閉鎖病棟・上高地【小梨平ソロキャンプ2018】

12:37
大正池から歩くこと30分程度だろうか。前方左手の森の中に、赤い屋根が見えてきた。

これが「上高地帝国ホテル」。

インペリアルホテール、だぞ、インペリアル。名前の迫力が全然違うよな。

たとえとして出すのは申し訳ないというか、全く悪意はないのだが、「アパホテル」とかと言葉の重みが違う。「帝国」といったら、ドスンと腹に言葉が響くよな。

帝国ホテルは東京の内幸町にあるのが知られている。格式としては日本最高峰で、会社を退職するときにここの宴会場で「◯◯さんを囲む会」なんてのを有志によって開催してもらえると、会社員人生ツモ上がり感がある。あくまでも昭和的な価値観だけど。

僕は、会社内の立ち位置的にこういう送別会の事務局をやる機会が何度もあったけど、マジで勘弁してほしい。何人集まるかわからない中で会場を押さえて予算管理で心労が絶えないし、過去を振り返るということでいろんな人から写真を集めたり、それをもとにVTRを作ったり。以前、NHKの「プロフェッショナル・仕事の流儀」ばりのVTRを作って送る方の半生を振り返る、という企画をやったけど、VTR編集でヘトヘトになったっけ。

ただ僕は帝国ホテルでは送別会をやったことがない。そんな偉い方の事務局なんて、人脈が広すぎてやりたくない。「あの人を呼ぶなら、なんでこのひとは呼ばないのか?」みたいな話がどんどん飛び込んできて、「知らんがな、僕は秘書じゃないんだから」ということになる。

いずれは帝国ホテルもあったのかもしれないが、時代の流れとして偉い人の送別会がどんどん規模が縮小している。コロナの有無関係なく。虚礼廃止、っていうやつだ。僕が所属している会社も、あるとき役員のお一方が退任される際、「囲む会はやるけれど、社内の大会議室でやる」ってことになって全社がザワっと揺れた。というのも、こういうのは不文律で「あの人があのホテルなら、ウチはこれくらいの格でないと」みたいなのがあるからだ。で、偉いお一方が「社内の大会議室」という選択をしたことによって、同時期に退任される他の偉い方々が「ウチだけ贅沢にというわけにはいかない」という展開になっていったという。

話がずれた。このあたりの社内の空気感というのは語ると面白いのだけど、僕も現役社員である以上これ以上書くのはやめる。

で、インペリアルホテル。

上高地にもこの帝国ホテルは存在し、上高地が山開きしている毎年4月末から11月中旬まで、半年ちょっとの営業を行っている。

もちろん、ここに泊まるのは選ばれし方々のみだ。1泊素泊まりで3万円くらいはする。東京の帝国ホテルと同じくらいだろうか?

半年の営業で1年分の利益と、維持費を捻出しなければならないので大変だ。それで1泊3万円ならむしろ安い・・・かもしれないけれど、いやーきついっす。もちろんここで夕ごはん、朝ごはんを優雅に楽しんでこそのホテルライフだ。そうなると、4万円じゃきかない。5万円くらい握りしめておかないと。

いや、ここに泊まる人はカード払いが当たり前だから、「札束を握りしめている」時点で庶民的すぎるか。

大きな車寄せ、せり出した赤い屋根、石垣。妥協のない立派な高原リゾートホテルだ。

この帝国ホテルは、レストランやロビーラウンジなどがある。もちろん外来の方も利用ができる。僕みたいにトレッキングシューズを履いてドスドス歩いている人だって受け入れてくれる。

ただ、さすがに下山直後で汚い格好をしている人まで受け入れてくれるかどうかは不明。ドレスコードを要求されるかもしれない。なにしろ、白い服を来たドアボーイが玄関にいるようなホテルだ。

12:38
ランチ営業を行っている館内洋食レストラン「アルペンローゼ」。11:30~14:30(L.O.)の営業。

ちょうどお昼ごはんの時間ではある。でもはなからここで食べるつもりはない。なぜなら、ここが帝国ホテルであり値段がすごいということをもともと知っているから。

一泊800円のテント泊の僕は、先ほど大正池ホテルで食べた「しかまん」で十分だ。

ちなみにメニューを見てみると、「シェフお薦めランチ」が5,500円。おおう。にこやかにシェフにおすすめされたけど、僕もにこやかに「ノーサンキュー」と言って後ずさりだ。

でも、帝国ホテルがぼったくってるなんてことはまったくない。ホテルの格というのがあるわけだし、ランチといってもオードブル、スープ、牛フィレ肉ステーキ、パンまたはライス、食後のドリンクというコース形態だ。そりゃー5,500円するでしょうよ。

せめて「フライドポテト」とか安い単品料理はないのか?と思って探してみたが、一番安くて「スパゲッティボロネーゼ2,500円」だった。あとは多くは3,000円オーバーの料理。

まあ、帝国ホテルですから。

ここで中途半端にケチって、ショボいものを食べるくらいだったら、バーンと帝国ホテルに財布を預けて全幅の信頼で、うまいものを食べたほうがいい。たぶん。

あっ、安い料理、メニューの隅っこに見つけた!

「パンまたはライス」350円。

さすがに怒られるだろうな、「パンだけください」って言ったら。

でも油断するなよ?ここはホテルだ。この表示金額のほかにサービス料として10%が請求されるからな?

和食のお店もある。さすが帝国ホテルだ、半年しか営業できないホテルであっても、レストランが充実している。

こちらの「おすすめ御膳」は天婦羅で3,000円。小鉢、御飯、信州味噌汁、香の物付き。洋食ほどすごい値段ではないけれど、お昼で3,000円はなかなかな覚悟がいる。

もういっそのこと、「あずさ庵特選 松花堂弁当」5,400円でも食べてしまえばええんや!ついでに、清酒でも頼んで酌を酌み交わせばええんや!というやけくそになりそうなメニューだ。

でもこれだけお値段が素晴らしいと、行きずりの観光客などの冷やかしの人は利用しないだろう。客層はアッパーで快適に過ごせそうだ。

そんな上高地帝国ホテルに何の用だ?というと、僕はここでお茶をキメようと思っているのだった。昨日が明神の「 かふぇ・ど・こいしょ 」でお茶だったけど、今日はいよいよ帝国ホテルだ。

「グリンデルワルト」という、ロビーラウンジがあるのだが、以前ここを訪れた時、その素敵な雰囲気に魅了された記憶がある。だから今回、ここでお茶を愉しみつつ読書をキメようと思い至った。

・・・「キメる」とかいう言葉を使う時点で、なんだか下品だな。

まぁー、お値段はもちろんそれなりにするんだけれど、コーヒーを頼むくらいなら財政破綻するほどの出費にはならない。改めてメニューを見ると、税込み950円だった。これに10%のサービス料がついても、まだ許せる。そう思うと、スタバのコーヒーって高いな。急にスタバにとばっちりが向かってるけど。

「アフタヌーンティーセット」もある。4,000円。でもさすがに、中年男性一人がここでアフタヌーンティーというのは、いくら身なりがよくてもそうでなくても、怪しい光景だ。まあ、コーヒーだけでいいと思う。あれこれ欲張る必要はない。

12:40
何しろ、これだぜ?

アルペンホルンの筒のようなものが吊り下がっている。これ、床が暖炉になっていて、薪がくべられている。その煙を吸い上げるための、煙突だ。

このグリンデルワルトは2階まで吹き抜けになっているので、開放感がすばらしい。圧倒的な存在感の煙突と、開放感と、ウッディなインテリア。赤い重厚なカーテンということも相まって、非日常感がすごい。

黒服のスタッフに先導されて、席に座る。「どちらの席がお好みですか?」と言われて、答えに困ってしまった。ええと、どうしよう。「どこがおすすめですかね?」と聞いたら、黒服さん、「こちらでしたら窓の外の景色も、暖炉もご覧になれます。いかがでしょうか」とおすすめ席に通してもらえた。

さすが帝国ホテル、礼儀作法がものすごくきっちりしている。こっちもかしこまってしまう。

良い接客は良い客を作る、と思う。もちろんその逆もまたしかり、だけれど。

さて、着席してからメニューを改めて眺めたら、何やら不穏なメニューがあった。これ、店頭には展示されていなかったやつだぞ。

「上高地帝国ホテル85th記念メニュー」なんだそうだ。

へえ、そうなのか。それはめでたい。めでたいから、頼んじゃおうかなぁ。

  • 季節のフルーツゼリーとお飲み物 2,700円(1日限定10食)
  • 特製ケーキ5種盛り合わせとお飲み物 2,500円(1日限定20食)
  • 上高地帝国ホテルのカスタードプリンとお飲み物 1,700円(1日限定20食)

もちろんお値段は高い。

でも、このお店に足を踏み入れた時点で、コーヒー一杯1,000円以上するということの覚悟ができている。一旦お店に入っちゃうと、気が緩んでしまうのか覚悟が効きすぎているのか、急に財布の紐が緩んでしまう。

特製ケーキ5種盛り合わせ、いいなぁ。でも1日限定20食だしなぁ、もし「品切れです」と言われたら「じゃあ仕方がない」とコーヒーだけ飲んで帰ろう。

・・・え、あります、って?

おおう、あるのか。あ、はい、お、お、お願いします。

どもっちゃったよ、動揺して。

今日はこれが予算的にはディナー確定だな。

それにしても上高地でケーキを食べることになるとはなぁ。ちょっと前の自分だと想像できなかったことだ。

そういう、自分の過去に思いを馳せる余裕があるのがこの旅の気楽なところ。

オーダーをとってくれた黒服の方、「何かアレルギーなど、ございますか?」と聞いてくれた。へええ、そういうことまで配慮してくれるのか。大丈夫です、ここでケーキが食べられないとアレルギー症状が起きますので早く食べさせてください。

12:43
グリンデルワルトを俯瞰したところ。

重厚な椅子、そして吹き抜けて二階部分の手すり。二階からは熊の毛皮だろうか、なめされたものが吊り下げられている。これもまた森の中に来ている感を醸している。

12:46
ゆっくりと午後のひとときをグリンデルワルトで過ごすために、先にお手洗いに行っておく。

お手洗いに向かう途中の廊下に、ダイニングルームの案内板とメニューがあった。その名も、「THE DINING ROOM」だ。これまで登場したレストランはまだ序の口、ラスボスのメインダイニングはこれだった。しかも「バー ホルン」もある。

上高地でカクテルをたしなみつつ更け行く夜を満喫、というのは素敵だ。ただし宿泊者専用。小梨平のキャンパーたちがぞろぞろやってきて、「お酒ください」というのはダメ、というわけだ。

このダイニングルーム、コースは「白樺」と「神河内」の二種類だった。白樺が13,500円、神河内が16,500円。当然こういうお店を使うからには、ワインなんぞもお召し上がりになられあそばされるわけで、うっかりすると夕食が宿代に近づいてしまう。さすがだ。

お手洗いとグリンデンワルトの間の廊下には、上高地を描いた油絵が並んでいた。

床は石畳。壁はしっくいの塗り壁で、コテによる盛り上がりが変化を作っていて楽しい。

12:50
席に戻ってまもなく、注文した品がやってきた。

「ふむ」

柄にもなく嬉しくなった僕だったが、ここは喜びをおくびも出さず、スッと、サッと、さりげなく対応する。これくらいなら日常茶飯事、という雰囲気を醸し出したい。そんなの、フェイクだけれど。我ながらあまのじゃくな性格だ。

日常茶飯事で上高地でケーキ5種、なんて人、いるわけないじゃん。

従業員には黒服と白服がいて、役割が明らかに違うようだった。どっちがどっちか忘れたけど、どっちかがマネージャーなのだろう。なんていい加減な。どちらの方も接客は完璧。

ケーキ5種。

小さいサイズ用に作られたもので、ホールで作ったものの1片、というわけではない。小さくても立派だ。食べるのがもったいない、というのは僕の思考回路にない発想だけど、これは当分ニヤニヤしながら眺めていたい。あっ、ニヤニヤしている時点で「日常茶飯事」感のメッキが剥げている。

13:10
それにしてもなぁ。今読んでいる本が「東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く」だもんなぁ。このギャップがすごい。せっかく下界から隔絶した世界にいるのに、すごく生活感があふれる戦後のドサクサ話を読んでいる状況。でも面白い。東京のあちこちにあった、ヤミ市が立った場所の解説は既にフィクションの話のようだ。今では考えられない。

しばらく読書とコーヒーを楽しむ。

コーヒーを飲み干すと、ボーイさんがやってきて「おかわりはいかがなさいますか?」と聞いてくれる。あ、おかわり自由なのか。そうか、ホテルだもんな。

こういうホテルラウンジの利用なんてほとんどしたことがないので、「コーヒーのおかわりができる。しかも声をかけてもらえる」ということにいちいち驚く。なんだ、日常茶飯事どころか、新鮮な驚きと興奮でこの時間を過ごしてるじゃないか。

上高地帝国ホテル特製のコーヒーは、スッキリとして癖の少ない、飲みやすいコーヒーだった。苦くもない、甘くもない、かといって薄くもない。口の中でイガイガしなく、胸焼けもしない。これだったら、おかわりをお願いしたくなる。二杯飲んでも三杯飲んでも、飽きがこない味だ。さすが。

14:10
すっかり感心しきって、1時間以上の滞在となった。おかげで読書がはかどり、ヤミ市の本を読み終えてしまった。これで、僕が今回の旅行でノルマにしていた本3冊は読了。

コーヒーは3杯いただいてしまった。うん、よいひとときだった。くつろいだなぁ。

ちなみに、近くのテーブルではどこか上高地界隈のお店のスタッフと思しき人たちがお茶をしながら団らんをしていた。どうやら期間従業員として全国のあちこちから集まってきているようで、しかも顔なじみのようだった。お互いの近況報告に花を咲かせていた。へえ、そういう仕事っぷりもあるのか。

白馬とか栂池で働いていて、そこから上高地に移ってきた人が中にいた。冬はスキー場、夏は上高地で働くのか。それは年中ずっと非日常感の中で生活を続けることになるのだな。すごいなぁ。僕みたいに通勤電車に揺られて毎日会社に行ってデスクワーク、というのとは大違いだ。眩しい存在だ。

でも、古参兵ほど戦力として期待されているようで、今この時期はお店の立ち上げで大忙しなんだという。集まってきた人の中には使えない人も混じっていて、その人の分まで自分が働かなくちゃいけないから大変だ、なんて言ってる。確かに、まだ山開きして数日。準備期間は少しあったとは思うけれど、まだ今年度のオペレーションに慣れていなくてあっちこっちドタバタだろう。

13時過ぎに帝国ホテルでお茶をしている、ということは今が中休みということだ。ということは売店勤務ではなく旅館部門で働いているに違いない。そういう観点で話を聞いていると、ああ、あそこか・・・というのはなんとなくわかった。なるほどね、へえ、そういう裏事情があるのか。

集まっている人は、その旅館だけでなく複数の施設で働いているようだ。お互いがお互いの施設のドタバタ話をして「大変だよねぇ」と同情しあっていた。

いや、盗み聞きするつもりはなかったんだけど、声がよく聞こえてきたので。いろいろ事情が聞けて面白かったです。

14:16
お会計、2,500円。これに10%のサービス料がかかるので、2,750円のお支払い。

ただ、カード払いができるので少しはこの金額に対する罪悪感が薄れる。

というか、ここまで気持ちの良い空間で、素敵な接客と飲みもの・食べ物を提供していただいたんだ。大満足ですよ。ビビることはなにもないですよ。気持ちよくお金が払えるというものです。

それもこれも、「一泊800円のテント泊」というのが大きい。「どうせ宿代にはお金がかかっていないんだし」ということで、昼間に少々お金を荒く使ってもへーきへーき。

(つづく)

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