2014年12月から始めた、温泉地での短期間療養。ザラザラしたメンタルの保養を主な目的とし、できるだけ観光はせずにひたすらお風呂アンド食事アンド睡眠、という時間を確保してきた。
おさらいすると、2014年12月は栃木県の那須湯本。
2015年1月は群馬県の四万温泉。
そして直近の2015年2月には岩手県の大沢温泉に宿泊している。
だんだんたがが外れてきたようで、大沢温泉3泊4日の際には前後に結構観光を差し挟んでしまった。とはいえ、過去3回の温泉療養は確実に僕の心を暖めてくれた。
やはり2泊以上の温泉宿泊、というのは体に良いと思う。1泊ではダメで、2泊以上というのがキモだ。2泊にすれば、中1日が暇になる。朝から晩までだらりとできるので、そこが癒しポイントだ。時間とお金が許すなら、3泊確保できればなおよしだ。
「風呂には毎回30分浸かってゆっくりしよう」と決めても、宿にチェックイン直後の初回風呂は10分でもうギブアップしたくなる。ソワソワして、ザワザワして、早く次のことがしたいからだ。そして、風呂でじっとする、という「無刺激」の時間が耐えられないからだ。おそらくこれは、都会の喧騒とネット三昧の日々で脳が活性化しすぎているからだと思う。
しかし、二回目、三回目と時間を重ねて風呂に入っていると、だんだんと風呂に浸かる時間が伸びてくる。そして気持ちもほぐれてくる。本来なら、「また風呂かよ。もう飽きた」となるはずなのに、むしろ逆。長風呂できるのは三回目くらいの入浴になってからだ。つまりここからが僕にとってのリアル療養となる。敢えて言おう、それまでの二回は「観光温泉」に過ぎないと。
カネはかかるし、のんびり安く逗留するには平日休みが欲しいしで、かなりハードルは高い。しかし、今の自分にとっては重要だと思っているのでリソースに糸目をつけていない。今後もできれば毎月、趣味と療養を兼ねて温泉には滞在したいものだ。
・・・と思っていたのだが、3月から急に忙しくなることが決定した。さようならモラトリアム自分。そりゃそうだ、どこの社会人がのんびりと平日に温泉に行ってられっか。当たり前のことが当たり前に戻っただけのことだ。
そんなわけで、しばらく温泉にはいけないかもしれない。「毎月療養」を高らかに宣言しておきながら、早速の挫折。ならば、とむしろ開き直った僕は、最後のダメ押しで今月二度目の温泉に旅立つことにした。たった一週間前に岩手県の大沢温泉まで遠征したばかりだというのに。
もちろん僕は、アラブの油田王でも土地長者でもない。そんなにあちこち行く金銭的余裕は持ち合わせていない。いや、正確に言うと、お金はあるけどそのお金を使うほどのメンタルは持ち合わせていない。贅沢すぎるだろ、って思ってしまうからだ。実際に贅沢すぎるし。なので今回の「ダメ押し温泉」は、「より近場で、より安直で、よりリーズナブルな場所」である必要があった。名湯・秘湯のたぐいは「気持ち的に贅沢」だからダメだし、遠征なんてもってのほかだ。俗に染まった、手垢にまみれた場所がいい。そういうところにコッソリと宿泊してこそ、「一月に二回も温泉に行きやがってよ」という罪悪感がごまかせる。
一人泊を受け付けている温泉宿というのは2015年であってもさほど多いわけではない。平日ならOK、という宿も増えてきたが、まだまだ「選びたい放題」とまでは言いがたい。でもむしろ、それくらいの方が今回はありがたい。「僕ごときが泊まらせていただける宿なんてこの程度の数しかないんですよ」と寂しげに微笑む。・・・そんなシチュエーションがいい。別にウキウキで宿探ししてるんじゃないんですよ、こう見えても「世間体」ってのを気にしているのだから。普通のサラリーマンの分際で一月に4泊も温泉宿って、さすがに世間に示しがつかない。
そういう卑屈な心境も加味しつつ、現実的な選択肢の狭さの中で選んだのが鬼怒川温泉にある「大江戸温泉物語」だった。
もともとは東京・お台場の日帰り入浴施設名に過ぎなかったのだけど、今や全国各地でこの名前を見ることができる。経営が悪化した大型旅館を買収し、リニューアルして営業再開させているからだ。安く旅館を入手している上に徹底した効率化で、かなり安く消費者に宿泊体験を提供していると聞いたことがある。
実際、僕が予約したのは「一泊二食付き」で消費税込み7,000円。えらく安い。夕食・朝食ともにビュッフェ形式となるのだが、どうせ気軽なひとり旅だ、そのほうがありがたい。夕食のお膳に茶碗蒸しは付くのだろうか?とか陶板焼きはあるかな?というのは仲間と一緒の旅行の時で十分だ。むしろ、ビュッフェだと「腹いっぱい食べられる」という点で闘志がみなぎる。
おそらく、2月という旅行閑散期であった上に平日という条件が重なったからこの値段なのだろう。実際はもっと高い値段のはずだ。
鬼怒川は過去何度か訪れたことがある場所だ。東武特急に乗れば2時間ですいーっと鬼怒川に到着できる。印象といえば、魅力が薄い温泉と、廃墟。巨大旅館が多すぎて、完全に温泉が間に合っていない印象だ。全部の宿がどうなのかまでは知りえないけど、「塩素臭い、無色透明のお湯」という感想となっている。
では温泉街はどうなのかというと、やはり巨大旅館の弊害が露呈している。一つの宿の中で宿泊客のニーズをすべてまかなおうとしてしまった結果、宿泊客が回遊して楽しい温泉街が形成できていない。その結果、「都心から交通が便利」「巨大旅館ならではの、『うわあすげえでかい宿だ!』という非日常感」というメリットを除けば、さして鬼怒川に魅力を感じない。・・・少なくとも僕にとっては、だ。
もちろん、鬼怒川界隈に多数あるテーマパークやアクティビティの拠点として楽しみたい人だっているだろう。何に価値を見出すかは人それぞれだ。一方的に鬼怒川を悪く言う気はない。
いずれにせよ、そういう「さして興味が無い温泉地」を敢えて今回の旅先に選んだのは、安い宿が見つかったからというのと、「僕の罪悪感があまり増幅されない、さりげない場所」だからという二つの理由からだ。今回は、するっと鬼怒川に行って、するっと戻ってこようと思う。そしてこの温泉をもって、おかでん毎月温泉旅のいったんしめくくりにしようと思う。
2015年02月26日(木) 1日目
09:37
大衆温泉地・鬼怒川に旅立つ朝は、やや早めだった。
直前に今回の旅を決めたので、鬼怒川で何をやるのか?ということは考えていない。全くの手ぶら状態だ。そもそも、一連の「ミニ湯治」は観光を排除するのが前提となっている。今回だってそうで、「ウワア!折角の鬼怒川だから、日光江戸村とか東武ワールドスクエアに行くんだ!」なんてことは微塵も考えていない。そもそもそういうところにおっさん一人で平日に行くなんて痛々しいし。
とはいえ、15時のチェックイン時間から逆算して、のんびりと家を出発する・・・というのはもったいない話だ。なので、お昼には鬼怒川に着いて、お昼ご飯を食べて、あてもなく町歩きをして、その後宿に入るというざっくりした計画にしておいた。
旅の始まりは、東武スカイツリーラインの始発駅である浅草駅だった。本当なら、交通の便が良い北千住駅から列車に乗るのが楽なのだが敢えて浅草駅を選んだ。「始発駅。」ということが、僕の旅情をビシビシと刺激するからだ。浅草駅ははっきりいって不便な場所だ。できれば使いたくない。しかし、始発駅で列車の出発を待つ数分間は至福。これは停車時間30秒程度の途中駅では味わえない。
09:38
東武浅草駅の構内に入ってまず目に留まったのが、売店。何の変哲もない売店のようだけど、なにやら陳列されている商品の気配がおかしい。何がおかしいって、一面緑色だからだ。なんだありゃ?
近づいてみてみると、「おーいお茶」をはじめとするお茶だらけだった。粉末茶、ティーパックなどが各社並ぶ。そんなに売れるのか、これ!?
シリコンバレーのIT企業などで日本の緑茶飲料が人気、というのはよく聞く話だが、そういう訪日外国人向けに売っているのだろうか?世界遺産・日光観光のためにやってきた外国人向け。それとも、ジイ様バア様が旅先でもお茶が飲みたくなるので買う、というシチュエーションを想定しているのだろうか?
いずれにせよ、猛烈に売れているからこそこれだけ派手にお茶を売っているに違いない。どうなってるんだ浅草。
ちなみに東武浅草の駅売店だが、頼めば缶ビールをケース売りしてくれる。しかも冷えた状態で、だ。社員旅行の幹事のとき、このサービスは大変にありがたかった。社内宴会用にビールを買出ししなくて済んだからだ。さすが「社員旅行御用達の地・鬼怒川」を抱えている東武線だけある。社員旅行ニーズをしっかり把握してらっしゃる。
ちなみにその僕が企画した社員旅行だが、「浅草といえば『電気ブラン』だろう」という先輩のせりふを真に受けて酒屋で電気ブランを仕入れ、行きの電車で開栓したら全員がべろんべろんになってしまった。幹事の僕は宿のトイレから出てこなくなるし、旅館の玄関には死体のようにひっくり返っている人がいるし、酔いつぶれて宿の夕飯はおろか朝飯さえも食えず、そのまま翌朝何もせずにご帰宅となった人もいるという惨事に。旅行としては最悪の結果となったが、後々まで笑い話として語り継がれる思い出深い旅行となった。
※ちなみにこの「メシすら食えずに鬼怒川を後にした」人は、「へべれけ紀行」で何度か登場したコダマ青年だったりする。
東武線の特急券売り場。
僕は既にネット予約で特急券を確保済みなので、余裕だ。
浅草駅を始点とする東武線特急は何種類かある。いわゆる「スペーシア」と呼ばれているのが「きぬ号」「けごん号」で、東武日光または鬼怒川へ向かう。そのほか、東武宇都宮にいく「しもつけ号」と「きりふり号」、伊勢崎方面に向かう「りょうもう号」などがある。
今回行く鬼怒川温泉駅までは、浅草から運賃が1,550円で特急料金が1,340円(平日料金)。「特急」と聞くと、無条件で新幹線のことを想像してしまう広島出身者としては、この特急料金がえらく安く見えてしまう。
09:41
浅草駅改札。
10時のスペーシアきぬ109号に乗車する予定なのだが、20分も前に改札にいる。「時間に余裕をもって行動しよう」なんていう律儀さではない。単に「始発駅旅情」を満喫したいというやらしい気持ちがあるからだ。そのせいで、ニヤニヤしながら駅を歩き回っている。
たまにしか乗らない特急なので、なんだかすごく誇らしいのですよ。贅沢している感があって。
新幹線の方がよっぽど贅沢なんだけど、あちらは当たり前すぎていまいち贅沢感がない。むしろ日常生活の延長にある。しかし、こういう私鉄特急やJR在来線特急だと、パリッと身が引き締まる。不思議なものだ。
これから自分が乗る特急列車の電光掲示を思わず撮影してしまうデレデレっぷり。
よく見ると、ウキウキ特急の傍らで運行している各駅停車は、北千住(浅草から7駅目)行きばかりだった。
表示されているこれ以降の便を見ても、せいぜい北千住の5駅先にある竹ノ塚(東京都足立区)行きだ。浅草駅を出る特急以外の電車って、ものすごく短い運行しかされていないのだな。
曳舟から東京メトロ半蔵門線が乗り入れているし、北千住からは東京メトロ日比谷線が乗り入れている。遠方に向かう便はそちらにお任せ、ということらしい。知らなかった。びっくりした。
つまり、「ああ我が旅情の浅草駅」はもっぱら特急列車向けの駅だった、というわけだ。
コメント
コメント一覧 (2件)
初めまして
コメントをさせて頂きます。
記事に紹介されていた鬼怒川温泉の御苑で勤めていた者です。私が勤めていた頃はバブルの終わりの頃でした。
平成4年頃~6、7年まで鬼怒川温泉のホテルの寮を借りて仕事をしていました。
非常に懐かしいですね…御苑…本当に広いホテルで、今で言うダンジョンの様な(笑)新宿駅ほどではないですが、
私は当時、宿泊されるお客様を部屋まで案内する仕事(フロント受付から客室案内係や繁忙期には仲居さんの
サポートまで幅広く?仕事をしておりました。)をしていて、一度、お客様を部屋まで案内するのですが、フロントまで戻るには非常に時間が掛かっておりました。年末年始の忘年会や新年会や夏休み、冬休みなどとにかく休みを利用して来るお客様もたくさん来ていました。
とにかく一番大変だったのは年末の忘年会シーズンですね、もう何百名との団体のお客様がどっと来るので、部屋までの案内も大変なことはさる事ながら、宴会も賑わい…もうお酒をたくさん召し上がるお客様も多かったので仲居さんだけでは、対応しきれずよくサポートにも駆り出されました。写真を拝見させて頂いてあの頃は…とつい懐かしんでしまいました、貴重な掲載して頂き写真をありがとうございました。
今じゃ鬼怒川温泉も廃墟マニアには堪らない様な感じになってしまった様ですね、本当に懐かしい…。御苑は隠し部屋がたくさんありましたよ(笑)
はやぶささん>
貴重な体験談、お聞かせいただきありがとうございます。往年の賑わいを実際に体験した方から聞けたことがとても嬉しいです。
あの崖にへばりつくような建物、そして増改築を繰り返して巨大化した建物ははやぶささんが仰るような桁違いに大勢のお客さんがいらっしゃったたまものだと思います。炭鉱跡や金山跡が文化遺産として保存されているように、御苑のような超巨大ホテルはなんとか今後も経営が続いてほしいものです。団体旅行が減ってきてからまだそんなに時間が経っていませんが、すでに文化遺産的な珍しさと驚きに満ちた建物だと思います。
御苑の前にある「ふれあい橋」、やたらと立派なんですがなぜあんな立派な橋があるのか、とても不思議です。