栄枯盛衰を温泉地で見た【鬼怒川温泉】

猿に注意

12:40
化地蔵に見送られながら、そのまま憾満ヶ淵を後にする。今来た道を戻って、お地蔵さんの数を数えてこそのミステリースポットなのだけど、往路の時点ですでに数がわからなくなっちゃった。

謎は謎のまま残しておくほうがいいのさ、とお地蔵さんを一瞥する。うーん、かっこいい・・・ことはないか。

ここからしばらく雑木林の中を歩いていくと、東照宮がある向こう岸に渡る橋があるようだった。なので何もないところを歩いていく。

道中、サルに安易に近づいたり餌を与えてはいけない、という注意看板があった。そういえば日光のサルは随分ずるがしこくなって、土産物屋の売り物を盗んだり狼藉の限りを尽くしているらしい。僕も気をつけないと。さっき買ったばかりの実山椒を強奪されたら、たぶん号泣すると思う。

道路

12:40
日光宇都宮道路の側道に出た。

見ろ、これはどう見ても「観光旅行」ではないぞ!なんら僕はやましいと感じることはない。遊びに来てるんじゃないんだと胸を張ってこの地を闊歩しよう。

橋

12:45
遊歩道の先に、川を渡る橋が見えてきた。

道案内の看板を見ると、「大日橋」という名前らしい。大日?「大日如来」からきている名前だろうか。ここにも真言宗の影響か。

折角だから、ここでもカンマンカンマンと唱えておく。

あっ、カンマンは不動明王真言だったっけ。大日如来真言は・・・いや、知っているけどやめておこう。真言はむやみに唱えてはいけないという話を聞いたことがある。TPOをわきまえなさいよ、と。お経にTPOといわれてもいまいちピンとこないのだけど。

橋を渡る

12:46
大日橋を渡る。

やけに立派だ。

川

大日橋から上流を眺めたところ。穏やかな川面。

かんまんが淵方面

しかし、下流を眺めると、いっきに川幅が狭くなっていることがわかる。この先が憾満ヶ淵。こうも急に川岸の様子って変わるものなのだな。

昔のお坊さんがここにお寺を立て、護摩壇を作ったのもわかる気がする。何か神聖な印象を受ける。

普通の道

12:48
いやあ、観光旅行じゃないねぇ。

民家の中をてくてくと歩く。

国道に出る

12:53
しばらく歩いて、国道120号に出た。

このあたりは日光東照宮からはちと遠いのだけど、もちろん歩いていける距離にある。そういうこともあって、ペンションやゲストハウスっぽい小規模の宿がたくさんある様子だった。

日光植物園

12:54
しばらく東照宮方面に向かって歩いていくと、「日光植物園」というゲートに出会った。

ここはちょうど憾満ヶ淵の川向こうにあたる場所で、東京大学の付属施設とのことだ。「植物園」といえば、巨大な温室があって、熱帯植物が生い茂り、チョウチョが舞っているような印象があるのだがここにはそんな様子はない。観光客目当てではなく、れっきとした研究目的だからだろう。

日光植物園ゲート

ありゃー。

さすが研究施設。商売っ気ないぜー。門は閉じられ、営業をしていなかった。12月から3月までは休園期間になるらしい。

入口

13:01
気を取り直して歩いていくと、日光植物園よりもハイグレードな装いの門と、その背後の庭が見えてきた。

ここは「旧日光田母沢御用邸」という場所。御用邸、というからには皇族の別荘がここにあったというわけだ。知らなかった!那須と葉山に御用邸があるのは知っていたが、日光にもあっただなんて。

この御用邸は中を見学することができるので、入ってみることにする。幸い、冬期休業中ということはなさそうだし。

解説

入園料510円。

小中学生が250円で、大人の料金が上書きされて「510円」に修正されているところをみると、500円から値上げしたらしい。

人件費高騰で、大人料金だけでも10円値上げしなければやっていけなかったのだろうか。

地図

この田母沢御用邸は、大正天皇の静養のために造営されたものだと解説がある。

今上天皇も昭和19年に疎開のために1年間滞在されている、ということなので、はるか昔の出来事というわけじゃない。「まだ体温が残っている」レベルの建物だ。そういうところに入ることができるとはちょっとびっくり。

建物の俯瞰図が描かれているけど、まるで平安時代の宮殿のようだ。まるで迷路。すげー。

建物1

旧日光田母沢御用邸正面玄関。

こりゃあ豪華だ。ぱっと見ただけで「ミッチリと詰まった感」があって重厚さが匂い立つ。こんなのを見た日にゃ、自宅近所の一戸建てなんてわらの家レベルにしか見えない。三匹の子豚の寓話なら、ラスボスレベルで絶対に安心なおうち。

「静養のため」とはいえ、さすが皇族の住まい。しかも宮家ではなく天皇陛下の住まいなのだから。

建物2

ほら、玄関にせり出した屋根の作り。地味ながら、職人さんの手が入りまくってる。神社仏閣のようなきらびやかさはないけれど。

「玄関」としもじもの言葉を使ってはいけないな。正式名称は「御車寄」だって!ひゃあ、我が家の玄関も明日からこの呼び名にしよう!

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 初めまして
    コメントをさせて頂きます。
    記事に紹介されていた鬼怒川温泉の御苑で勤めていた者です。私が勤めていた頃はバブルの終わりの頃でした。
    平成4年頃~6、7年まで鬼怒川温泉のホテルの寮を借りて仕事をしていました。
    非常に懐かしいですね…御苑…本当に広いホテルで、今で言うダンジョンの様な(笑)新宿駅ほどではないですが、
    私は当時、宿泊されるお客様を部屋まで案内する仕事(フロント受付から客室案内係や繁忙期には仲居さんの
    サポートまで幅広く?仕事をしておりました。)をしていて、一度、お客様を部屋まで案内するのですが、フロントまで戻るには非常に時間が掛かっておりました。年末年始の忘年会や新年会や夏休み、冬休みなどとにかく休みを利用して来るお客様もたくさん来ていました。

    とにかく一番大変だったのは年末の忘年会シーズンですね、もう何百名との団体のお客様がどっと来るので、部屋までの案内も大変なことはさる事ながら、宴会も賑わい…もうお酒をたくさん召し上がるお客様も多かったので仲居さんだけでは、対応しきれずよくサポートにも駆り出されました。写真を拝見させて頂いてあの頃は…とつい懐かしんでしまいました、貴重な掲載して頂き写真をありがとうございました。

    今じゃ鬼怒川温泉も廃墟マニアには堪らない様な感じになってしまった様ですね、本当に懐かしい…。御苑は隠し部屋がたくさんありましたよ(笑)

  • はやぶささん>
    貴重な体験談、お聞かせいただきありがとうございます。往年の賑わいを実際に体験した方から聞けたことがとても嬉しいです。

    あの崖にへばりつくような建物、そして増改築を繰り返して巨大化した建物ははやぶささんが仰るような桁違いに大勢のお客さんがいらっしゃったたまものだと思います。炭鉱跡や金山跡が文化遺産として保存されているように、御苑のような超巨大ホテルはなんとか今後も経営が続いてほしいものです。団体旅行が減ってきてからまだそんなに時間が経っていませんが、すでに文化遺産的な珍しさと驚きに満ちた建物だと思います。

    御苑の前にある「ふれあい橋」、やたらと立派なんですがなぜあんな立派な橋があるのか、とても不思議です。

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