
13:05
玄関で靴を脱ぎ、下駄箱に靴をしまう。
下駄箱脇に、内履きが用意されているので、履いてみることにした。必ず履けよ、というわけではないようだが、女性のように靴を脱いだらストッキングやはだし、という人もいるのであったら便利。
ああそうか、和風建築の中を歩くので、「スリッパ」ではないのだな。畳の上をスリッパというのはおかしいから。
内履き、というのはソックスのようなものだ。ソックスの上にかぶせる形で、内履きを履く。

さて、館内探検開始。

日光田母沢御用邸を上から見た写真。
ケードロ(地域によってはドロケー、と呼ぶ場合もある)のし甲斐があるレイアウトだ。ワクワクする。
直角に曲がらないといけない場所がとても多いので、追いかけたり逃げたりする際には急加速・急減速できる強靭な肉体が必要だ。たぶん、廊下の角は畳がすぐに傷むんだろうなぁ。

見学ルート冒頭は、建物の概要を紹介するVTR上映があったり、ゆかりの品の展示だったり、博物館的な雰囲気。

板張りの間なので洋室っぽいのだけど、ふすまで隣と仕切られている。和洋折衷。

ビリヤード台がデン、と置いてある、「御玉突所」という部屋。空間の使い方がなんとも贅沢。
「玉突き」なんていったらきょうび「玉突き事故」という時くらいしか使わない言葉だが、ここではれっきとした「皇族のレジャー」としての「玉突き」。
そういえば、東京にある旧岩崎邸にもビリヤード専用の建物があったな。昔はビリヤードがはやっていたのだろう。
ビリヤードを楽しみながら酒を飲む、といったことはなかったのだろうか?バーカウンターがあるでもなく、ひたすら「空間と、ビリヤード台」だけだ。

「天井をご覧下さい」という看板。
木材は年月の経過とともに酸化して黒ずむので、アルカリ性の洗剤で洗えば元の色に戻すことができるのだという。へー、知らなかった。

天井を見上げると、天井板に矢印がある。
左から順に右側へ、板の色がだんだん白くなっていく。「洗い」を徹底していけばここまできれいになりますよ、という比較だ。綺麗になるものだと頭上を見上げたまま感心しまくる。
これができるなら、都会の喧騒で酸化しまくった僕のボディも、美白にできるのではないか・・・と思ったが、たぶんはだがボロボロになって「白く」なるどころか「赤くただれる」ことになりそうな予感。

13:19
カーペットの間が見えてきた。
その奥には、立派な机がちらっと見える。あ、ひょっとしてあれが玉座?

その通り。ここが謁見所。
当時の天皇陛下は、ここで来客と謁見していたのだった。
「まあ気楽にやろうや」とひざを崩して向かい合う、なんてことはなかったっぽい。かなり堅苦しい。そりゃそうか。
あのテーブルには何か仕掛けがあったりするのだろうか?天板の下に隠しボタンがあって、「お前、死刑」とか言ってボタンを押したら、来客のいる床がスポンと開いて下に落ちる、みたいな。

玉座界隈で狼藉を働かれたらたまらないので、ここには職員さんが常駐していた。
「ここだけ、違いがわかりますか?」
職員さんは僕に謎賭けをしてくる。ええ?ここもなにも、すべてが非日常すぎて全部違って見えるんですけど。
「二重廊下になっているんですよ」
あ、なるほど言われてみれば。赤いじゅうたんの内廊下と、畳の外廊下に分かれている。
「ということは、陛下が通る廊下と、下々が通る廊下が分かれていた、ということですか?」
「そうなんです」
へー。
「あと、ここから見て何か気が付くことはありますか?」
職員さんは、窓の外を眺めながらさらに謎賭けをしてくる。いやもう、大変に結構なお庭でございますとしか言いようがないんですが。
「外の廊下は一段低く作られているんです。そうすることで、部屋から景色がよく見えるように配慮されているんですね」
よく考えるなあ、もう。なんて細かいんだ。
それにしても、恐るべきはこの建物の頑強さよ。建物が歪んでいる箇所が見当たらない。古い家に住んでいる人ならよくわかるだろうが、木造建築というのは必ず歪む。経年劣化で、ふすまが閉まらなくなったり壁と柱の間に微妙な隙間ができたりするものだ。それがここには全く見当たらない。さすがとしかいいようがない。

お風呂とトイレ。
昔は「大浴場で体を伸ばしてくつろぐのって極楽だよな!」という概念はなかったらしく、小さい浴槽になっている。これだったら今のマンションなどの方がよっぽど広いと思う。
トイレは、畳の上に便座が設置されているので、男性としては不安になる。狙いが外れてしまうのではないかと。座って用をたしていたのだろうか?

御寝室。
照明がなく、燭台で夜は明かりを確保していたそうだ。
部屋の四隅には、蚊帳を吊るための金具が備え付けられている。暑い夏は窓が全開だろうから、蚊帳は必需品だ。蚊って野郎は、サッシの網戸を閉めていても入ってくる生き物だ。障子やふすまを閉めたくらいじゃ、平気で入ってきそうだ。

この建物は一部だけだけど二階がある。
二階に上がると、そこには「剣璽の間」という細長い部屋があった。
「剣璽」とは、三種の神器のうち草薙剣(くさなぎのつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のこと。天皇が長期間ここに滞在するため、皇位継承の必須アイテムとされている三種の神器のうち二つをここに運び込んでいたのだという。
わざわざ2階にその部屋を設けているということは、盗難避けの意味もあるのだろう。
実際にここに剣璽が安置されていたことはあったのか?天皇の正統性を示す、「日本最大のお宝」なので、この部屋には寝ずの番がいたのだろうか?いろいろ興味は尽きない。
そもそも、三種の神器は陛下自らも見る機会が全くない、という謎のしろもの。箱の中に実物が入っているのかどうかさえも謎だ。箱を開けてみたらカラでした、ということだってありえる。ミステリーって感じでワクワクがとまらない。

引き続き部屋を見て回る。
どの部屋も、窓との間に廊下がある。そのため、薄暗いという特徴がある。これは和風建築全般に言える構造なのだろうが、日差しによっては昼でも暗いだろう。

廊下部分が広く、部屋の部分がそのとばっちりで狭くなっている。
コメント
コメント一覧 (2件)
初めまして
コメントをさせて頂きます。
記事に紹介されていた鬼怒川温泉の御苑で勤めていた者です。私が勤めていた頃はバブルの終わりの頃でした。
平成4年頃~6、7年まで鬼怒川温泉のホテルの寮を借りて仕事をしていました。
非常に懐かしいですね…御苑…本当に広いホテルで、今で言うダンジョンの様な(笑)新宿駅ほどではないですが、
私は当時、宿泊されるお客様を部屋まで案内する仕事(フロント受付から客室案内係や繁忙期には仲居さんの
サポートまで幅広く?仕事をしておりました。)をしていて、一度、お客様を部屋まで案内するのですが、フロントまで戻るには非常に時間が掛かっておりました。年末年始の忘年会や新年会や夏休み、冬休みなどとにかく休みを利用して来るお客様もたくさん来ていました。
とにかく一番大変だったのは年末の忘年会シーズンですね、もう何百名との団体のお客様がどっと来るので、部屋までの案内も大変なことはさる事ながら、宴会も賑わい…もうお酒をたくさん召し上がるお客様も多かったので仲居さんだけでは、対応しきれずよくサポートにも駆り出されました。写真を拝見させて頂いてあの頃は…とつい懐かしんでしまいました、貴重な掲載して頂き写真をありがとうございました。
今じゃ鬼怒川温泉も廃墟マニアには堪らない様な感じになってしまった様ですね、本当に懐かしい…。御苑は隠し部屋がたくさんありましたよ(笑)
はやぶささん>
貴重な体験談、お聞かせいただきありがとうございます。往年の賑わいを実際に体験した方から聞けたことがとても嬉しいです。
あの崖にへばりつくような建物、そして増改築を繰り返して巨大化した建物ははやぶささんが仰るような桁違いに大勢のお客さんがいらっしゃったたまものだと思います。炭鉱跡や金山跡が文化遺産として保存されているように、御苑のような超巨大ホテルはなんとか今後も経営が続いてほしいものです。団体旅行が減ってきてからまだそんなに時間が経っていませんが、すでに文化遺産的な珍しさと驚きに満ちた建物だと思います。
御苑の前にある「ふれあい橋」、やたらと立派なんですがなぜあんな立派な橋があるのか、とても不思議です。