愛知迷走

布池教会の大聖堂

16:24
荷物をロッカーに預けたのち、あらためて地下鉄に乗って移動する。さあここからは蛋白質が望んでいた「神社仏閣巡り」ツアーだ。ツアー、といっても布池教会と東別院しか予定がないのだけど。

それにしても蛋白質、どういう風の吹き回しだ?「神社仏閣でなければ、古い町並みを歩くのもいい」などと意味不明な供述をしており、話を最初聞いたときは冗談だと思った。彼が敬虔なカソリック信者なのは周知の事実だからだ。

我々が学生時代にお世話になった神父さんは、その肩書きにもかかわらず他宗教に非常に寛容だった。そして「自分は正月には出雲大社に初詣に行くし、お盆には祖先の墓参りにも行く」と言ってのけ、まだ若造だった我々を仰天させたものだ。「神父なのにそんなことをやってもいいのか?」と聞いてみたら、その神父さんは慈しみの微笑を浮かべ、「歴史や文化は重んじるものだ」とおっしゃったものだ。

その神父さんの薫陶を受けた蛋白質も同じ考えだ。神社仏閣巡りを通じて、他宗教にいちゃもんをつけようとか、邪教に魂を売ろうというつもりはない。それぞれの宗教がどのように神や仏に祈り、赦しを表現しているかを学びたいのだという。そこで学んだことは、必ずや自分が信じるキリスト教においても参考になるであろう、と彼は熱く語る。なるほど。

「でもさあ、今更感ないか?帰国子女で日本文化に疎いわけでもなし、日本の寺社ってある程度は知っているだろ」
「いや、こういう機会でないとなかなか改まって神社仏閣なんて見る機会はないから」

確かにそうかもしれない。

「でもそれだったら、やっぱりローリングチ●コを見に行くしかあるまい」
「ローリングチン●?何だそれ」

ひどいあだ名がつけられてしまっているが、男のシンボルが神輿に掲げられ、ワッショイワッショイと町を練り歩く奇祭がある、「田縣(たがた)神社」のことだ。男根・女陰を祀るというのは土着信仰と神道とが交じり合って全国各地にあるが、ここまで大胆かつ派手に祀っているのは他に知らない。その特異性から、蛋白質も何か感じることがあるはずだ。アワレみ隊は2009年の「名古屋おいしいとこどり」企画で訪れたことがある(蛋白質は不参加)。

「明日の名鉄のイベントで、ひょっとしたら田縣神社の方に行くかもしれんよ。その時に立ち寄れるなら立ち寄ればいい」

しぶちょおから提案があったので、その話に乗ることにした。もっとも、名鉄の企画はどの駅に行くことになるのかさっぱりわからないので、田縣神社にはかすりもしないかもしれないけど。

栄から地下鉄で1駅、新栄に到着。そこから徒歩だ。歩いているうちに、前方に高い塔が見えてきた。あれが目指す布池教会らしい。

「あんなのあったっけ?全然記憶にない」

おかでんはこのあたりを何度か歩いたことがある。「名古屋おいしいとこどり」の時も、この近くにある坦々麺の店「ダンダン亭」に行くために歩いたっけ。でも、食い意地に脳が支配されていたのか、あんなに目立つタワーを完全に見落としていた。だから、最初に布池教会の話を聞いたとき、「そういえばこの近くに結婚式場(アール・ベル・アンジェ名古屋)があったな、なんだあれが有名な教会だったのか」くらいにしか考えていなかった。「その割には小さいな」とも思った。

しかし、本物の布池教会はというと・・・

「でけぇ!」

蛋白質が驚く以上にこっちが驚いている。遠くから見ても一目瞭然だ。

十字架

教会のすぐ近くには、「聖パウロ書院」という本屋さんがあった。

「わざわざ本屋があるの?何を売ってるんだ?」
「何って、聖書とかいろいろ」

なるほど、確かにキリスト教である以上聖書は必需品だ。でも、それは既に一人一冊持っているだろうし消耗品でもないので、本屋として成り立つのかどうか。あ、そうか、営利目的でやっているわけではないから、別に儲からなくてもいいのか。どうやら、ポストカードや絵本、CDなども売っているらしい。

むしろ、蛋白質よりも僕のほうがテンション上がっている気がする。むしろ蛋白質からしたら、教会周辺にこういう施設がある光景は珍しくもなんともないのだろう。今回の僕は、詳しい立場の人からいろいろ教えてもらえるのでありがたい。

建物の二階以上は女子修道会が利用していた。

案内表示

「Saint Mary Collage」という看板が柵のところに掲げてあった。教会併設で、「布池外語専門学校」と「布池文化センター」という施設があるらしい。宗教が学校法人を運営するというのは珍しくないことだが、カルチャーセンターまでやっているのは知らなかった。

他に、教会の入口近くには掲示板があり、礼拝や日曜学校の時間についての案内が出ていた。

「ほら、教会って必ずこういう掲示板があるんだよ。朝見た教会(結果的には結婚式場だった)はこれがなかったからおかしいな?と思ったんだ」

蛋白質が解説してくれる。

「そういうものなのか。お尋ね者とか賞金首とか、そういうのが張り出されているのかと思った」

布池教会

16:29
名古屋カテドラル聖ペトロ聖パウロ大聖堂。

長い名前だ。「布池教会」とも言う。布池という地名に建つ教会だからだ。

ところで、今回蛋白質はずっと「名古屋カテドラル」という表現を使っていたのだが、「カテドラル」って一体なんだ?

「司教座がある教会のことをカテドラル、というんだ」
「はあ?シキョウザ?」

頭の中に水餃子を連想してしまったが、数秒後にようやく「司教-座」という漢字に気が付いた。相変わらず食い意地が張っている。

「司教様がいらっしゃる教会のこと」
「ええと、つまり地域で一番エラい・・・というと語弊があるけど、地域を代表する教会、ということか?」
「まあそういうことだ」

何度聞いても、「教区」「司教区」「管区」の違いが覚えられないのだが、信者ではないのでこの際どうでもいいや。ちなみに名古屋司教区、というのは愛知、岐阜、福井、石川、富山の5県にまたがっている。

「おかでんも見たことあるだろ、(広島の)幟町教会も司教座聖堂だぞ。司教様の席が壇上にある」
「えー、あったっけなあ・・・」

幟町教会には何度も訪れたことがあるし、聖歌隊として賛美歌を歌ったこともあるのだけど「司教座」なる秘密めいた座席の存在は意識したことがなかった。たぶん、「ステキなインテリア」程度にしかその椅子のことを認識しなかったんだろう。

それにしても立派な建物だ。50メートルあるというツインタワーは荘厳の一言。これは観光名所になってもいいくらいだ。しかしもちろん「るるぶ」などに載るような場所ではなく、ひっそりとしている。

ひっそりなのだが、時折人が教会に出入りしている。関係者なのだろうか?

「基本的に教会は誰がいつ来てもいいんだ。お祈りをしたくなったら自由に中に入ってもかまわない」
「信者以外でも?」
「もちろん」
「ホームレスのたまり場になりそうだけど、大丈夫か?」
「さすがに長期間の寝泊りはまずいと思うけど」

そういうものなのか。知らなかった。学生時代は蛋白質やちぇるのぶ達と「宗教研究会」に所属していたというのに。

解説をする蛋白質

入口に、「いつくしみの特別聖年」という看板が出ていた。

「おお、やっぱりここにも出ていたか」

と蛋白質が目を細める。自分が普段通っている教会にも、この看板は出ているそうだ。

バーゲンセール開催中、みたいな告知だろうか?

「いつくしみ深く 御父のように」

と書かれてある。どうやらおトク情報ではなさそうだ。

蛋白質がとうとうと解説をしてくれる。でも、ここではばっさり割愛。要約すると、ローマ教皇フランシスコが昨年秋に「これから1年間を『特別聖年』とする」と大発表し、全世界共通でいろいろなイベントが行われしているとのこと。バチカンの聖堂の「開かずの扉」みたいなものが、この聖年の時だけ開け放たれる・・・といったこともあるらしい。お寺の「秘仏公開」みたいなものだな。

ところで、この変なイラストは何だ?二人の体が一つにくっついたようなデザインで、見れば見るほど謎だ。ピカソの絵のようでもあり、だまし絵のようでもある。そもそも、二人がどんな格好をしているのかさえ、ぱっと見よくわからない絵だ。絡み合っていて、意味がわからない。

「えーと、この目はどっちの人目だ?」
「この手はどっちの人の手だ?」
「これは・・・後光なのか?それとも救命浮き輪なのか?」

などと、しばらく全員でこの絵を取り囲んで推理ゲーム。結局わけがわからず、蛋白質に答えを求めたら、蛋白質も

「これはこういう意味が・・・あれ?どうだったっけ?」

と途中でわからなくなってしまった。で、スマホを取り出して絵の意味を確認し、「そうだ、そうだった」と言いながら我々にレクチャーしてくれた。

「よい羊飼い(つまり、主イエス・キリストのこと)が、迷い出た人間を両肩で担ぎ上げて連れ帰っている」絵なんだそうだ。愛情をこめて人間をしっかり抱きとめているのを表現している、という絵柄のせいで、この腕が羊飼いなのか人間なのかがわからなくなったり、二人の目が融合していて気持ち悪く見えたりする。まあ・・・信仰心がないと、この絵が持つ深い意味に感銘を受けるのは難しい。

巡礼者蛋白質

「良かったな蛋白質、聖地巡礼ができたじゃないか」
「いや、聖地というほどではないけどな」
「とりあえず記念写真を撮っておこう。にっこり微笑んでホレ、そこに立って」
「やらせ写真じゃないか!」
「やらせだなんて人聞きの悪い。今ボクは念願の名古屋カテドラルにたどり着けて幸せです、という気持ちを内面から発露してカメラに収まれば、それは真実でありなんらやましいことはない」

そう口説いて写真を撮影したのがこちら。

まだ蛋白質に邪念があったのか、微妙な笑顔になってしまっている。

この後聖堂の中に入ってみたら、驚いたことにスタンプラリー用の台紙とスタンプが置いてあった。

「本当に巡礼じゃないか!蛋白質まだここでは死ねないな、巡礼しなくちゃいけないところがいっぱいあるぞ!」
「全部回れるかなあ・・・」

そう言いながらも、蛋白質はスタンプをポン、と台紙に押してお持ち帰りにしていた。

半ケツおかでん

教会の中を見学させてもらう。

立派なステンドグラスがあるが、夕方ということもあって薄暗い。天井が恐ろしく高い建物なので、自然と声がひそひそ声になる。

「ほら!あれが司教座」

蛋白質が指し示す壇上右手に、ちょっと立派な椅子があった。椅子、といっても、普通のダイニングチェアの類ではない。蹴り飛ばしてもびくともしないような重厚感を身にまとっている。

「背もたれにヒヨコみたいな絵が描かれているだろ?あれがここの司教様の紋章のようなものなんだ」

見ると、確かにヒヨコ・・・というか、ハートを崩したような形のロゴがある。

「名古屋司教の松浦神父様のマークなんだ、あれ」
「え、そうなの?個人にマークがあるの?名古屋司教という肩書きに、じゃなくて?」

いちいち感心させられる。

薄暗い聖堂の中だけど、壇上に赤いランプが灯っている場所がある。

「あそこに聖体が置いてあるんだ」

と蛋白質が教えてくれる。聖体?

「ミサで、参列した洗礼者に対してパンとワインを配るだろ。あれが聖体。主の体の一部とされるので、大事に保管されるし、お祈りをささげるときはこの明かり(聖体ランプ、という)を目印にして祈る」
「へえー、知らなかった」
「学生時代我々がよく使っていた聖堂にもあったぞ?」
「いや、全然覚えていない」

聖書の読解はさんざんやったけど、こういう「儀式・様式美の世界」については全く学ぶ機会がなかったから当然だ。

このあと、蛋白質は我々を連れて、聖堂の柱に掲げられた、イエス受難をあらわす絵14枚を一つ一つ巡っていき解説をしてくれた。死刑宣告をされてからゴルゴダの丘ではりつけにされるまでの過程が詳細に描かれている。

「ここでまた主は力尽きて倒れて・・・」
「オーウ、また倒れたのか!」

みんなイエスの受難を嘆く。

「もうさすがに倒れないだろ」
「もう3度倒れたぞ、これ以上はなかろう」
「今度は衣服を剥がされ・・・」
「おい、そこまでするか!」

全員聖書は読んだことがあるのだけど、なにせ随分昔の話だ。ほとんど覚えていない。「なんてひどい仕打ちなんだ!」といちいち驚いたり嘆いたり。

最後、14番目の絵は「死んだイエス・キリストが墓に埋葬される」というものだった。

「あれ?復活しないの?折角のカタルシスなのに。なんか、ひどい目にあってばかりでモヤモヤ感が残るんだけど」

寸止めにされた気分。でも、どこの教会もこういう構成になっているらしい。

「順に巡って、主に思いを馳せるんだ」
「教会内巡礼、みたいなものか」

オリエンテーリング的に点を巡っていく、というのはとても宗教と相性が良いらしい。遍路と一緒だ。

最後、14番目の絵の隣には聖母マリア像があったが、そこには先ほどからずっとお祈りをささげている一人の女性がいた。邪魔をしてはいけないので、その人のお祈りが終わるまで我々は遠巻きで待っていた。

その女性が立ち去ったあと。

「おい蛋白質、聖母信仰ってのはやっぱりあるものなのか?さっきの女性は一心不乱に祈っていたな。キリスト教は一神教なんだから、主イエス・キリスト以外を崇拝するのはおかしいだろ?」
「マリア様そのものを信仰しているというわけではないのだよ。マリア様は神に言葉を取り次ぐことができる、とされているので、願い事を仲介してもらっているんだよ」
「ええ!そんな解釈があるのか!」

知らなかった。

「でもあの人、敬虔な信者なんだろうし、よっぽど深刻な悩みがあったんだろうな。お祈りの言葉がラテン語だったぞ」

蛋白質からしれっとすごい言葉が。ラテン語!?ぶつぶつ何か唱えているのはなんとなく聞こえていたが、それがラテン語だとはわからなかった。

「ラテン語の方が神様に願い事が通じやすい、とかそういうのはあるのかな?」
「さあ、さすがにそれはないと思うけど」

さすがにそうか、全能の神が、言葉の壁があるとは思えない。

この後、しぶちょおが「あのステンドグラスは何の絵だ?」と蛋白質に質問し、蛋白質が「あれは聖書内に出てくるナントカの話を表したもので」と回答するような場面が続いた。

「もうさ、蛋白質よ、そこまで信仰深いなら神父様になったらどうだ?」

と蛋白質に聞いてみたら、

「(大学時代の)奨学金の返済がまだ終わっていないので、それが終わらないと」

と苦笑していた。聖職に就くためには、既に持っている財産を投げ出し、しがらみのない空身になることが求められるという。しかし、借金は投げ出せない。ぬぅ、世知辛い。

写真は、教会を出て、記念撮影をセルフタイマーで撮影しようとしているところ。

背高のっぽの教会全景+人物を収めようとしたら、極端にローアングルから見上げる形で撮影するしかなかった。そのため、おかでんが半ケツ状態になりながら画角の調整中。

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