの人の多さにめまいを覚える。一体どこから湧いてきたんだ、この人たちは。
見送る人、そして見送られる人。島の総力を結集して、という感じで人が今港に集まりつつあった。
13:04
帰りの船の中で飲む用のビールを酒屋で仕込んでおいて、搭乗手続き。もちろん船内で購入しても良いのだが、高くつくので島内で買っておこうという算段だ。
それにしても不思議だよな、おが丸で運んでいる物資なのに、おが丸船内だと高くて、島内だと安いんだから。ま、需要と供給のバランスってやつだ。
行きの搭乗券が緑だったのに対し、帰りは赤。色違いだ。
13:06
二等客室の貧乏人ども・・・というか、自分らも含めて大半の乗客・・・が行列を開始していた。竹芝桟橋の時と同様、100番単位で行列を作る。われわれは450番前後だったので、400番台の列に並ぶ。
列から少し離れたところには、お見送りする人たちが待機していて、知り合いを行列で見つけては「また会おう」と抱擁したり、泣いたりしていた。お見送りチームは、宿やダイビングショップの人たちもいるし、あともう一航海分以上ここに居残る長期ツーリストもいる。この島で2航海以上滞在したら、人生観確実に変わるだろうな。
13:15
搭乗開始を待ちつつ、おが丸を見上げるばばろあ。
旅は確実に幕を閉じようとしていいた。
しかし、まだこれから25時間半の船旅が待っている。あらためて1日以上船に揺られる、いや、閉じこめられるというのは凄いことだ。旅の思い出なんて吹っ飛んでしまう。
さらに、愛知のしぶちょおは東京到着後新幹線だし、広島のばばろあはおかでん邸に一泊の後広島に戻る。まだまだ、各人の旅の終わりは相当長い。
13:28
いよいよ乗船が開始となった。
乗船するやいなや、みんなデッキの岸壁側に鈴なりに並び始めた。荷物を置くだけおいて、お別れの場所をデッキで確保しようということだろう。危ない!船が片方に重みがかかって、ひっくり返る!・・・ってことはさすがに無いか。
コメント