小笠原遠征

二等客室

13:37

「長いようで短かったなあ」と感傷に浸りながら、われわれは父島の地面から海洋上の人となった。さらば、父島。・・・って、あれれ?「長いようで短かった」のは本当の話だぞ。

われわれ、「母島1泊」「父島2泊」「船中2泊」の旅だもんな。ちくしょう、船の旅が全体の40%も占めている旅なわけだな。道理で短く感じるわけだよ。実際に短いんだから。

で、だ。その事実に気づいてあらためて愕然としつつも、指定された船底の部屋に行ったら・・・うわあ。想像通りといってしまえばそのとおりだが、行き以上の毛布密度なのであった。

「おい、それ以前に敷き布団代わりの毛布サイズが行きの時よりも小さくなってないか?」

「うーむ。それに確実に隣の人との感覚は狭まった」

これは明らかに肩と肩がぶつかり合ってしまう状態と言える。いやっはーぁ、参ったね、高度3,000m近い山小屋でぎゅうぎゅう詰めというのは体験したことあるけど、まさか太平洋上でここまで押し込められるとは。標高差3,000m、日本全国どこでも狭い。

しかもこの状態で丸一日、25時間半だ。お互いがくっつきあって、なれ寿司になってしまいそうだ。

階段の踊り場

13:44

早々に船室で寝るのを諦めた人がいるらしく、逃走を図る人続出。乗船口まわりがえらく混んでいると思ったら、乗船した人が右往左往しているんじゃなかった。毛布と荷物を抱えて、通路の隅っこを居住スペースにしようと場所を探している難民たちだった。

おっと、階段の踊り場なんかも寝床になっているぞ。しかしこの人ちょっとやりすぎ。毛布広げて快適かもしれないけど、通行に支障が出るんですけど。

岸壁側のデッキに鈴なり

13:45

まだ出港には15分あるけど、名残惜しがって人々はみな岸壁側のデッキに鈴なりになっていた。スピーカーからは「蛍の光」がずっと流れている。

ちなみに中国や台湾では、「蛍の光」はお葬式の時に流れる曲だ。知らない中国人がこの光景をみたら、誰か偉大なる人がお亡くなりになって水葬にでもするのではないか、と思うはずだ。

岸壁に見送りに来た人

13:45

彼らデッキの人たちが何を熱心に見ているのかというと、岸壁に見送りに来た人だった。父島に1航海もしくは2航海ずっと滞在し、なおかつ民宿が経営するダイビングショップでダイビングツアー参加なんて毎日やっていると、自ずと情が湧いてくるんだろうな。ダイビングショップの人たちと乗客とがさかんに手を振ったり、なにやら大声で声をかけあっていた。

特異なのがユースホステルの面々で、伝統行事なのだろう、なぜか腰みのに上半身裸という「どこか野蛮な島の酋長」スタイルでお見送りをしていた。良い意味でも悪い意味でも浮きまくっているユースホステルの面々。相変わらず香ばしくて素敵です。

「いいなあ、○○さんはあともう1航海残るんだって」

「あっ、△△さん、あそこにいた!おーい」

なんて若い女性ダイバーたちがきょろきょろしたり仲間とおしゃべりしながらはしゃいでいる。いや、中には涙を流して別れを惜しんでいる人もいるぞ。

それに比べ、僕らといえばシーカヤックをやったとはいえ、今日はマニアックな「戦跡巡り」だ。しかも参加者は僕らだけ。

キャーキャー黄色い声がするダイビング関連のおねーちゃんを尻目に、「板長さんどこだ、板長さん」と野太い声を出している僕ら。うーむ、なんだか場違い感が。

「あ、いた!板長さーん」

発見した板長さんは、一人ぽつんと少し離れたところに立っていた。作務衣姿。うーむ、ますます濃い男な世界ですな。

抽選発表

13:52

スタンプラリーが行われていたらしく、その抽選発表が乗船待合所2階のデッキから行われていた。お名前がデカデカとかかれたプラカードが掲げられ、ハンドスピーカーで「おめでとーございまーす」と言われていた。

商品はおが丸往復チケット。5万円相当の価値があるので相当良いプレゼントと言えるが、問題はまた小笠原に一週間かけてやってくることができるかどうか、だ。チケットはあっても時間が無い、なんてことになりかねない。当選した吉川さん、時間調整頑張れ。

お見送り

14:04

船はゆっくりと岸壁を離れていった。これで本当に旅が終わる。小笠原、東京都とはいえ本土から1,000kmの別世界。得難い体験をした。ありがとう。

船の出航とともに、後ろに下がっていたお見送り客が岸壁ぎりぎりまで出てきて手を振ってくれる。そして、みんなで「いってらっしゃーい」。

「いってきまーす」と手を振る人たち

14:06

「いってらっしゃーい」の声に対して、「いってきまーす」という返事をするわれわれ乗客一同。「また帰ってくるからねー」という声もあちこちから聞こえてきた。

おかでんの立ち位置からだと、板長さんはもう見えなかったが、何もしないのもセレモニーとしてはつまらないので、見知らぬ人相手に一生懸命手を振ったのであった。

カヤック

14:06

出航してすぐのところに、カヤックを漕いでお見送りしてくれる人たちもいた。おお、人力で追走しようというのか。頑張れ・・・と思った瞬間、一艘がくるっと回転して転覆。一同「あああーっ!」と悲鳴があがる。

カヤック

14:06

と、思ったら、船底には「また来てネ!!」と書かれてあったのだった。一同笑うやら、ほっとするやらしたところで、搭乗主は見事なカナディアンロールで復帰。素晴らしいパフォーマンスだった。

一艘のプレジャーボートが追走

14:06

お別れのパフォーマンスはまだ続く。一艘のプレジャーボートが追走を開始したのだった。おが丸出港時の名物、ボートによるお見送りだ。

乗客一同、うれしくなっちゃってますます手を振る。もうこうなったら、知ってる人でも知らない人でも関係ない。

追走する船

14:09

一艘だけではない。父島にある船全てが出陣したんじゃないかと思うほどの大船団があっという間に形成された。数え切れない。少なくとも二桁の船が伴走していたはずだ。

おが丸という船が唯一の交通手段だし、出航頻度が少ないからこそのナイスパフォーマンスだ。飛行機もあります、船も1日1便ありますなんていう交通至便な島だとこのような感動的なお見送りシーンは見られないだろう。

これらの船には一切お世話にならなかった自分だったが、感動したなあ。ああ、小笠原来て良かったなあ、って思いを非常に強くした。あちこちで感涙を流している女の子がいる。もうこの段階で、仲間の女の子に「また来ようね、ね?約束だからね?」なんて話をしている娘もいた。

熱心に追ってくる船

14:23

せいぜい5分くらい伴走したらさよーならなんだろうと思ったら、まだまだ全然余裕でついてくる。おが丸右舷のすぐ横を航行するのが一番目立つし、乗客にPRできる良いポジションだ。そのポジションを巡って、バトルとまではいかないまでも船同士で競い合いを繰り広げていた。

うかつに前の船のすぐ背後につくと、波しぶきに煽られて船の挙動が不安定になる。だから、縦列ではなく並列に船は並んで、「おが丸のすぐ横」に並ぶタイミングを伺っていた。

船には、ショップのスタッフの他にもあと1航海以上居残る人なんかも乗船していて、去りゆく共にメッセージを送っている。もちろん言葉なんて聞こえないので、なにやらジェスチャーゲームのようなポーズを取っているが、さっぱり何のことかわからなかった。

別れ際に船からダイブ

14:23

そして、これも名物の一つとされている「別れ際に船からダイブ」があちこちの船で行われはじめた。水着姿の男性女性が次々と海へと飛び込んでいく。その時点でその船はおが丸の追走を止め、ダイブした人たちを救出した後港へと引き上げていった。

一艘、また一艘。

PAPAYAが最後まで残った

14:31

最後まで執拗に残り続けたのはPAPAYAで、彼らのガッツには一同拍手喝采だ。デッキにいる人たちからも「あの人たちスゲー」と賞賛の声が上がっていた。

何しろ、父島をはるかに超えて、もう聟島列島に届くところまで追走してきたからだ。そこまでやるか。

遠ざかる小笠原

14:33

そのPAPAYAも30分以上伴走したところでついにエンジンを止め、ぷかぷかと浮かびながらおが丸を見送ってくれた。今度こそ本当にさようなら、小笠原諸島。あとはひたすら、大洋の人となる。

寝袋持参の人がいた

14:33

準備の良い人がいるもんだなあ、寝袋持参してるぞ。小笠原慣れしている、とでも言うんだろうか。小笠原諸島はキャンプ禁止なので、当然寝袋なんて持参する必要は無い。しかし、ここにこうしてあるってことは、おが丸船内で使おうとはじめから思っていたということだ。寝袋って結構かさばるだろうに、よくぞ頑張ったもんだ。

Cデッキ

14:38

人混み満載で悲惨な船内を物色するため、Cデッキの乗船口に戻ってみた。ああ、いつの間にかこんなになってる。被災地の避難所、と言われても全然おかしくない(その割には周囲の装飾が不釣り合いなんだが)。

すねの部分が日に焼けて痛い

14:45

自分のスペースに戻ってみると、しぶちょおが既に横になっていた。しかし不自然に毛布をかぶっていて、膝から下を突き出している。

「すねの部分が日に焼けて痛いんよ」

「すねの部分?一体いつそんな場所、焼けたんだよ」

確かに、見ると真っ赤になっている。これはひりひりしそうだ、というのが他人の目から見てもわかる。

「シーカヤックやったとき、すねがむき出しだったから日に焼けた」

「いや、それは誰も一緒だったと思うけど」

普段日に焼けない場所だけに、過剰に反応してしまう人が居るということだ。それにしても痛々しい。

オリオンビール

14:50

出航からまだ1時間経過していないけど、到着までまだ24時間以上あるけど、やることがもう無いんスよ。とりあえず買っておいたビールでも飲むべぇ。オリオンビールで乾杯。

「東京の果て、小笠原で沖縄のビールを飲むというのはすごく不思議な感じだな」

まあ、敢えてそれを狙ってオリオンビールを買ったわけだが。

しかし、缶をよく見ると「Asahi」のロゴが。どうやら、アサヒビールがOEM供給しているようであり、沖縄産のビールではなかったことが判明。ちょっとがっかり。

沖縄→東京→小笠原、と遠路を運ばれてきたビールを今ここで開栓する、というところに旅のロマンを感じるつもりだったのだが、作戦失敗。

「まあ、ビールは鮮度が命、ってアサヒビール自身も言ってるし。ははは」

開き直る。

アルコール自販機

18:45

ちなみに船内のアルコール自販機で売られている飲料は、全て350ml缶でスーパードライ、黒ラベル、一番搾り、ハイネケン、バドワイザー、ハイリキ、月桂冠だった。外国産メーカー2社に場所を取られてしまった純国産のサントリーモルツ、立場無し。

あと、月桂冠といえばワンカップを思い出すが、缶の月桂冠って初めて見た。

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