
09:10
山頂にしばらく滞在していたが、風もさることながら雨が強くなってきた。
別の登山客が到着し始めたので、僕は早々に退散することにする。山頂に到達したからといって、ここで一息つけるような状況ではない。景色は真っ白、雨と風は遮るものなく叩きつけてくる。これでは「修行」の領域だ。
一応、念のために祝杯用のノンアルコールビールを持参していたのだが、とてもじゃないがプルタブを引く気分になれない。長居は無用だ。
スマホのバッテリー残量はもう心もとない。山頂で自撮りをしたのを最後に、下山までカメラを起動することはなかった。雨で漏電でもしているのか、という勢いで残量が削られていく。・・・嫌な予感しかしない。
機内モード、バッテリーセーバー、画面輝度最小。生存のための省エネ設定を施したが、そもそも濡れたら電源を落とすのが鉄則だ。それをしないのは、YAMAPやヤマレコで「軌跡」を記録したいという執念ゆえだ。自分の歩行記録のためにスマホを物理的に破壊しにいくスタイル、これぞ本末転倒の極みだ。
幸い、道迷いをするほど複雑なルートではない。既にグチョグチョに濡れてはいるが、手元の紙地図があれば事足りる。文明の利器に依存しつつ、最後は紙に頼る。

09:14
先ほど僕が「山頂かな?」と釣られかけた、ニセ山頂標識こと白い棒の場所。
近づいて見渡すと、二等三角点が茂みの中に隠れていた。なるほど、ここが基準点だったわけだ。
すぐそばに360度見晴らせる本物の山頂があるのに、なぜ一段低いここに三角点を設けたのか。なにかしらの測量上の事情があったのだろうが、この天気では推理する余裕もない。とりあえず白い棒の正体が判明したので、よしとする。

09:14
斜里岳には、僕が使った清岳荘ルートのほかに「三井コース」というルートがある。そちらは人が少なく静かな山歩きが楽しめるそうだが、登り始めの標高が200メートルも低い。つまり、その分だけ余計に登らされるという通好みのルートだ。
分岐点から三井コースを覗き込んでみたが、当然ながら真っ白で何も見えない。静寂を通り越して虚無だ。即座に退散する。

09:15
続々とやってくる後続の登山客。彼らの出発時間を推測するに、午前5時半ごろに入山した組だろう。・・・お互い、ご無事でなによりだ。
ふと見ると、赤いレインウェアがこの濃霧の中でやけに目立っている。ガスにレンズの水滴、最悪の視界条件下では、やはり暖色は強い。次に買い換えるなら赤にしようか、と思う。
だが、僕は「街着でも使えるように」と、ついつい地味な色を選んでしまうケチな性分だ。今回もそのせいで、視認性よりも汎用性を優先してしまった。山の安全より、下界での着回し。僕の優先順位はいつもどこかズレている。

09:28
霧の幕をかき分け、下山を開始する。
馬の背を抜け、胸突き八丁への曲がり角へ。所々に雪渓が残っている。

09:29
曲がり角の木柱には「ヒグマ誘因のためザック残置禁止」の警告が。デポしたくなる絶好の場所だが、誰も置いていない。さすがにここでは、みんなルールに忠実だ。
そうだった、ここはヒグマの庭だった。登りの時はあんなに警戒していたのに、下りになった途端にスマホの心配ばかりしていた。これから「熊見峠」を通るというのに、見るどころか出会うのだけは勘弁してほしい。

09:35
胸突き八丁を下り、樹林帯へ突入。下界への安心感と「とっとと下山してぇ」という焦燥が入り混じる。なにしろ、スマホが本格的にヤバい。
液晶画面に、見覚えのないバーコード状の縦縞が走り始めた。これは一時的なバグか、それとも水没による死の宣告か。・・・心臓に悪い。
さらに追い打ちをかけるように、張り出した枝が頭を狙ってくる。登りの時以上に枝を食らう。しまいにはL字型に生えた幹が行く手を阻む。雨で滑る樹皮に気を配り、アスレチック気分に浸る余裕など1ミリもない。「単なる進路妨害だ」と毒づきながら、泥にまみれて進む。

09:54
上二股の分岐点に戻ってきた。右は往路の沢登りルートだが、下山時は使用禁止。素直に左の「新道」へ。尾根伝いに熊見峠を目指し、そこから下二股へ一気に下るルートだ。

09:54
分岐のすぐ先に、細長いグリーンのテントが現れた。電話ボックスかと思うようなサイズ感で、当然ながら横になって休むスペースなどない。
これは登山者のためのシェルターではなく、携帯トイレ専用ブースだ。山を汚さないための、きわめて現代的な解決策である。
不条理な自然の真っ只中で、こうした「文明の配慮」に遭遇すると、少しだけ現世に引き戻された気分になる。中を覗いてみたが、あるのは空間だけ。便座すら提供されないストロングスタイルだが、視界を凌げるだけでもマシなのだろう。

09:55
新道を歩く。ここは比較的足場が良い。スマホの息の根が止まる前に、一気に距離を稼いでおきたいところだ。
(つづく)

コメント
コメント一覧 (2件)
何はともあれ"リアルタイムとは別のパラレルをーるどを往く"おかでんのご帰還めでたし。
スマホも保険でなんとかなったようでそこもまた良し。(Fujiの一眼が心配でなりませんが…)
それにしても"振り返れば、斜里岳は本当に楽しい山だった。"果たしてそうか?うーん、わからん。山男の思考はさっぱりわからん。今後の活躍も期待しております。
zennさん>
富士フイルムのカメラをご心配いただき、ありがとうございます。
そう言われてと気がついたのですが、この記事の最後に載せている「故障したスマホ」の写真、まさにX-T20で撮ったものでした。機動力を重視したい場面で、あえてごつい一眼カメラを取り出して構えているというのは、冷静に考えるとかなり倒錯していて面白い絵面ですね。
先日からzennさんには「新しくカメラを買うなら?」という個別のお話をさせていただいていますが・・・いずれ、あるタイミングから「おや?記事の写真の質感が変わったぞ?」という局面が訪れるはずです。
もし変化に気づかれましたら、ぜひ早押しクイズの勢いで「カメラ買い替えただろ!」と突っ込んでみてください。楽しみにしています!