15:10
松之山温泉の温泉街はコンパクトにまとまっている。谷底の川沿いに通りが1本だけで、その両側に宿が立ち並ぶ。飲食店やお土産物屋は少ないので、ざっと一通り見て回っても時間は知れている。
温泉街を散策する、というのは旅人にとってワクワクさせられるひと時だ。しかし、縦横無尽に温泉街があっても困惑する。適度な狭さで「一通り見ました」感を旅人に与えてくれる程度の規模感と、道のシンプルさが望ましい。
で、温泉街を歩いていたら、さっき宿で見かけた店名を見つけた。「山愛」。でかいカツ丼を出す、ということで男部屋が盛り上がった、あのお店だ。
「ああ、本当にお店がありましたね」
当たり前なことを言って、立ち止まる。気になってしょうがない。
「看板にちゃんと『カツ丼』って書いてありますよ」
「ほう?」
これもまた当たり前のことだ。
「本当にやってるのかな?」
「さすがにこの時間はやっていないかもしれないですねぇ」
本来なら飲食店は中休みの時間だ。外はご覧のとおりの雪だし、やってくるお客さんなんて少ない。いくら「のっとれ!」が明日開かれるとはいえ、オフシーズンである松之山温泉は出歩く人が少なくのんびりとしていた。
しかし、飲食店にとっては本来書き入れ時である18時以降は、宿に宿泊する多くの人は宿メシに舌鼓を打つ。素泊まりの人は利用するかもしれないが、それほど多くはないだろう。となると、昼飯時とか、昼下がりとか、すぐ近くの共同浴場「鷹の湯」を利用する日帰り客相手に通し営業をした方が良い、と考えているかもしれない。
「おっ、やっているっぽいですよ?」
お店の入り口にはメニューを記した黒板が出ていた。しかも、その先頭には名物のカツ丼が。
「ああ、かつ丼、ってやっぱり書いてありますね」
光に吸い寄せられる昆虫のように、ふらふらとお店に向かってしまった。しかも、
「あれ?990円?さっき宿で見たのは1,000円だったような」
「本当だ。こっちのほうが安い」
「出前賃がわずかに混じっているんですね」
「ほほう」
なんて会話が始まるし、
「カツライス、ってのもあるんですね!これはトンカツ定食ってことか。なるほど」
「なるほど」
と、一体何に納得しているのかわからない会話もはじまってしまい、えーいこうなったら中に入って確かめるしか。
15:15
お店、入っちゃった。
「とりあえず確認したほうがいいと思うんですよ、どんなものだか」
「入っちゃいます?」
「いやでも女性陣の賛成がないと」
「いいわよ、私は見てるから」
「えっいいんですか。じゃあもうこれは乗りかかった船、ということで」
何がどう「乗りかかった船」なのかさっぱりわからないが、つまりそういうことだ。阿吽の呼吸でその辺はわかってくれ。
代表して1つだけかつ丼を頼んで、あとはジュースでも安い一品料理でも一人一品頼んで、ということでよいと思う。夕食まであと2時間だし。
店内に入ると、厨房からお店の人がちょっとびっくりした感じで「いらっしゃいませ」と出てきた。「やってますか?」と聞いたら、やってるという。しかし、この時間に客が来るとは思っていなかったらしく、不意を突かれた感じではあった。
個人商店で、朝8時くらいから夜10時くらいまで延々と営業しているお店がある。頑張っているなあ、と思って店内をのぞくと、奥の部屋にコタツがあって、そこでじい様ばあ様がミカン食べながらテレビを見ていたりする。つまり、起きている時間すべてが営業時間、というわけだ。のんびりとお店の脇の居間で店番兼テレビ。このお店はそこまでのんびりとはしていないが、それに近い感じなのかもしれない。
さて何を頼もうか、という話になったとき、もちろんおやびんはお酒を飲む気満々だった。
「あっおやびん!あれいいんじゃないですか?」
我々が指差した先には、「風味爽快ニシテ」という謎のご当地ビールのポスター。へえ、サントリーってこんなご当地ビールを出していたのか。知らなかった。
今、スーパーや酒屋さんは、売り場がパンパンだ。ビール、発泡酒、第三のビール、ノンアルコールビール。一体何種類扱えばよいのやら。しかもそれに加えてチューハイがあほみたいに種類があるし、ノンアル気分みたいなものも入れるときりがない。そんなわけで、「限定ビール」のようなものはもう置場がないので、売り場側が嫌がるためにメーカーも作らなくなったといった話を聞いたことがある。昔は春夏秋冬、季節がかわるたびに各社が競ってビールを出したものだが。
そんな中、新潟限定のビールというのは初めて知った。いいじゃないか、旅情じゃないか。
15:16
というわけでおやびんはもちろん「風味爽快ニシテ」。
「あとは・・・かつ丼1つに、どうしますかねえ?」
「かつ丼二つですね」
「えっ?たっぴぃさん、一人で1つ食べる覚悟を?」
「せっかくですから。どれくらいの量があるかってのを見てみないと」
「すばらしい!」
「おいらもー!」
「えっ?よこさんまで!」
たっぴぃさんが食べるというところまでは想像の範囲内だった。しかし、女性であるよこさんまでもが注文するとは、仰天した。でもここで、「本当に食べられるんですか?」とか「ああこんな感じか、ってのがわかればいいから、みんなで頼まなくてもいいんじゃないですか?」なんて普通なことを言ってはいかん。今盛り上がっている情熱を無駄に冷ます必要はあるまい。むしろ僕がやるべきことは、もっと煽ることだ。よこさんの気持ちが揺らがないうちに、「よし、じゃあよこさんもかつ丼!」と大決定しておいた。
しかしそうなると、かつ丼だらけだ。全員かつ丼、というのも残念なので、僕は一人裏をかいて「カツライス」を頼んでみることにした。おそらくとんかつ定食なのだろうし、おそらく250グラムのカツが使われるのはかつ丼と一緒のはずだ。値段はお高くなるけど、この際オッケーってことで。
15:32
「すわ、お客さんが来たぞ!」状態から再起動したお店なので、フライヤーなんてのは当然火が落ちている。注文を受けて、油の準備をして、油を温めて、それからようやく調理だ。しかもカツは250グラムで分厚いので、火が通るのに時間がかかる。
その間、我々は暖かい店内でぬくぬくと過ごしながら待った。
何分待っただろう、やってきましたかつ丼。2個+カツライス1個なので、フライヤーがパンパンになったんじゃないかと心配してしまう。
ん?
「うお、でかい!」
と叫ぶ気で身構えていたんだけど、そこまで叫ぶほどじゃあない。
「おう、大きいなあ」
と思わずみんなでそこそこの盛り上がりをもってこの丼を出迎えた。
いやいや、でもちょっと待って欲しい、味噌汁椀や小鉢と比べると結構でかいぞこれでも。かつ丼、というよりかつ煮に近いビジュアルだな、と最初に感じたのだけど、それはなぜかというと、コメが全く見えないからだ。
あー、でもさすがにこれは250グラムやで。
横幅は丼に収まるサイズのカツだが、その分厚みがある。ここまで分厚いかつ丼は、あまりお目にかかったことがない。一切れ一切れが、まるでジャンボフランクのようだ。
玉子でとじてあるのだけど、これは「玉子とじ」と呼んでよいのだろうか?カツがでかいせいで、とじられている感があまりないという有様に。
で、そのかつ丼を平然とぱくぱく食べるたっぴぃさん。よこさんも、当たり前のように食べ、当たり前のように食べきっていた。すばらしい仲間だ、誰一人として物分りよく「やめとこうぜ」という意見は言わないし、それが空元気でも場のノリでもなんでもなく、本当に全部食べてしまうのだから。
ちなみにこの一週間後、同じ面子でわんこそば対決を行ったのだが、よこさんが101杯、たっぴぃさんが120杯だった。別に大食い自慢が意識的に集まったわけではないので、こういう状況はまったくの偶然だ。
15:34
いっぽう、僕が頼んだカツライス。
おう、これが玉子にとじられていないカツか。なるほどこうやって見るとでかいな。
肉はきめが細かく、おいしかった。丼にしてぐいぐい食べるのも素敵だが、こうやって定食形式にして、じっくり肉を食べるのも良い。うん、結局どっちでも等しく美味いということだ。
「で、この2時間後には夕食なわけですが」
「うひゃー」
一同苦笑いする。
とはいえ、なんだか夕食どんと来い、全然余裕だぜ!という気もする。
「なんせ明日は決戦の日だもんな、今のうちに食べておかなくちゃ」
適当なことを言って場をごまかす。「今のうちに食べた」結果、体が重たくなってしまってまともに動けなくなったらどうする?なんてことは考えていない。
「ハワイ遠島の刑に処せられたら、毎日パンケーキとかマカダミアナッツですよ?だから今のうちに和食を食べておかなくちゃ」
いい加減すぎる。
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