
14:28
鬼怒川温泉ホテルの隣には、やたらと巨大なホテルがどかーんと鎮座していた。なんだありゃあ!?
これはぱっと見ただけでわかる、現役バリバリの宿だ。巨大な金塊のような形をした建物は、見るからにカネ使ってそうな宿。

近づいてみたら、「あさやホテル」だった。ああ、足利銀行が倒産した際に経営がヤバくなり、産業再生機構の支援を受けて大復活したホテルだ。有名なので名前だけは知っていたけど、それがこれか。廃墟かどうか心配になるような宿が多いなか、これは一人気を吐いている。
だって見てみろよ、あの建物。山側には客室が一切ないことが窓の配置からわかる。それだけ贅沢に空間を使った建物だってことだ。部屋を詰め込んで効率重視、というわけではない。そもそも建物が新しい。
どんなホテルなのか中をのぞいてみたかったが、ドアマンとかいて「いらっしゃいませ」なんて声を掛けられたら恥ずかしいのでやめた。それくらい、「冷やかしに入ったらアカン」ような雰囲気がある。
実際、後で調べてみたらこの宿のロビーは巨大な吹き抜けになっていて、笑ってしまうくらいゴージャスらしい。それだったらちょろっと見学させてもらえばよかった、と後悔した。

鬼怒川温泉ロープウェイが見えてきた。山頂までロープウェイで行けるようだ。当初、ここを目的地として散策していたのだが、さすがにこの天気で山頂に行っても何も楽しくなさそうだ。利用は断念する。

これもホテルの従業員宿舎らしきアパート。
かなり癖のある、ベランダのデザイン。このデザインに何か意味があるのか?と聞きたくなるが、「見栄えのためだ、他に意味はない」といわれておしまいだとおもう。

14:34
このあたりで鬼怒川温泉のホテル街はほぼ終わり。今回、南北に長い温泉街をほぼ縦断したことになる。そろそろ宿に向かおう。
鬼怒川の東岸に戻るため、「滝見橋」という細い橋に向かう。車は通れない。

滝見橋から東岸を眺めたところ。このあたりは廃墟スポットとして特に知られているエリアで、廃墟温泉ホテルが連なっている。風水的に見て気の流れが悪い土地柄だったのか、それとも一軒廃業すればどんどん界隈の雰囲気が悪くなって、連鎖したのかはわからない。
15年以上前にここを訪れた時点で、既に廃墟でびびった記憶がある。つまりかなりの年月、放置されっぱなしということだ。年月が経てば経つほど、廃墟としての迫力が増している。食べ物じゃないんだから、そう簡単に腐って消滅はしない。
鬼怒川の印象を悪くしている最大の要因なのだから、行政が取り壊し費用を負担しても・・・という気もするが、それを一回許してしまうと、他の廃業旅館も対象にしないといけない。きりがないし、モラルハザードにもなるので、なかなかそういうわけにはいかないのだろう。
思い出すのは、「奥州三大名湯巡り」の際に立ち寄った飯坂温泉。あそこも、廃墟だらけだったっけ。

一方、こちらは新しい建物が見える。「碧流」という旅館だが、こじんまりとしている分やっていけるのだろう。・・・と思ったら、これはNTTグループの保養所だった。なるほど、そういうことか。
しかし、いまどき巨大企業NTTとはいえ、グループ社員向けのみで保養所を運営するのには無理があるらしい。ビジター料金として加算があるものの、一般の人も宿泊ができるようになっていた。保養所っていまどき維持管理するのはかなりの負担だから、こうなるのも仕方がない。
NTT系列の会社に勤める知人に話を聞いてみたら、昔は全国各地にNTT健保組合の保養所があって、安く宿泊できたらしい。しかし年を追うごとにどんどん減っていき、今ではほとんど残っていないのだとか。その残党の一つがここ「碧流」。きれいにリフォームしているものの、お値段もかなりお高めにリフォームしているようだ。

「碧流」から右岸をさらに北に向かったところにある宿。なんだあれは?ふざけたような建物の作り。お城の櫓みたいなものが煙突状ににょきにょき立っている。あれも・・・当然ホテルだよな?昔、あんなものはなかったはずなので、最近できたのだろう。古い作りの建物がベースになっているようだけど、櫓は後付け感バリバリだ。すごいセンスでとても目を惹く。

あらためて滝見橋の上から鬼怒川の下流を見たところ。
崖に迫る形で宿がせり出しているので、それが廃墟になった日にゃ目だってしかたがない。観光客は、こういう橋の上からの景色というのは「観光の思い出」として撮影したがるものだ。で、「これが鬼怒川でございます」という写真に廃墟が写り込むというのが、残念ながら実態だ。
コメント
コメント一覧 (2件)
初めまして
コメントをさせて頂きます。
記事に紹介されていた鬼怒川温泉の御苑で勤めていた者です。私が勤めていた頃はバブルの終わりの頃でした。
平成4年頃~6、7年まで鬼怒川温泉のホテルの寮を借りて仕事をしていました。
非常に懐かしいですね…御苑…本当に広いホテルで、今で言うダンジョンの様な(笑)新宿駅ほどではないですが、
私は当時、宿泊されるお客様を部屋まで案内する仕事(フロント受付から客室案内係や繁忙期には仲居さんの
サポートまで幅広く?仕事をしておりました。)をしていて、一度、お客様を部屋まで案内するのですが、フロントまで戻るには非常に時間が掛かっておりました。年末年始の忘年会や新年会や夏休み、冬休みなどとにかく休みを利用して来るお客様もたくさん来ていました。
とにかく一番大変だったのは年末の忘年会シーズンですね、もう何百名との団体のお客様がどっと来るので、部屋までの案内も大変なことはさる事ながら、宴会も賑わい…もうお酒をたくさん召し上がるお客様も多かったので仲居さんだけでは、対応しきれずよくサポートにも駆り出されました。写真を拝見させて頂いてあの頃は…とつい懐かしんでしまいました、貴重な掲載して頂き写真をありがとうございました。
今じゃ鬼怒川温泉も廃墟マニアには堪らない様な感じになってしまった様ですね、本当に懐かしい…。御苑は隠し部屋がたくさんありましたよ(笑)
はやぶささん>
貴重な体験談、お聞かせいただきありがとうございます。往年の賑わいを実際に体験した方から聞けたことがとても嬉しいです。
あの崖にへばりつくような建物、そして増改築を繰り返して巨大化した建物ははやぶささんが仰るような桁違いに大勢のお客さんがいらっしゃったたまものだと思います。炭鉱跡や金山跡が文化遺産として保存されているように、御苑のような超巨大ホテルはなんとか今後も経営が続いてほしいものです。団体旅行が減ってきてからまだそんなに時間が経っていませんが、すでに文化遺産的な珍しさと驚きに満ちた建物だと思います。
御苑の前にある「ふれあい橋」、やたらと立派なんですがなぜあんな立派な橋があるのか、とても不思議です。