
09:59
上二股から新道を歩く。
歩き始めてすぐ、運命の分かれ道。いや、「竜神の池」との分岐点があった。
看板が僕を誘っている。
ここへ立ち寄れば、下山時間は20分以上遅れる。
大回りになるのだから、しかたがない。
当初の計画では、この池は「保留」の扱いだった。
所詮は小さな池。帰りの飛行機というデッドラインが迫っていたり、沢登りで僕の膝が「もうダメです」と弱音を吐いていれば、迷わずスルーするつもりだった。
だが、今のところ時間はまあまあ予定通りだ。
うーん、これは行くしかないのか。
それにしても、各登山サイトのコースタイムのバラつきは何なんだ。
数時間レベルで数字が違う。僕の貧弱な体力とシンクロしてくれる基準がまだ見極められず、計画作成は常に疑心暗鬼との戦いだ。
普段はデスクワークで着実に体力を磨り減らしている僕だ。
たまに山へ登って無理やり「再起動」をかけるのだから、ペースが一定なわけがない。
うっかりした計画が命取りになるのが山の怖いところだ。そこだけは、慎重に、慎重に・・・。
若干の逡巡はあったが、結局「龍神の池」へと足を進めることにした。
スマホはすでに風前のともしびで一刻も早く下山したいのだが、そこは好奇心が勝った。
とはいえ、今晩、緊急連絡網に「おかでん行方不明」の報が流れるのだけは、何としても避けなければならない。

10:02
尾根道から池へと続く道は、なかなかの下り坂だった。
突如として現れる、白い砂礫の斜面。
一歩踏み出すたびに、ズリッ、と軽く滑る。
膝への負担を考えたくない、そんな斜面だ。

10:06
前方に「それ」が見えてきた。
断崖に囲まれたテラスのような場所に、ぽつんと存在する小さな水たまり。
なんでこんな標高に池が?と首を傾げたくなる、実に見事な「謎の池」だ。
なるほど、これを神の仕業と呼ばずして何と呼ぶか。
「竜神」の名に偽りなし、といった風情だ。

10:09
龍神の池に到着。
驚くほどの透明度だ。
単に雨水が溜まった汚い水たまりではない。池の底から渾々と水が湧き出している。
だからこそ、この澄んだ美しさが維持されているわけだ。
さて、写真に写る僕を見てほしい。レインウェアを纏っているが、もはや機能していない。
ゴアテックスの誇る撥水効果は完全に消失し、生地はすっかり「親水」状態。
本来のスカイブルーは見る影もなく、水を含んでドス黒い青に変色している。
買い替え時なのは百も承知だが、いかんせん高価な買い物だ。
ついつい後回しにしていた結果が、この有様である。
撥水が死ねば、当然「透湿」も死ぬ。ゴアテックスが誇る二大看板が全滅だ。
内側は自分の汗で蒸れまくり、不快指数はMAXに達している。
結局、雨が降っているのに袖をまくるという、本末転倒なスタイルで歩くことになった。
もっとも、外の湿度は100%近い。
この環境で「透湿性能」を期待するほうが、土台無理な話なのだろうけれど。

10:11
池の底のディテールが、手に取るようにわかる。
水が地底からもわわわと湧き出す様子は、見ていて飽きない。
龍神が棲むという伝説も、この静謐な水面を見せられれば「そうですか」と納得せざるを得ない説得力がある。
広さは6畳間よりは大きいが、12畳はないな・・・というサイズ感。
まるで、今どきの高級旅館にある「展望露天風呂」のようだ。
湯船の縁が消失し、景色と一体化するインフィニティ・プールならぬ、インフィニティ・池だ。
ちなみに、事前の解説では「この水はまずい」と書かれていた。
どうまずいのか。試飲してみたい誘惑に駆られるが、止めておいた。
身を乗り出した瞬間に、未整備の縁が崩れて僕が「龍神」と対面(水没)するリスクがあるからだ。
護岸工事がされていない池なので、油断は禁物だ。

10:13
おっと、これはなかなか。竜神の池を後にして振り返ってみたとき、こんな景色が広がっていた。
池から溢れた水は、そのままダイレクトに崖下へ落ちていた。
オーバーフローした分が即、滝になる仕組みだ。
見てよ、この勢い。かっこいいじゃないか。そうか、これこそが「竜」なんだな。竜が如き。

10:30
復路は別の道を選び、尾根へと戻る。
ザレた急坂を登り返し、ようやく戦線復帰だ。
ここから先は、低木の間を縫うように進む、比較的まっすぐな道となる。

10:36
おそらく、晴天ならば開放感に溢れた「楽しい山歩き」だったはずだ。
だが、視界を塞ぐこの天候では、もはや情緒もへったくれもない。
ひたすら無心で足を動かすだけの「作業」である。

10:36
このあたりはハイマツの独壇場だ。
本州なら森林限界を超えた高嶺の花だが、ここは北の大地。
過酷な環境を当然の「仕様」として受け入れている、気合の入った品種だ。
ただ、この斜里岳においては、ハイマツ以外の植物も案外元気に混在している。
北海道の過酷さからすれば、ハイマツの気合など「おとなしい方」だと言わんばかりの多様性だ。
植物たちの生命力には、ただただ圧倒される。

10:37
濡れた葉の隙間に、ゴゼンタチバナの白い花を見つけた。
殺伐とした作業の中に、ふとした救い。
ほんの少しだけ、嬉しい気持ちになった。
(つづく)

コメント
コメント一覧 (2件)
何はともあれ"リアルタイムとは別のパラレルをーるどを往く"おかでんのご帰還めでたし。
スマホも保険でなんとかなったようでそこもまた良し。(Fujiの一眼が心配でなりませんが…)
それにしても"振り返れば、斜里岳は本当に楽しい山だった。"果たしてそうか?うーん、わからん。山男の思考はさっぱりわからん。今後の活躍も期待しております。
zennさん>
富士フイルムのカメラをご心配いただき、ありがとうございます。
そう言われてと気がついたのですが、この記事の最後に載せている「故障したスマホ」の写真、まさにX-T20で撮ったものでした。機動力を重視したい場面で、あえてごつい一眼カメラを取り出して構えているというのは、冷静に考えるとかなり倒錯していて面白い絵面ですね。
先日からzennさんには「新しくカメラを買うなら?」という個別のお話をさせていただいていますが・・・いずれ、あるタイミングから「おや?記事の写真の質感が変わったぞ?」という局面が訪れるはずです。
もし変化に気づかれましたら、ぜひ早押しクイズの勢いで「カメラ買い替えただろ!」と突っ込んでみてください。楽しみにしています!