川を越え、雨に打たれ、風にあおられて【斜里岳】

緑に囲まれた細い登山道と脇を流れる沢の風景。カエデのような葉が手前に見える。

05:33
右手に川が現れた。

これから、この川が流れる沢に沿って標高を上げていき、最終的には斜里岳の山頂への到達を目指すことになる。

川は水流こそ早いが、そこまで水量が多いようには見えない。
登山口の掲示には「増水」とあったが、この先はどうなっているのやら・・・。

それもこれも、下二股に辿り着くまでの道で己の実力を試されるというわけだ。
厳しい、と思ったら即撤退。
山では「勇気ある逃亡」こそが正義だ(と、自分に言い聞かせる)。

木の枝越しに見る、赤茶色の川底を持つ沢の小さな滝壺。

05:39
行く手を阻む木の幹を、払いのけながら進んでいく。

この山はヘルメット必須と言われている。
落石への警戒や、滝の横をよじ登る際の滑落対策という側面ももちろんあるが、実は「生い茂る木に頭をぶつけた際のダメージ軽減」が主目的じゃないかと思えてくる。

たぶん、僕がこれまで登ってきた山の中で、一番多く頭をぶつけている。
ゴン、と鈍い音が響くたびに、「ヘルメットを被っていてよかった」と心底思う。
被っていなければ、今頃僕の頭はゆで卵のようにひび割れていたかもしれない。

なんでこんなに頭をぶつけるんだろう?と不思議だったのだが、おそらくこの北の大地特有の事情があるのだろう。
冬の深い雪と強風のせいで、木がまっすぐ空に向かって生えるのを諦めている。
まるで重力を無視するかのように、真横に向かって生えている木がなんと多いことか。

だから、僕が頭をシバかれるのは「木の枝」ではなく「木の幹」だ。道理で痛いわけだ。

そうこうしているうちに、登山道は川に直面した。

覗き込むと、そこには小さな滝壺があった。
水そのものは透明なはずだが、川底の石が鉄錆のような色をしていて、独特の凄みを感じさせる。

ここが第一渡渉点、というわけか。

川の渡渉が前提となる山なんて、日本百名山の中でも数えるほどしかない。
そんなレアなアトラクションだから、ルートのずいぶん先に「お楽しみ」として控えているものだと思い込んでいた。
しかし、林道が終わってわずか数分での登場だ。完全に油断していた。

苔むした巨岩の横を流れる細い滝と、琥珀色に見える水面。

05:39
存在感のある巨岩の脇を、小さな滝が流れている。
しかも岩の右と左、二手に分かれている。

おいおい、さっき「水量は大したことがなさそう」なんて余裕をぶっこいていた自分の認識は甘かったぞ。
全然違うじゃないか。しっかりした水量と、抗いがたい勢いがある。

上流には人が住んでいないため、清純な水であることは間違いない。
それなのに水中の石がこれほど赤茶けているのは、おそらく鉄分が豊富に含まれているせいだろう。
魚の姿?さあ、一切見かけなかった。
生き物が生息するには、少々ハードすぎる環境なのかもしれない。

沢を横切る付近の岩場。対岸の木々にピンク色の目印テープが結ばれている。

05:39
登山道にはピンクテープがこれでもかと設置されていて、道を見失う心配はなかった。
わざわざ、「ここを歩き給え」と言わんばかりに川の上にロープが張られ、いたるところに目印が吊り下げられている。

不器用な僕のような登山者のために、ここまで手厚く整備してくださっている方々には、ただただ感謝しかない。

赤茶色の石が敷き詰められた穏やかな沢の流れと、周囲の深い緑。

05:42
赤茶けた異世界を、淡々と歩いていく。
錆色の岩と、鮮烈な新緑のコントラスト。
他ではちょっとお目にかかれない、奇妙な美しさだ。

渡渉ポイントをすべて写真に収めてやろうと意気込んでいたのだが、すぐに断念した。
川を横切るだけならまだしも、川の中をジャブジャブと並走する場面が多すぎるのだ。
こうなると、「斜里岳の渡渉は合計何回でした」なんて正確な数字は、よほどの暇人でない限り数えられない。

水量が少ない時はまた違うのだろうが、今日のところは「数えるだけ無駄」だという結論に達した。

そもそも、この山で靴を濡らさないように歩くなんてのは、どだい無理な相談だ。
ソールの高さ分くらいは濡れて当たり前。
あとは「どこまで浸水を許容するか」という、精神力の問題になる。

「僕の靴はゴアテックスだから無敵だ」なんて、認識が甘い。
少々の雨露ならしのげるが、ゴアテックスはあくまで透湿性と撥水を両立させた素材に過ぎない。
ここで求められるのは「撥水」ではなく「完全防水」だ。
本当に濡れたくないなら、長靴を履いてくるしかない。

長靴で登山はやりたくないので、今回はごく一般的な登山靴での登山だ。

段差を流れ落ちる沢の水と、苔の生えた岩. 水流が白い糸のように見える。

05:44
さすがに、すべての渡渉点に親切なロープが張り巡らされているわけではなかった。

こういう川幅が狭い場所には、ロープがない。
「すぐ目の前にピンクテープがあるんだから、跳べばいいじゃない」という、整備担当者からの無言のメッセージだろうか。

だが、川幅が狭いということは、それだけ水流が凝縮されているということでもある。
一見楽勝に見えて、足元をすくわれるリスクは高い。油断大敵だ。

とはいえ、くるぶしまで浸かって自暴自棄に突き進むのも芸がない。
濡れなさそうな岩を探し、それが苔でヌルヌルしていないか、あるいは浮き石でグラグラしていないかを見極める。
慎重に、かつ大胆にステップを刻むスタイルだ。

この写真のポイントだって、水面から顔を出している石を伝っていけば理論上は濡れない。
ただ、どうしても一箇所以上は水没した箇所を踏まざるを得ないのが、この山の心憎いところだ。

浮き石は論外として、苔によるスリップだけは勘弁してほしい。
ここで豪快に転んで、全身ずぶ濡れで登山続行なんて、あまりに見苦しい。
黒ずんだ「怪しい岩」には絶対に足を乗せない。これが僕の鉄則だ。

左側に切り立った岩がある沢沿いのルート。水流が速くなっている。

05:45
左から岩壁がせり出し、道はさらに沢の際へと追い詰められる。
水音は一段と大きくなり、物理的な圧迫感が増してきた。

こういうルートは、小規模な岩をよじ登ったり下ったりと、地味なアップダウンが続く。
知らず知らずのうちに、乳酸という名の負債が足に溜まっていくのだ。

でも、今のところは楽しい。
まだ岩が狂暴なサイズになっていないし、何より変化があって飽きないからだ。

縦構図の沢と森。背景の山が霧で白く霞んでいる。

05:46
ふと視線を上げれば、パッと空が開けた。

普通の山なら、前方に空が見えるのは稜線や山頂が近い合図だ。
「おっ、もうすぐ終わりか?」と期待に胸が膨らむ瞬間なのだが・・・。

もちろん、登り始めて数分で山頂に着くなんて奇跡は起きない。
ここは寒冷地。木々が高くそびえ立つことができないため、沢の底にいても空がよく見えるだけなのだ。
奥多摩の山なら、どこまで行っても杉の樹林帯に閉じ込められて、絶望的な気分になるところだが、この開放感は北海道ならでは、なのだろう。

倒木と赤茶色の岩が点在する、やや荒れた印象の沢の流れ。

05:47
岩の上を歩き続けるというのは、想像以上に足裏への負担が大きい。

整地された登山道ではないため、不規則な岩の凹凸をダイレクトに足裏で受け止めることになる。
こういう時、硬いソールを持つ登山靴は頼もしい。
まさかスニーカーでここに来る無謀な御仁はいないと思うが、もしスニーカーだったら、足の裏がぐにゃぐにゃに曲がり、相当疲れるはずだ。

また、こうした沢歩きでは注意を怠るとすぐに「道」を見失う。
そのまま沢を遡上すべきか、それとも対岸に渡るべきか。
うっかりピンクリボンを見落として、あらぬ方向へ転進してしまわないよう、全神経を研ぎ澄ます必要がある。

縦構図。岩の段差を激しく流れ落ちる沢の水しぶき。

05:48
足元を洗う水の勢いが、いよいよ強くなってきた。

まだ足をすくわれるほどではないが、不用意に踏み込めば即、靴の中が「ダム決壊」状態になる。
一歩を踏み出す前に、ルートを吟味する。
これは登山というより、もはや実益を兼ねた「渡渉パズル」だ。
なかなかどうして、この不毛な試行錯誤が、今は楽しい。

(つづく)

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 何はともあれ"リアルタイムとは別のパラレルをーるどを往く"おかでんのご帰還めでたし。
    スマホも保険でなんとかなったようでそこもまた良し。(Fujiの一眼が心配でなりませんが…)
    それにしても"振り返れば、斜里岳は本当に楽しい山だった。"果たしてそうか?うーん、わからん。山男の思考はさっぱりわからん。今後の活躍も期待しております。

  • zennさん>
    富士フイルムのカメラをご心配いただき、ありがとうございます。
    そう言われてと気がついたのですが、この記事の最後に載せている「故障したスマホ」の写真、まさにX-T20で撮ったものでした。機動力を重視したい場面で、あえてごつい一眼カメラを取り出して構えているというのは、冷静に考えるとかなり倒錯していて面白い絵面ですね。

    先日からzennさんには「新しくカメラを買うなら?」という個別のお話をさせていただいていますが・・・いずれ、あるタイミングから「おや?記事の写真の質感が変わったぞ?」という局面が訪れるはずです。

    もし変化に気づかれましたら、ぜひ早押しクイズの勢いで「カメラ買い替えただろ!」と突っ込んでみてください。楽しみにしています!

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