
14:40
鬼怒川温泉には「温泉街」と呼べるような場所がないこともあり、共同浴場はない。僕が知らないだけで実際には地元民専用で存在するのかもしれないけど、少なくとも一般的には知られていない。
「折角温泉地・鬼怒川にやってきたのだから、ひとっ風呂浴びたい」と思う通りすがりの人は、どこかのホテルで日帰り入浴をお願いすることになる。
しかし唯一、鬼怒川公園という名前の公園内に露天風呂がある。鬼怒川公園というと、鬼怒川温泉駅から一駅北に行った場所で、「鬼怒川公園駅」という駅名にもなっている。気がついたら一駅分、延々と歩いていたことになる。
折角だから、露天風呂を見てこよう。これから宿に泊まるとはいえ、宿以外でひとっ風呂浴びるのも悪くない。

かなりレトロ感ある案内地図。


鬼怒川公園の中を歩く。
14:44
数分ほど歩いたところで、鬼怒川公園岩風呂の建物に到着。
雨が少し強くなってきた。そのせいもあって、人の気配がない。

入口近くにあった館内案内図を見る。なるほどこういう形になっているのか。露天風呂がスペースの割に随分小さく見えるし、管理人室がやたらとデカく見えるけど実際の温浴施設ってバックヤードまで含めるとこういう大きさなのかもしれない。
折角ここまで来たのだから入ろうか、と思っていたのだけど、雨脚が強くなってきたのでやめた。白濁して硫化水素臭漂う風情あるお風呂、ならともかく、そういう温泉地ではないし。
この写真を撮るだけで、今来た道を戻る。そろそろチェックイン時間なので、早く宿に向かおう。

会津西街道を南に向けて歩いて行く。車の往来は結構あるけど、鬼怒川温泉という温泉地としては外れの場所にあたるらしい。宿はあることはあるのだけど、廃業しているところが散見される。
写真は、「星のや」という宿。看板が新しいし、車が建物の前に駐まっているので営業中だろう・・・と思ったが、人の気配がない。玄関の扉には張り紙が貼ってあって、「ああ、ここも廃業してしまったのか」とため息が出る。
看板には「源泉掛け流しの宿」と書いてある。鬼怒川では貴重な存在なはずなのに、それでもやっていけなかったのか。大型旅館が、団体旅行の衰退とともに立ちいかなくなる一方、こういう中/小型旅館も同様に衰退しているのか。
この宿について調べて見たら、「温泉教授」の愛称で知られる松田忠徳が自著にて絶賛していたらしい。また、口コミ情報でもここのお湯を褒める人が多かったようだ。それでも廃業になってしまうのだから、切ないものだ。

星のやの先には道路脇に温泉旅館が連なっているのだが、これはもう遠目からでもわかる廃墟だ。先ほど滝見橋から見えた光景が、今度は間近で見られる。
ある意味、鬼怒川温泉といえばこれ!といえる、鬼怒川のイメージを非常に悪くしている元凶ともいえるエリア。

きぬ川館本店。
廃墟好きのwebサイトでも頻繁に出てくる建物だ。この手の廃墟サイトではイニシャルで建物を紹介することが多いが、この記事ではイニシャルは使わない。だって、あまりにあっけらかんと、バスやら車がひっきりなしに往来する道路沿いにあるのだから。名前を隠すまでもないレベルだ。
割れたガラスが痛々しい。

かっぱ風呂、という表示が見える。どうやらこの宿はそういう名前の大浴場が売りだったらしい。
建物が古すぎて、一体いつ廃業したのか想像がつかない。詳しくは他の廃墟紹介サイトでどうぞ。

何の建物だったのだろう?工場のガレージのように見えるが、旅館なのでそのようなことはない。二階部分は客室ではないだろうから、大宴会場なのだろうか?
ガラスが割れたら危ないので、内側から白い紙か布のようなものを貼り付けている。しかしそれも風化してめくれたり破れたりしているため、ますます不気味さに拍車がかかっている。
扉がある部分は、悪い輩が中に入って荒らさないようにするために、大きな青いトタン板を張り付けたあった。

おそらく客室は渓谷側に面して作られているのだろう。そのせいで、こちらから見ても工場の廃墟にしか見えない。お宿があった雰囲気が残されていない。
「歓迎 きぬ川本店」と書かれた看板が空しい。

サッシが開いているところがあった。中のカーテンが外にむきだしになっている。廃業する際に鍵をかけなかったのだろうか?
こうやって開いているところを見ると、ここから誰かが侵入して内部の探検をしたりしたのかもしれない。カーテンがボロボロになっていないところを見ると、最近開け放たれたのだろうか?
非常階段を使えば容易にこの開け放たれた窓に辿り着くことができる。不法侵入だけど。ただし、この窓のすぐ下のコンクリート廊下は既に崩壊が始まっており、だいぶヤバいことになっていた。廃墟に侵入して命を落とすなんてバカげたことはやっちゃいかん。
コメント
コメント一覧 (2件)
初めまして
コメントをさせて頂きます。
記事に紹介されていた鬼怒川温泉の御苑で勤めていた者です。私が勤めていた頃はバブルの終わりの頃でした。
平成4年頃~6、7年まで鬼怒川温泉のホテルの寮を借りて仕事をしていました。
非常に懐かしいですね…御苑…本当に広いホテルで、今で言うダンジョンの様な(笑)新宿駅ほどではないですが、
私は当時、宿泊されるお客様を部屋まで案内する仕事(フロント受付から客室案内係や繁忙期には仲居さんの
サポートまで幅広く?仕事をしておりました。)をしていて、一度、お客様を部屋まで案内するのですが、フロントまで戻るには非常に時間が掛かっておりました。年末年始の忘年会や新年会や夏休み、冬休みなどとにかく休みを利用して来るお客様もたくさん来ていました。
とにかく一番大変だったのは年末の忘年会シーズンですね、もう何百名との団体のお客様がどっと来るので、部屋までの案内も大変なことはさる事ながら、宴会も賑わい…もうお酒をたくさん召し上がるお客様も多かったので仲居さんだけでは、対応しきれずよくサポートにも駆り出されました。写真を拝見させて頂いてあの頃は…とつい懐かしんでしまいました、貴重な掲載して頂き写真をありがとうございました。
今じゃ鬼怒川温泉も廃墟マニアには堪らない様な感じになってしまった様ですね、本当に懐かしい…。御苑は隠し部屋がたくさんありましたよ(笑)
はやぶささん>
貴重な体験談、お聞かせいただきありがとうございます。往年の賑わいを実際に体験した方から聞けたことがとても嬉しいです。
あの崖にへばりつくような建物、そして増改築を繰り返して巨大化した建物ははやぶささんが仰るような桁違いに大勢のお客さんがいらっしゃったたまものだと思います。炭鉱跡や金山跡が文化遺産として保存されているように、御苑のような超巨大ホテルはなんとか今後も経営が続いてほしいものです。団体旅行が減ってきてからまだそんなに時間が経っていませんが、すでに文化遺産的な珍しさと驚きに満ちた建物だと思います。
御苑の前にある「ふれあい橋」、やたらと立派なんですがなぜあんな立派な橋があるのか、とても不思議です。